アンティキティラの機械
- アンティキティラの機械 アンティキティラのきかい 簡易版(Antikythera mechanism)
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「アンティキティラの機械」は、紀元前1世紀の前半に、作製されたことが確実視されている、精巧な歯車仕掛けの機械。
おそらく、古代地中海沿岸の中部〜東部で、ギリシア系文化圏にて作製されただろう、と推測されている。
歯車が連動するメカニズムで、遺物が現存する最古の例、とも言われている。
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「アンティキティラの機械」は、現ギリシア共和国領で、ペロポネソス半島?とクレタ島?の間に位置するアンティキティラ島?沿海海中で、1900年に偶然発見された古代の難破船の内から回収された。
呼称は、発見地の名にちなんでつけられた。
難破船は、アンティキティラ島の島民が、海綿採りの途中で発見。偶然の発見にはありがちなことだが、正確な発見日は、「1900年のイースターの日よりも前のいつか」としかわかっていない。
機械の断片遺物自体が、古代船から回収された彫像や工芸品の内から見出されたのは、1902年、5月12日のこと。考古学者のスピルドン・ステイス(Spyridon Stais)が、石製の遺物断片の内に歯車が埋め込まれたようになっていることに気づいた。
その後、腐食した青銅製歯車の修復、比較的大きな筐体パーツのX線撮影、筐体に刻まれた古典ギリシア語銘文の解読などがなされた。銘文の解読から、機械が作製されたのは、B.C.80年の前後、と推定されている。
こうした研究を通じて、現状では3つの断片に別れている石製の筐体の内に、木枠が設けられ、そこに多数の歯車を組み合わせた機構が納められていただろうことが分かってきた。
(歯車部品の数は、当初30前後とみられていたが、その後、解析技術が進歩するに連れ、新しい部品が発見されている。現在では70前後の部品が確認されている、とのこと)
「アンティキティラの機械」の研究によって、古代地中海周辺の技術史は大幅に見直されることになった。
2006年現在、オリジナルの遺物(部品)は、推定復元された機構と共に、アテネ市の国立考古博物館で展示されている。また、アテネ市の国立博物館では、現在、最新技術で遺物の精査をおこなうところからはじめられた新たな調査(アンティキティラの機械調査プロジェクト)が進められている。
U.S.A.(合衆国)、モンタナ州のボズマンにある、アメリカ・コンピュータ博物館にも、別の復元品が展示されている。
遺物の直接調査に携わったほとんどすべての研究者は、占星術、あるいは宗教的な目的で、特定の日の天体の配置を示すための歯車式計算機だっただろう、との説を支持している。ただし、具体的にどういう機構で、どの程度の範囲、及び、精度での表示ができたのか、については、諸説あり現在も調査が継続されている。
過去に、推定復元図が提案され、復元レプリカも作製された。しかし、新しい技術で遺物を調査することで、従来見落とされていた部品が見出され、機構の推定が改められることがすでに1度なされた。
2006年現在進行中の調査は、組織だったものとしては2度めの再調査にあたるが、すでに、新たな発見がなされたことが公に発表されている。
【参照イメージ】
- (アテネ市?の博物館で展示されている、オリジナルの遺物,断片,Wikimedia Commons)
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アンティキティラの機械を積んでいた難破船は、ローマ型の船だった。状況からは、経由地であるアンティキティラ島に寄港しようとする途上で沈没したのだと思われる。
仮説としては、当時占星術研究の中心地の1つだった「ロードス島アで作られたのではないか(?)」との説が提出されている。ロードス島には、ストア派の哲学者ポセイドニオス(Posidonios)が開いたアカデミアがあった。
他に、古代ギリシア語系統の言語を母語使用するようになっていたユダヤ教徒(ヘレニストのユダヤ教徒)のコロニーで作製されたのではないか(?)とする説もある。
アンティキティラの機械が発見されてから、発見以前には省みられることがマレだった古文書が再評価されるようになった。
例えば、紀元1世紀のローマの思想家キケロが残した文書「わが友、ポセイドニアスての手になる、太陽、月、及び、他の5惑星の動きを再現する最近の仕掛け」について記している。キケロは、ポセイドニアスの下で学問を学んだことがあった。
(機械が、ロードス島で作製された、との仮説は主にこのキケロの文書を論拠にしたもの)
こうした、「仕掛け」についての断片的な記述は、他にもあった。
ただ、古代ギリシアでも古代ローマでも、職人の社会的地位は決して高くなかった。そのため、具体的な記述やまとまった文書は知られていない。断片的な記述だけからは、まさか「アンティキティラの機械」のような精巧な物が作られていた、とは考えられなかった。
「アンティキティラの機械」という物証の発見は、古代ギリシアのポリスに、複雑な機械仕掛け作製の伝統が伏流していた可能性を示唆している。
あるいは、中世イスラム圏で作製されたよりシンプルな機械仕掛けのルーツは、ローマ帝国領を通じて、古代ギリシアのポリス社会から伝播したのかもしれない。
(機械が、ヘレニストのユダヤ教徒コロニーで作製された、との仮説は、どちらかと言えば、イスラム時代の機械仕掛けとの関連を重視する意見に多い)
9世紀の初頭に、バグダードのカリフ?の委託で編纂された『キタブ・アル=ヒヤル』(巧妙なる仕掛けの書)には、エジプトやシリアの修道院に伝えられていた、古典ギリシア語による機械仕掛けについての説明テキストが100種類以上、編纂されて収められている。
【参照イメージ】
- (アテネ市?の博物館で展示されている、推定復元品,Wikimedia Commons)
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参照:[考古学、歴史研究の関連用語] [アンティキティラの機械調査プロジェクト]