アメンエムニス
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アメンエムニスは、タニス王朝開祖のスメンデス死後、跡を継ぎ、古代エジプトの第21王朝?でファラオ?のように振舞った人物。誕生名?「アメンエムニス」は、「アメン神は王なり」を意味した。
その統治期間は、4年間(足掛けでも5年)と短期間。スメンデス死没の年を、よく言われる説に準拠してB.C.1043年とすると、B.C.1039年に死去した計算になる。
アメンエムニスの名は、マネトーの『エジプト誌』に記されてはいたが、長く銘文の類が発見されなかった。現代的な考古学が発達してからは、長い間、実在を疑う説すら唱えられていた。
1939年〜1940年、フランスの考古学者、エジプト学者、ピエール・モンテ?が、タニス王朝の諸王の墓域を発見。プスセンネス1世?の無傷の墓所が発掘された。
プスセンネス1世の墓所から発見された遺物、遺文により、アメンエムニスの実在が確認された。とは言え、アメンエムニス実在を示す物象で新たに発掘されたものは、アメンエムニスの即位名?「ネフェルカラー」(美しきはラー神の魂)を記した黄金の兜が主なものだ。
その後も、アメンエムニス1世の碑文類などは未発見で、今でも、謎めいた人物であることは、あまり変わらない。
アメンエムニスは、タニス王朝第2代にあたる。その短い治世の全期間を通じて、プスセンネス1世が共同統治者の地位にあった。
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タニスでアメンエムニスが即位する少し前、テーベでは、アメン神の第一神官メンケペルラーに叛旗を翻した有力者たちが、西方沙漠のオアシスに追放されていた。
記録によれば「スメンデスの治世25年のこと」と、されているので、アメンエムニスの即位前年のできごとと思われる。研究者の内には、テーベの政争が、アメン大司祭国家?とタニス王朝との関係を背景にしたもの、と唱える説もある。
確かに、アメンエムニス(アメン神は王なり)の誕生名は、アメンエムニスとテーベとの関係の深さを暗示するものかもしれない。
アメンエムニスの死後、共同統治者だったプスセンネス1世?が、タニス王朝の王位を継承した。プスセンネス1世が、アメン大司祭国家のピアンキの息子だったことは、確からしい。
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参照:[小辞典ワールド編] [歴史上の実在人物]