ケント県,南東イングランドの〜
- 南東イングランドのケント県 なんとうイングランドの ケントけん 簡易版
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ケント県は、U.K.(連合王国)の南東イングランドにて、ドーヴァー海峡に面している地方行政区。ユーロトンネルのグレート・ブリテン島?側の出口が設けられている。
県域は、概ね南東イングランドの東縁北部を占めていて、北縁がテイムズ川?に縁取られている。北西部は、グレーター・ロンドンの南東部に隣接。
(日本語の訳語では「ケント州」と訳されることも、「ケント郡」と訳されることもある。“County”と呼ばれるタイプの地方行政区)
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ケント県は、南西で東サセックス県?と、東でサリー県?と県境を接している。左記の2県は、南東イングランドの県。北西でグレーター・ロンドン南東部と接し、北ではテイムズ川?の下流を挟んで、東イングランドのサロック地区(Thrrock)及び、エセックス県?と対面している。
なお、エセックス県のテムズ川対岸を占めているメドゥエイ地区?は、歴史的にはケント地域の一部だが、現在は、ケント県から独立した単独行政区(Unitary Borough)をなしている。
現在の行政中心は、県域中ほど西寄りで基幹道にも面しているメイドストン?の街。
過去に地域の中心地だったこともあるカンタベリー市?やロチェスター?の街区も続いている。
- 【参照地図】
(イングランド?のケント県県域,Wikimedia Commons)
歴史的地域の面積は、3,736平方km。行政区の面積は、3,544平方km。行政区の推計人口は、 1,369,900人ほど(2005年)。居住者の97%ほどが、アングロ=サクソンなどで、アジア系が2%ほど。
2007年現在、ケント県は、13の地区に細分されている。メドウェイ地区も数えると、歴史的な地域は都合14の地区からなっていることになる。
5世紀頃、現在のケント地域の東部には、ジュート族の小国が幾つか成立していたようだ。730年頃に地域は「キャンティア」として知られるようになり、遅くとも835年には中世ケント王国が本格的に成立していた。
ちなみに、布教のため渡来した聖アウグスティヌスが、ケント東方の小島に上陸したのが597年のこと、カンタベリーの街に入ったのが599年のこと、とされている。
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地域からは、旧石器時代のヒトの活動痕跡や、新石器時代のメガリス?跡も発見されている。メドウェイのメガリス群?が、有名。
鉄器時代には、概ねの地域が、大陸部から移入したケルト系ベルガエ族の勢力圏となった。ブリトン語の「ケンタス(Centus)」として伝わった地名が、この頃から用いられたようだ。「ケンタス」は、「外縁部」または、「沿岸地区」といった意味。西縁部にはレグニ族(Regni)なども移入していたようだ。
ローマの軍勢は、現在のケント方面から上陸し、橋頭堡を築きながら内陸部へと侵出していった。現在は海岸線から3kmほど内陸になっているリッチボロウ城城址のあたりは、紀元前はまだ沿海部で、ローマ軍はここから上陸した、とされている。
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リンク
関連項目
資料リンク
- Wikipedia英語版:Kent
Wikipedia英語版:Geography_of_Kent
Wikipedia英語版:History_of_Kent - Wikipedia英語版:Portal:Kent
- Wikipedia英語版:Category:Kent
- Kent County Council
ケント県行政府のオフィシャル・サイト。 - Kent Online
ケント県の民間ニュース・サイト。
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参照:[フォークストン] [小辞典ワールド編]