E.E.エヴァンズ=プリチャード
PCが予め知ってていい情報
- 「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。
E.E.エヴァンズ=プリチャードは、20世紀の前半に活動したU.K.(連合王国)出身の民族学者(ブリテン風の言い方では社会人類学者)。
追加情報
- 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。
- 小事典版推奨判定
- 「情報+知性 目標値=8〜10」
- 簡単な情報 (必要に応じてゲーム前ブリーフィングやブレイクを使いGMから素でプレイヤーに伝えてもいいかもしれない)
- エヴァンズ=プリチャードは、アザンデ族?(ザンデ族)、ヌエル族?(ヌアー族)など、アフリカ、主にスーダンの部族社会の研究で有名。第2次世界大戦中に従軍し、この間にリビアのベドゥイン達の間で勢力の強かったサヌーシー教団?の調査もした。
- 1920年代後半から研究活動に従事。1946年から1970年まで、オックスフォード大学社会人類学教授を勤め、1973年に死没。1949年〜1951年は、U.K.王立人類研究所長を兼任した。
- 小辞典版推奨判定
- 「情報+知性 目標値10〜12」
- やや詳しい情報 エヴァンズ=プリチャードは、U.K.(連合王国)のイーストサセックス?県出身。オックスフォード大学で近代史を専攻した後、社会人類学(U.K.流の民族学)研究に進み、マリノフスキー?に師事。
- 1926年、スーダンで初の現地調査(アザンデ族を初調査)をする。1927年、ロンドン経済学院大学で博士号を取得。1932年にカイロ?のエジプト大学教授に、1935年にオックスフォード大学講師となる。
- この間、アザンデ族の再調査、同じくスーダンで数次に渡るヌエル族の調査、他、ケニアなどで、短期間の調査を複数回重ねる。
- 第2次大戦中は、U.K.陸軍に従軍。エチオピアでゲリラの指導をしつつアヌアク族?を調査。1942年キレナイカに転任し、軍属の行政官として赴任。赴任中、キレナイカ地方のベドウィンの間で、サヌーシー教団?を調査。
- 1946年〜1970年、オックスフォード大学社会人類学教授(前任は、ラドクリフ・ブラウン?)。1949年〜1951年、U.K.王立人類研究所長を兼任。
- 主著は、『ヌアー族の宗教』、『アザンデ人の世界』、他。
GM向け参考情報
- GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイデア・フックなど。
補足情報
- エヴァンズ=プリチャード略年譜
- 1902年 U.K.(連合王国)のイーストサセックス県、クローボローに生まれる。
- 1924年 オックスフォード大学で近代史を専攻した後、社会人類学研究に進み、マリノフスキー?に師事。
- 1926年 スーダンで、初の現地調査、アザンデ族?(ザンデ族)の調査をおこなう。
- 1927年 ロンドン経済学院大学で博士号を取得。
- 1932年 カイロのエジプト大学教授を勤める。
- 1934年 『アザンデ族における妖術、託宣、呪術』を発表。
- 1935年 オックスフォード大学講師となる。
- 1926年〜1935年、アザンデ族の再調査、同じくスーダンで数次に渡るヌエル族の調査、他、ケニアなどでの短期間の調査を重ねる。
- 1940年 第2次大戦に際し、U.K.陸軍に従軍。
エチオピアに赴任し、ゲリラの対イタリア活動を指導をしつつ、アヌアク族を調査。 - 1942年 キレナイカに転任し、軍属の行政官として赴任。赴任中、キレナイカ地方のベドウィンの間で、サヌーシー教団?を調査。
- 1946年 オックスフォード大学社会人類学教授(〜1970年。前任は、ラドクリフ・ブラウン?)。
- 1949年 U.K.王立人類研究所長を兼任(〜1951年)。
1949年に、『キレナイカのサヌーシ』を発表。 - 1973年 死没。
活用や検討
活用
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キーワード:
参照:[歴史上の実在人物] [キレナイカ]