ラタキア市
追加情報
- 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。
- 小辞典版推奨判定
- 「交流+知性 目標値8〜10」、「情報+知性 目標値10〜12」
- やや詳しい情報 ラタキア市は、シリアの首都ダマスカス?の北北西230kmで地中海東岸に面している。キプロス島東端から97kmほど。
- ラタキア県域沿海部の南端に位置。県域西縁で言うとの南北中ほどにあたる。
- ラタキアの港は、さほど大きくも長くもない半島を突堤のように利用し、間に挟まれた小湾に築かれている。
- 2007年現在、シリアの他の県同様、大統領に任命され、中央政庁から派遣された知事が県の行政府を率いている。
- 港に隣接する市街の景観は、西欧風。
- これは、20世紀初頭から、ラタキア港を再開発したのが、主にフランス共和国などの西欧資本だったこと、第2次世界大戦?後の数年間、ラタキア港を含む地域が、フランスの信託委任統治領とされたこと、などによる。
- 港湾は、基本的には、1次産品の輸出港で、綿、果実、卵、タバコ、アスファルトなどが集散される。
- 貨物便の往来が多いが、キプロス島、トルコ、エジプトなどとの間でフェリー便も周航。
- シリア出入国の地方センターの1つとして、内外の旅行者の往来も多い。シリア北部の要都アレッポ?に至る鉄道の起点にもなっている。
- 例えば、キプロス島、トルコ、レバノンなどとの間のトランジット客?も少なくない。あるいは、ラタキアの港町をベースに、ある程度の日数をかけて、シリア内外の近傍のエクスカージョン・スポット?を巡る長期滞在者もいる。
- 小辞典版推奨判定
- 「交流+知性 目標値10〜12」「交流+知性 目標値12〜14」
- やや詳しい情報 ラタキア港は、古代にヘレネスたちから、「白い岬(の地)」(“Leuke Akte”)と呼ばれた。
- 港湾街区の後背には、緩やかな斜面が続き、ブドウなど地中海式農作地に使われている。
- 小辞典版推奨判定
- 「歴史+知性 目標値10〜12」「情報+知性 目標値12〜14」
- やや詳しい情報 数少ない例外を除いて、港湾の市街地には古代遺跡の類は遺っていない。多くは、地震などの災害で失われた。例外的にローマ時代の凱旋門などが遺っている。
- ラタキア近傍の遺跡、史跡には次のようなものがある。
- 港街の北方10kmほどに位置するラス・シャムラには、古代国家ウガリットの遺跡が遺っている。
- 港街の東方24kmの山中には、フェニキア人が建てた城塞跡に十字軍が建造した砦が遺る。
この城塞は、サラディンに攻め落とされたため、一般に「サラディン城」の名で呼ばれることが多い。 - ラタキアの東方50kmほど、サーヒリヤ山脈?とオロンテス川の東に、セレウコス朝時代に遡るアパメアの遺跡?が遺る。
- ラタキアの南30kmほどの沿岸から10kmほど南東に入った山裾に、十字軍時代にホスピタル騎士修道会が拠点にしたマルカブ城の城址が位置。
この城は、11世紀にアラブ人が建てた城を、ホスピタル騎士団が改修したもの。 - 港町の南60kmに位置するタルトゥースと沖合いのアルワード島(どちらもタルトゥース県?)は、フェニキア時代、ローマ時代、十字軍時代に栄た地で、史跡や博物館がある。
- タルトゥースの港町から南7kmほどに、フェニキア時代の遺跡アムリット?がある。
- タルトゥースの港町から南東30kmほどの高台の上に、12世紀に十字軍が建てたサフィータ砦の史跡が遺っている。
- 小辞典版推奨判定
- 「情報+知性 目標値12〜14」
- やや詳しい情報 ラタキア市は、ラタキア県を4つに区分している郡の内、最も広いラタキア郡の行政中心も兼ねている。内、ラタキア郡は、県域中ほどを南西〜北東方向に概ね2分する線の北側で、県域の半分弱を占めている見当。県域の沿海部は皆、ラタキア郡に含まれている。
- 「難易度が、ある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。
- 小辞典版推奨判定
- 「歴史+知性 目標値12〜14」
- さらに詳しい情報 ラタキア港の地は、紀元前1000年頃から、フェニキア系都市国家が管理する港湾として栄え、有名になった。ウガリット遺跡の考古学調査でも、それ以前、紀元前15世紀〜紀元前14世紀頃にも栄えていたことが確認されている。さらに古く、B.C.3000年頃にはエブラ人の勢力圏として栄えた。
- 古代マケドニアのアレクサンドロス3世率いる東征軍がこの地を征服した後、セレウコス朝の領地とされた。「ラタキア」の名はセレウコス1世の命名により、1世の母后の名にちなんだ、と伝えられている。
- その後、セレウコス朝3大港湾の1つとして、アンタキア、アパメアと共に有名に。一時は、セレウコス朝の王都とされたこともある。シリア産ブドウ酒の輸出港として知られ、ローマ時代にも引き続き栄えた。
- 十字軍侵出時にも重要な港湾拠点とされたが、十字軍国家とアラブ勢力との争奪、モンゴル西征軍の進攻などが重なる内に衰微、していった。
- 16世紀から、一帯は、オスマン・トルコ領に。この頃には、地域はアラウィ派が多数派の趨勢が定まっていたが、港町にはスンナ派信徒も少なくなかった。
- 港町は19世紀までに衰微。小さな漁村があるばかりになっていた。20世紀にフランスの信託統治領となってから再開発され、再度栄えるようになった。
GM向け参考情報
- GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイデア・フックなど
環境
ラタキア港とその港町は、国土のほとんどが高地になっているシリアにあって、地中海東南部の沿海部平地に位置しています。キプロス島の北キプロス共和国?とは、地中海を介して対面しています。
東方では、ヌサイリーヤ山脈?が概ね南北に走り、オロンテス平原?との間を隔てている。
港の後背地には、ヌサイリーヤ山脈に連なる丘陵地と微傾斜地が広がっている。
気候は地中海性気候で、植生は豊か。夏季はかなり暑い。
交通路
国際便の貨物船や、観光フェリーが周航。
ラタキアには2系統の基幹道路、1本の主要自動車道、1系統の地方道が通じている。
鉄路は、2系統の路線の起点となっている。近傍に空港の類はない。
- 基幹道路
- アレッポから、ホムズを経由しダマスカスに至る基幹道が、アレッポの南西で西に分岐。シリア-トルコ国境をかすめるとラタキアに至る。
- 正確には、アレッポから分岐してきた基幹道は、ラタキアの東を南下し地中海東岸沿いの港湾都市を経由した後、ホムスに至る環状線をなしている。
- ただし、ラタキアからも、この環状線と同じ格で整備された自動車道が接合しているので、アレッポ方面へ向うルートと、ホムス方面に向うルートとの2系統を数えることもできる。
- 主要自動車道
- ラタキアを起点とすると、地中海東岸に沿うように山地を北上、現トルコ領のアンタクヤ(ハタイ)を経由した後、イスケンデルン湾に面すイスケンデルン市に至る。(同市近郊には国際空港が位置)
- 地方道
- 南周りの基幹道路に沿うように走る地方道が、ラタキアを起点にしている。この道路からは数箇所で地方道が東に分岐。広い意味でのシリア沙漠西縁を縁取る山脈を越え、基幹道や地方都市の間を結んでいる。
- 鉄路
- ラタキアを起点に、アレッポに至る鉄路が1路線。
- やはりラタキアを起点に、シリア領内の地中海東岸に位置する港湾都市をつなぐ鉄路が1路線。
別称類
「ラタキア」は、英語名。
フランス語で、「ラタクィェ」。
アラビア語による現地名が、「ラディクィヤー(アル・ラディクィヤー)」。
ラテン語による古称、「ラオディケア」、または、「ラオディケア・アド・マーレ」。
活用や検討
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参照:[ラタキア県]