二アール・ノイジァラック
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ニアール・ノイジァラック(Niall Noigiallach)は、アイルランドの歴史伝承に伝えられる伝説的人物。アイルランド王(リー・エーレン)?になったことがある、と伝えられている。アイルランドで6世紀頃から勢力が強くなったウィ・ネイル?系氏族の名祖とされた。
伝承は、ニアールには2人の后と、8人の子がいた、と伝えている。このニアールの8人の子供たちが、アイルランドで6世紀頃から勢力を強めたウィ・ネイル系部族のそれぞれで、部族の始祖とされた。
「ノイジァラック(Niall Noigiallach)」とは、アイルランド・ゲール語?の古い形で“nine hostages”といった意味。つまり、「ニアール・ノイジァラック」とは、「九人の捕虜を捕らえたニアール」といった名だった。
この名は、歴史物語で、リー・エーレンだった時期のニアールが、交戦した王国から人質として王族を預かった、とされることに由来する。
人質を預かった相手国については、物語によって様々な国が挙げられていて、一定していない。例えば、アルスター、コナハト、マンスター、レンスターの王国から人質を預かった、とされる。あるいはスコットランド王国?、サクソン王国?、フランク王国?から人質を預かった、としている物語もある。
ニアールの王位在位期間は、後世編まれたリー・エーレンの年代記では、概ね、4世紀末から5世紀初頭にかけて、とされた。例えば、378年〜405年とする年代記、368年〜 395年とする年代記などが知られている。
これらの年代記は、盛期中世の12世紀頃から、すでに近世の17世紀頃にかけて編まれたもので、伝説や歴史物語を材料に数世紀前の年代記を編成している。又、考証に際しても『聖書?』やグレコ・ローマンの歴史伝承の記述を史実として前提したような年代記だった。このため、伝えられるニアールの王権の様子も、半ば以上伝説と入り混じっている。
例えば、ニアールが人質を預かったとされることのあるスコットランド王国、サクソン王国、フランク王国などが成立した時期は、ニアールの時代とされた時期よりもかなり後にズレている。
あるいは、ニアールは、指揮下の部族を率いて、度々、ウェールズや南西イングランドを襲撃したとされている。ヒベルニア部族集団の海賊的な襲撃については、当時のブリタニア側にも記録があるので、この類のエピソードは事実には基づいていると思われる。
しかし、年代記が、ニアールに率いられた襲撃団が若き日の聖パトリック?をアイルランドに拉致してきた、と伝えているのは、これが事実かどうか確認されていない。
現在の研究者の多くは、ニアールはおそらく実在した部族長だっただろう、と考えることが多い。彼らの間では、伝統的な年代記に記したよりも半世紀ほど遅い時期、つまり5世紀前半頃が、ニアールが活動した時期だっただろう、と推測されることが多いようだ。
11世紀頃の歴史物語『エオヒド・マグメドンの息子たちの冒険』は、ニアールは、リー・エーレンだったエオヒド・マグメドンの5番めの男児だった、と伝えている。マグメンドンは、マンスター王?の姉妹だった最初の妃モンフィンドとの間に4人の男児を設けていた。その後、2人めの后としたサクソン王の姫、黒髪のケイレンとの間に生まれたのがニアールだった、とのことだ。
5世紀頃は、まだブリタニアにはサクソン系王国は成立していない。物語に後世の潤色があることがわかる。「ケイレン」はラテン語系の女性名がゲール語化したものなので、あるいは、ニールの母親はブリテン島から拉致されてきたローマ化したブリトン人だったかもしれない、とは言われている。
歴史物語は、「貴族の間でのニアールの人望を見て、モンフィンドがエオヒド・マグメドンに自分の息子4人の1人を世継ぎに指名するよう迫った」と伝えている。マグメドンは、世継ぎの選定をドルイド僧に委ねた。
ドルイド僧は、5人兄弟を鍛冶作業場に入れると工房に火をかける。それぞれが、何を持ち出したかを見て、世継ぎを決めることにし、大きな鉄床を持ち出したニアールが世継ぎに選ばれた。二アールの王位継承譚には別種の物語もいくつか伝わっている。
歴史物語『ニアール・ノイジァラックの死』では、ニアールは、大陸部ヨーロッパのアルプス?近くまで遠征した後、スコットランドで襲撃され死亡したかに記されている。
物語の展開に不自然さがあり「大陸遠征」のヵ所はより後世に挿入されたのだろう、と言われている。あるいは、ブリタンニアがローマに征服された時代のことがアイルランドでは忘れられた時期に、ニアールがローマ化していたイングランドに遠征した物語が再話され、ローマまで遠征したと語られた、とする説もある。
ニアールの遺体は、配下が持ち帰りナヴァン?の北西に位置するファウガン丘陵?(現在のミース県中央部)に埋葬された、と語られている。
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