アムル人
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「アムル人」は、西セム語系統の古代民族の名。ユダヤ教聖典(『旧約』)では「アモリ人〔アモリびと〕」と、記されている。(または「エモリ人〔エモリびと〕」とも)
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アムル人は、紀元前2千年紀の前半頃、シリア・パレスティナ?地域から、メソポタミア地域に侵出した古代民族。多数の部族集団があり、長期に渡り、波状的に、メソポタミアに侵出。離合集散しながら、各地で定住化、内には、都市国家の権力を握った部族も少なくなかった。
アッカド語で「アムル」や「アモル」と呼ばれ、シュメール語では「マルトゥ」と記された。古代エジプト王朝でも、彼らのことを「アムル」や「アマアル」と記している文献がある。
紀元前22世紀末、メソポタミア南部の支配権を確立したウル第3王朝?では、傭兵等として社会に入り込んでいたアムル人も多かった。アムル系の人名で、記録に残された例が多数知られている。
紀元前21世紀頃から、アムル人諸部族によるメソポタミア地域への大規模な侵出が、目立つようになる。ウル第3王朝では、防壁の建造や撃退のための遠征もおこなうようになった。この時期のメソポタミア側の記録では、しばしば、アムル人の部族集団が野蛮人として記されている。
アムル人諸部族のメソポタミア進出は、ウル第3王朝衰退の一因になった。しかし、傭兵や労働者として、メソポタミア各地の都市社会に浸透していったアムル人たちも、又、増えていた。役人として、各地のメソポタミア都市で活躍したアムル人も少なからず出た。ウル第3王朝末期には、ウルの上級官吏にもアムル人が登用されるようになっていた。
この頃、さらに多くのアムル人集団は、メソポタミア各地で、半定住化した遊牧生活を営んでいた。こうした内で、遊牧部族複数の長(部族連合の長)になった有力者が「アムル人の父」の称号を用いる例が増えていった。遅くともこの頃までに、「アムル人」が彼らの自称になっていたことがうかがわれる。
アムル人諸部族は、ウル第3王朝の滅亡後、紀元前20世紀〜紀元前17世紀には、肥沃な三日月地帯?一帯で、優勢な遊牧集団になっていた。そして、紀元前2千年紀に入ると、メソポタミア各地でアムル系の王朝が成立していくことになる。
例えば、古バビロニア王国を支配したバビロン第1王朝?のハンムラビ王?の王統がアムル系だった。また、中アッシリア時代?のアッシリア支配者?シャムシ・アダド1世?も、アムル系部族出身の王位簒奪者だった。他に、イシン?やラルサ?でも、アムル系の王朝が営まれた。
メソポタミア南部で王朝を営んだアムル人たちは、ウル第3王朝の継承者と言った意識を強く抱いたらしい。積極的にシュメール語?を用いた記録を多数残している。アムル語による公式文書は、ほとんど残されていない。日常語としては、アッカド語が支配的な言語になっていたので、古典語としてのシュメール語の権威を重んじた、との事情もあっただろう。
平地メソポタミアで都市化していったアムル人集団は、バビロニアやアッシリアそれぞれの文化に同化していき、概ね紀元前17世紀頃には、アムル人の出自が云々されることは無くなっていく。
並行するかのようにシリアやカナンを含んだメソポタミアの西方が、メソポタミア側で「アムル人の地」と総称されるようになっていた。
さらに後、紀元前15世紀頃までには、「アムル人の地」と言えば、基本的には、カナン地方の北方でオロンテス川流域平地のカデシュ?を中心にした範囲を指すように縮退していった。この地を中心に古代シリアに残ったアムル系遊牧集団は、紀元前12世紀頃までは、確実に続いていたと思われる。
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アムル人のルーツについては、定かではないが、アムル語?の研究からは、他の西セム語系統の民族同様、おそらくはアラビア半島?北部を故地とした集団だろうと考えられている。
紀元前24世紀頃、シリア地方の山地を中心に遊牧民としての生活圏を確立した西セム語系統の遊牧集団が「マルトゥ」や「アムル」の名で呼ばれるようになった。彼らは、徐々に部族を越えた繋がりや、民族的な自覚を強めていったのかもしれない。彼らは、時代が下るにつれ「アムル」を自称するようになっていったようだ。
現在でも、時として、「アムル人は、古代のシリア地方出自の民族」と呼ばれることがあるが、これは、「彼らがエスニック・グループとしての同質性を強めたのが、古代シリアの山地地帯」といった意味に解した方がいい。
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参照:[マルトゥ神] [シャルマネセル3世] [ナブー神] [アムル神] [ウガリットの遺跡] [マリの遺跡] [エモリ人] [アモリ人] [神話、伝説のキャラクター]