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ファルージャ

ファルージャ(Al Falluja) 簡易版

簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。

PCが予め知ってていい情報

  • 「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。

 ファルージャは、イラク共和国中部にて、ユーフラテス川左岸(東岸)に位置する都市。アンバール県?の東部で、首都バグダードの西、56kmほどにあたる。

 バグダードから西方に向かう基幹自動車道が、ユーフラテス川を渡る渡河地点になっている。

 ティクリト?バグダード、ラマディー?を結ぶ、いわゆるスンナ派3角地帯?に含まれる。旧フセイン政権が政治犯を収容した施設であり、占領軍による収容者虐待で悪名を高めたアブ・グレイブ刑務所は近傍に位置する。


 イラク戦争後、イラク治安維持の地域分担?では西部区域に含まれ、U.S.A.(合衆国)の海兵隊が治安維持を担当。

 2004年4月、U.S.A.軍による包囲掃討作戦がおこなわれた。9月には空爆が、11月にはイラク保安部隊?も参加した包囲と戦闘が1週間に渡っておこなわれた。

 9月から11月にかけての軍事行動は、都市を拠点にしていたアルカーイダ武装勢力の掃討と、当時のアルカーイダのイラクでの指導者、ムサブ・ザルカーウィの逮捕が目的、とされたが、この時ザルカーウィは逃亡。

 一連の軍事行動は、いわゆる抵抗勢力によるテロ攻撃が、広域に繰り広げられる状況に転じるきっかけになった、とする意見もある。

【参照地図】

やや詳しい情報

  • 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。

 ファルージャには、イラク戦争前の2003年の時点で、およそ35万人が居住していた、と推定されている。

 2004年の戦闘後の人口は、定かではないが、20万人前後、との推測がしばしば聞かれる。


 いわゆるスンナ派三角地帯の中ほどに位置するファルージャは、イラク・バース党の高官も多数出した都市で、フセイン派の勢力も多かった、と目されている。

 しかし、2003年にU.S.A.軍とその友軍が、バグダード目指して侵攻したとき、旧イラク軍は都市の守備を放棄。有志国軍は、抵抗らしい抵抗も受けずに都市を通過した。この時、旧イラク軍を離脱した将兵が多数の武器弾薬を隠匿した、と言われるが、仮にそうだったとしても、占領軍の不手際と言わざるを得ないだろう。

 実際は、有志国軍の侵攻直前、旧イラク軍の守備放棄と前後して、アブ・グレイルから収容者を解放した一群が、ファルージャ周辺の政府施設を襲撃。暴動状態になっていたようだ。この時、反フセイン派の“暴徒”から自衛するために組織された自警団から、後に抵抗勢力と呼ばれる武装集団に転じた者が少なくない、と言われている。

 ともあれ、有志国軍侵攻時には、非常事態に際してファルージャ居住の有力部族から選ばれた市長が、侵攻軍の受け入れを決断したそうだ。この時、むしろ市民は、反フセイン派の暴走を牽制するため、有志国軍部隊が都市郊外に駐屯することを希望したほどだった、と言う。


 2003年4月、U.S.A.軍の駐留に反対するデモが起きたが、これに対しU.S.A.軍が発砲。多数の死傷者を出した。駐留軍側は、武装したイラク人からの自衛だった、としているが、市民側は投石をしていただけだ、と主張している。

 2004年3月31日、U.S.A.国籍の民間警備会社職員4人が、武装勢力に誘拐された後、殺害され遺体が損傷された事件が起きた。

 民間警備会社所属とはいえ、駐留軍の軍務を外注していた職員の被害に、U.S.A.軍は、4月早々、ファルージャを包囲した上での攻撃作戦を実行。武装勢力が潜んでいた、としてモスクを空爆するなどした。都市封鎖により、多数の市民が巻き添えになった惨状がメディアを通じて報じられると、国際的な非難が巻き起こり、作戦は短期間で中断された。しかし、この戦闘は、「イラク戦争後、初の大規模な市街戦」と言われた。

 ファルージャは、アラブ・イスラム世界では、「モスクの都市」として知られ、都市及び周辺では200を越すモスクが存在していた。モスクに対する空爆は、イスラム信徒の敵視を強め、イスラム諸国はもちろん、EU諸国?からも批判された。

 2004年9月以降、増加しはじめていたテロ攻撃への反撃として、MNCI(多国籍軍団イラク)?は、ファルージャとラマディー?とで、ほぼ同時に市街戦を展開。ファルージャ攻撃の目標は、「アルカーイダ勢力の掃討と、指導者、ザルカーウィの捕縛」とされたが、「スンナ派3角地帯の武装勢力に打撃を与え、2005年1月に予定されていた国民議会選挙の実施を有利に進めよう」との狙いもあった、とする意見もある

 2004年12月、MNCI(多国籍軍団イラク)は、ファルージャ市内に存在した無数の武器集積所、爆発物製造所などの情報を、証拠映像と共に公表。「武装勢力が、モスクに立て篭もっていたので、攻撃せざるを得なかった」と弁明に勤めたが、さほど効果はなかったようだ。

 一説に、2004年に戦われた一連の戦闘、特に9月以降の戦闘により、都市の建物の6割が損傷を被り、2割が完全に破壊されたとも報じられた。

【参照地図】

さらに詳しい情報

  • 「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。

 現在、ファルージャが立地する地域での、ヒトの集住は、新バビロニア時代までは遡ることが確認されている。

 地域では、新バビロニア時代に捕囚で強制移住された古代ヘブライ人の内、アケメネス朝による解放後もイスラエルへ帰還しなかった集団がコミュニティーを築いた。3世紀頃には、古代ユダヤ教の有力な学派が営まれ、『バビロニア・タルムード?』の編纂拠点になった。ユダヤ教宗教センターは、11世紀頃までは続いたが、モンゴル征西軍の侵攻でダメージを被り、その後のペルシア王朝の支配下で廃れた。

 オスマン=トルコ時代のファルージャは、バグダードの周辺の街、程度の重要性しかもっていなかったようだ。オスマン帝国の滅亡後、地域の統治権を得たU.K.(連合王国)は、1920年、地元民の自治を求める勢力を武力で弾圧。ファルージャには陸軍が投入され激しい戦闘が繰り広げられた。

 1947年の時点で、都市の人口は、1万人ほどだったとされる。その後、イラクで石油採掘が盛んになると、ファルージャの人口も急速に増えていった。

【参照地図】

GM向け参考情報

  • GM向けの捕捉情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど

 気候帯としてはステップ気候。

【参照資料】

  • Fallujah,IraqGlobal Security.org
    ファルージャ近傍の地図や衛星イメージ、複数が掲載されています。2004年の市街戦当時のものと思われます。

交通路

鉄路
 バグダードからファルージャに至る鉄路は、ユーフラテス川を渡河した後、ラマディーを経。ユーフラテス川西岸に沿ってさらに伸びている。
 この路線は、イラク-シリア国境のイラク側の町クサイバ(人口不詳、1万人未満級)を終点にしている。
自動車道
 バグダードから、鉄路に並走するように、主要地方道がファルージャに至っている。
 この主要地方道は、ユーフラテス西岸をラマディーに至り、ラマディーを経た後、北方のルート、南方のルートに分岐。それぞれが西方で国境を越え、シリア領に至る。
 南方のルートは、国境手前でさらに分岐し、一方は、ヨルダン=ハシミテ王国領に至る。
 他に、地方道として、ユーフラテス川東岸沿いに伸びる地方道、バグダードとの間を結ぶバイパス道、ラマディーの西に至るバイパス道がある。
 もう1本、ユーフラテス川の西岸で、南方のムサイーブ(人口不詳、1万人未満級)との間を繋ぐ地方道もある。
水運
 ユーフラテス川の項を参照されたし。
空港
 近傍に空港の類はない。至近の空港は、バグダード西方のバグダード国際空港。

活用や検討

活用

  • このページの記事を踏まえた、アイディア・フック?、使ってみたシナリオ、セッション・レポ、などなど
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重要な改訂の情報

  • 内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。
    (誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要)
  • 2006-10-26 (木) 00:30:55 鍼原神無 : イラク戦争後の経緯を補完し、ほぼ全面的な改訂を加えました。
    特に、人口の数値は旧稿で不確かだったので、より確からしい記述に正しました。
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検討

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更新日時:2006/10/26 00:51:51
キーワード:
参照:[小辞典ワールド編] [マリの遺跡] [ユーフラテス川] [イラク共和国]
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