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アレクサンドリア,歴史的〜

歴史的アレクサンドリア れきしてきアレクサンドリア (Historical Alexandria)

PCが予め知ってていい情報

 「アレクサンドリア」は、もともとはマケドニア?のアレクサンドロス3世?の名にちなんで建造された古代都市の名。

 現在、単に「アレクサンドリア」と呼べば、普通、エジプトアレクサンドリアを指す。しかし、古代にアレクサンドリアと命名された都市は多数あった。

 ただし、アレクサンドロス3世本人の生前の命で築かれた都市となると、そう多いわけでもない。近、現代に創建された「アレクサンドリア」U.S.A.(合衆国)ルーマニアに存在)は除外するにしても、3世の死後、古代に建造ないしは改名された都市は多数あった。

追加情報

小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値10〜12」「表現+知性 目標値12〜14」
やや詳しい情報 古代都市アレクサンドリアの内には、喪われて所在も定かでなくなった都市や、時代の推移と共に、名の変わってしまった都市も少なくない。歴史上、実在したアレクサンドリアの実数についても諸説ある
 古代ローマの文筆家プルターク?は、アレクサンドリアの数を70以上と記している。しかし、これは「アレクサンドロス3世が建設を命じたが、彼の名は冠されなかった都市」や、「大王の死後に建てられ、後世の人が3世にあやかって名づけた都市」も含まれた数字だ。
 結局、古代でも、3世の死後、有名な「エジプトのアレクサンドリア」の名にあやかって建造されたり改名された都市の方が数が多かったことになる。
小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値10〜12」「言語+知性 目標値12〜14」
やや詳しい情報 「アレクサンドリア」は、古代地名を現代風に再現した、古典ギリシア語の発音に近い読み。より正確に古典ギリシア語風の発音をしたければ、「アーレク・サンドレィーア」とでも言うしかない。
 多くの遺跡の現在地名は、アラビア語で「イスカンダレーヤ」と呼ばれることが多い。

小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値12〜14」
詳しい情報 アレクサンドロス3世生前の命で、彼の名を冠して建てられたことが確実な都市の数は、専門研究家の間でも意見の食い違いが多い。18とも、12とも10とも言われる。間違いなく確実な物、と言えば10〜12に限定するのが順当だ。10前後に限定しても、その位置や確実性について、研究者の意見が一致していないものもある。

GM向け参考情報

実在が確認されている、あるいは、確実視されている歴史的アレクサンドリア

注記

 以下の歴史的アレクサンドリアについての情報は、比較的簡単なもののみ記します。

 とりあえず、GMはシナリオの都合に併せて、「PCが予め知ってていい情報」として扱うなり、目標値10〜14程度で処理するなり、運用していくといいでしょう。判定は「歴史+知性」が順当と思われます。

(順次、関連項目で詳しい情報も補完していきたいと思います)

エジプトのアレクサンドリア(アル・イスカンダレーヤ)

 「エジプトアレクサンドリア」は、地中海南東岸で、現在もエジプト=アラブ共和国第2の都市として繁栄している。アレクサンドロス3世が、B.C.332年に建造を命じた。

 3世の当時に遡ると思われる遺構も、少数だが確認されている。

アレクサンドルーポリス

 「アレクサンドルーポリス?」は、現ギリシア共和国?北東部に位置するエヴロス県?の県都。都市名こそ「アレクサンドリア」ではないが、古代ローマの文筆家プルターク?は、「B.C.340年頃、アレクサンドロス3世が建造を命じた」と記している。

 B.C.340年頃は、3世が父フィリッポス2世の摂政だった時期。アレクサンドルーポリスの位置あたりは、まだ古代マケドニアに充分服属してない部族集団があり、フィリッポスの遠征中に反乱を起こした部族を、3世が打ち倒したことがある。このため、プルタークの記録はあり得ることだ、との判断が大方の研究者の意見になっている。

アレクサンドレッタ(イスケンデルン)

 「アレクサンドレッタ」は、現トルコ共和国領の地中海北東岸に面した、ハタイ県?の都市イスケンデルン?の位置にあった古代都市の都市名。都市名こそ「アレクサンドリア」ではなかったが、「アレクサンドレッタ」は、アレクサンドロス3世、生前の命で建造された都市であることが知られている。B.C.333年頃、建造が命じられたと思われる。  古代には、「小アレクサンドリア」「イッサムのアレクサンドリア」の別称でも知られた。

アレイアのアレクサンドリア

 「アレイアのアレクサンドリア?」は、現アフガニスタン=イスラム共和国で、ヒンドゥークシュ山脈?西部のヘラート近傍?に位置する都市遺跡が、それだと言われている。B.C.330年頃に、建設が命じられたと思われる。

ドランギアナのアレクサンドリア

 「ドランギアナのアレクサンドリア?」は、現アフガニスタン=イスラム共和国で、ヒンドゥークシュ?の支脈山麓平野部に位置するファラーフ?近傍の都市遺構。B.C.330年頃、建設が命じられたと思われる。

アラコシアのアレクサンドリア

 「アラコシアのアレクサンドリア?」は、B.C.330年頃、建設が命じられたと思われる。普通、現アフガニスタン=イスラム共和国の首都、カンダハル?近傍の遺跡がそれだ、とみなされている。

カフカスのアレクサンドリア

 「カフカスのアレクサンドリア?」は、現在の研究者の間でも、その位置について定説が定まっておらず議論されている。ヒンドゥークシュ山脈を越える峠路のどこかとも、カブールの北約60kmに位置するベグラム近傍とも言う。古代記録には、B.C.329年に建造が命じられた、とある。

 ちなみに、「カフカスのアレクサンドリア」の呼称は、アレクサンドロス3世の東征に従軍した古代マケドニア人、やヘレネス(ポリス時代の古代ギリシア人)たちが、ヒンドゥークシュをカフカス山脈の支脈と信じてつけた名。

オクソスのアレクサンドリア

 「オクソスのアレクサンドリア?」は、アム・ダリア川?の流域にあったことは確実視されているものの、その位置について議論が続いている。「アム・ダリア川?沿いの現アフガニスタン北域平野部にあった」とも、「同川上流のアイ・ハヌム遺跡?の位置にあった」、とも言う。

 アイ・ハヌム遺跡に住んでいた住民は、アレクサンドロス3世の死後に、元ギリシア系将兵だった入植者を中心に武装蜂起。後継者武将セレウコスに鎮圧された。後、セレウコス朝の主導で一帯にギリシア系植民都市がいくつか建設されたため、オクソスのイスカンダルの比定は困難を極める。

アレクサンドリア・エスカテ(最果てのアレクサンドリア)

 「アレクサンドリア・エスカテ?」は、B.C.329年に建造が命じられた。現在、普通はタジキスタン共和国領でシル・ダリア川?流域に位置するコージェンド?の位置にあった、と推定されている。

アケシネスのアレクサンドリア

 「アケシネスのアレクサンドリア?」は、アレクサンドロス3世率いる軍団が、南アジアでパンジャブ地方?の東方から帰還する途中で、ヒュタベス川(現チェナブ川?)がインダス川?に合流する手前のアケシネス川?流域に建設された都市、と伝えられている。

 現在の研究者の間では、当時の状況で都市を建造できたとは考えづらいとする説が主流。おそらくは、軍勢がインダス河に向かうための物資集積拠点、河下りの準備拠点として砦のようなものが建てられたのだろう、と推定されている。位置は解明されていない。

オレイタイのアレクサンドリア

 「オレイタイのアレクサンドリア?」は、インダス川の河口部から、陸路メソポタミアへ帰還する部隊を率いたアレクサンドロス3世が、当時のオレイタイ地方?にあった大集落ランバキアを拡充させ、アレクサンドリアと命名したようだ。B.C.325年のことと思われる。ランバキアの所在地は不明だが、現パキスタン=イスラム共和国領沿岸部のどこかだったはずだ。

メソポタミアのアレクサンドリア

 「メソポタミアのアレクサンドリア?」は、南アジアからメソポタミアに帰還した後のアレクサンドロス3世が、現イラク共和国領のティグリス川ユーフラテス川との合流点に建てさせたと言う都市。後世、スパシヌ・カラクスと名を変えて存続したことが知られている。

用法

 「アレクサンドロス3世生前の命によって建造された都市」ですが、内には、以前からあった都市に古代ギリシア風の改修を加えた物もあったと考えられています。

 アレクサンドロス3世の東征を顕彰しよう、との意図から記された初期の記録に、後世さらに尾ひれがついて「建造した」と伝えられた、と目されています。このことが、また、アレクサンドリアについての真偽の議論を複雑にしています。例えば、「アレイアのアレクサンドリア?」についても、「アレクサンドロス東征軍からあった都市で、遺跡地帯から出土するギリシア系遺物は、アレクサンドロスの死後に移入されたもの」と唱えるような異論すらあります。

 よく言えば、慎重な意見ですし、悪く勘ぐれば、ギリシア文化の影響を最小限に見積もりたいと言う偏りも感じられる意見です。が、そういう偏った意見を主張するNPCも、使いようでは面白いかもしれません。


 個別の「歴史的アレクサンドリア」についての記事にある「当時の状況で都市を建造できたとは考えづらい」歴史伝承の類ですが。「考えづらい」とするのは、あくまで歴史を合理的に解釈していこうとする現在の歴史学の判断です。シームレス・ワールドの真相としては、実は、古代に何かの事件があってポケット・ユニヴァースにあった都市がこちらの世界に転移してしまったのかもしれませんし、ちょっとした宇宙ステーション規模の宇宙船が東征軍の目前に着陸したのかもしれません。

 そうした真相を設定するのは、シナリオ作者の自由です。(ただし、秘匿情報のアドバイスはよく読むことをお勧めします。この関連では、特に2つめのアドバイスに関連したガイドラインが重要)


 「アレクサンドリア」については、このページに記したものの他に「歴史伝承のアレクサンドリア」と呼ぶべき類もあります。

 厳密に言うなら、「アケシネスのアレクサンドリア?」ですら、仮に実在したとしても「都市」だったとは考えられません。当時の状況を再構成してみるに、アレクサンドロスが現地にいた間に都市を築く時間はとてもありませんでした。かと言って、古代のアケシネスは「エジプトアレクサンドリア」などのように「生前の3世の命で着工し、死後に完工した」という経緯もあり得ない土地です。

 「アケシネスのアレクサンドリア」以上に、あり得ないとされている「歴史伝承のアレクサンドリア」には、例えば、古代記録に記されたアレクサンドリア・ニカイア?、アレクサンドリア・ブケファラ?などがあります。

活用や検討

活用


検討

  • 検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は書き換えられても仕方なし、ってことで)

更新日時:2006/03/10 15:42:31
キーワード:
参照:[遺跡] [考古学、歴史研究の関連用語] [アレクサンドリア] [アレクサンドリア,エジプトの〜]
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