ウルミエ湖
- ウルミエ湖 ウルミエこ (Lake Urmia) 簡易版
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ウルミエ湖は、いわゆるイラニアン・クルディスタンとイラニアン・アゼルバイジャン?とが重なっている地域にある。
イラン領内北西部で、イラク領北部、トルコ領南東部に近い。アルメニア領南部、アゼルバイジャン領南部からも遠くない。
「ウルミエ湖」の地名は、そう古いものではなく、1970年代初頭に、西アゼルバイジャン州州都ウルミエ市?から採られた。ちなみに、「ウルミエ」は、古代シリアック(古代シリア語系統の文語)で、「水の揺り篭」といった意味だった。
パフラヴィー朝?のシャー、レザー・ハーンによって、1930年代から「レザー湖」と名付けられていた。ペルシア語による古称は、「シャーヒー湖」。
古代ペルシア語では「チチャスト」。古くはラテン語古称「マティアヌス」と呼ばれ、その前は「下のアルメニア海」(ヴァン湖が「上のアルメニア海」)と呼ばれた。古代アルメニア王国(大アルメニア)の3大湖の1つだった。
さらに古くは、「下のナイリ海」(ヴァン湖が「上のナイリ海」)と呼ばれていて、おそらくこれが現在知られる最も古い地名と思われる。「下のナイリ海」は、新アッシリア時代の頃の地名。
概ね南北方向の長軸は、最大幅が140kmほど、短軸方向の最大幅は、およそ55kmほど。湖面面積は、およそ5,200平方km。最大深度、およそ16m。ただし、近年、年に60cmから1mほどのペースで、浅くなり、湖面も縮退しつつある。衛星写真などで見ると、湖岸一体に湖水が蒸発した跡の塩の層がベルト状に白く見られる。
ウルミエ湖は、塩分他の濃度が高く、魚類などは生息していない(水棲甲虫などは生息)。大小100を越える岩礁や小島が散在し、多数の渡り鳥が、季節的に寄留する。渡り鳥には、フラミンゴ、ペリカン、コウノトリ、カモメなどが含まれている。湖とその周辺は、ほとんどの地域が、イラン=イスラム共和国の国定公園に指定されている。同時にユネスコから、生態保護地域に指定されている。
湖の中ほどで、西アゼルバイジャン州州都のウルミエ市と、東アゼルバイジャン州州都のタブリーズ?とを結ぶ橋が設けられている。この橋は、2006年完工、開通。1970年代に着工されていたが、イラン革命で中断されたプランが、2000年頃から再開された結果。
【参照イメージ】
(ウルミエ湖の衛星イメージ,NASA?,Wikimedia Commons)
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新アッシリア時代頃の地名「下のナイリ海」は、ナイリ族と関係したもの。ナイリ族は、紀元前13世紀頃かた、アッシリアなどの古代記録に見られる古代部族。アッシリアとヒッタイトの間にあって、ヴァン湖周辺からウルミエ湖のあたりで、精強な山岳民族の部族連合をなした。少し後のウラルトゥ王国建国に参加したと思われる。あるいは、ナイリ族自体が、素朴な部族国家を営んでいたかもしれない。
新アッシリア時代、ウルミエ湖のあたりには、マナエ王国(ミニ王国)も営まれていた。マナエ王国の中心地は、ウルミエ湖の南方で、現在のマハーバード?市のあたりだった。ウルミエ湖南西に位置するテペ・ハサンル?からは、マナエ王国の都市遺跡が発掘されている。
ウルミエ湖が、「下のアルメニア海」と呼ばれるようになったのは、地域が古代アルメニアに征服された前後からのことになる。
一説に、ウルミエ湖は、ゾロアスター教聖典で「アフラ・マズダ神の接見を得た後のゾロアスターが沐浴をした」と記された湖だ、と、言われるが定かではない。
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参照:[ランド・マーク] [クルディスタン共和国] [アジア州のランド・マーク] [ウラルトゥ王国] [ウラルトゥ王国略史] [ヴァン湖] [タレシュ人] [ザグロス山脈]