クァーサル・イブリム
やや詳しい情報
- 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。
アスワン・ハイダムの完工前、「クァーサル・イブリム」はナイル川流域の渓谷上端部に位置していた小都市だった。
ハイダム完工後ナセル湖が形成されると、周辺の土地は島になり、現在は湖上に遺っている。島は、ナセル湖南域の東岸間際に位置。対岸には、ちょうど、トシュカ・プロジェクト?の為に刻まれた流水口が望まれる。
遺跡がある「島」は、ナセル湖が形成される前は、ナイル流域から70mほどの高さがある断崖の縁に面していた。元々は断崖の縁部に刻まれていた小さなワディ(涸谷)のような溝に、湖水が入って形成されたのが現在の島だ。
- 【参照地図】
クァーサル・イブリムは、ナセル湖の湖底に沈まなかった遺跡の1つだが、アブ・シンベルやフィラエ島のイシス神殿と違って、元々の場所に遺っている点が珍しい。
実は、ナセル湖周辺の遺跡で、湖底にも沈まず、移築もされていない大きな遺構が見られるのはここだけだ。遺跡地帯は、ハイダム建造中も、完工後も、何度かの考古調査を重ねられ、中世ヌビアの貴重な史料が多数発掘されている。
現在、遺跡がある小島は観光客の寄留、上陸が認められていない。特別な許可を得た考古調査チームだけが上陸を認められる遺跡スポットで、観光化はされていない。ほとんどの観光客は、遺跡の存在も知らずにいる。
- 【参照地図】
- 歴史的ヌビア地域の略地図(Wikimedia Commons)
“Qasr Ibrim”の地名は、第2急湍〔きゅうたん〕の北東右岸に記されている。
遺跡地帯でのヒトの集住は、末期王朝時代?まで確認されている。古代エジプト?の遺跡としては、むしろ新しい時代に属す。
実は、遺跡地帯には、19世紀の1840年代まで居住者がいた。
遺跡には、9世紀に建立された砂岩のキリスト教聖堂が遺っている。この聖堂の基台の地下からはイシス女神を祀った神殿址が発掘された。
他に、中世下ヌビアのキリスト教文化に関連する史料、遺物が発掘されている。特に、古いヌビア系言語で記された、政治関連、経済関連の文書記録が多量に発見されている。
遺跡は、当初は、第25王朝?のタハルカの命で、警備用の砦として築かれたらしい。丁度、第1急湍〔きゅうたん〕と第2急湍との中間あたりに位置した。
ノバティア王国の時代を経て、ノバティアがマクリア?に併合された後、周辺地域の行政中心になったと思われる。城砦(クァーサル)として築かれた集落が、城壁都市に変化したタイミングがいつ頃かや、その経緯などは、まだ詳しく解明されていない。
GM向け参考情報
- GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど
参照イメージ
- Qasr Ibrim(LOOKLEX)
遺跡の景観写真が、大きめの表示サイズで見られる。
補足情報
- クァーサル・イブリムの考古調査は、現在も断続的に重ねられている、との想定を推奨。
活用や検討
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キーワード:
参照:[遺跡] [ファラス] [小辞典ワールド編]