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アッシリア地方

アッシリア地方 
アッシリアちほう
(Region Of Assyria) 
簡易版

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PCが予め知ってていい情報

  • 「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。

 「アッシリア地方」は、しばしば、「古代メソポタミア?の北部を意味する古代地域名」として用いられる。

 単に「アッシリア」と呼ばれることもあるが、アッシリア国家?も「アッシリア」と呼ばれるので、紛らわしい。ここでは古代地域名としては「アッシリア地方」を用いることにする。

 「アッシリア地方」の場合、「古代地域名」とは、現在の研究者による用語にやや近い。少なくとも、現在も社会的に実用されることもある「歴史的地域名」ではない。

 「アッシリア地方」は、古代にも「アッシリア国家の領域」を意味した。細かくいえば、「アッシリア国家の中核部である、『アッシリア故地』」からはじまったが、アッシリア国家の盛衰にともなって拡大、縮小した。「アッシリア地方」の範囲は、時代による異同が大きかった。

やや詳しい情報

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 現在、古代メソポタミアの研究などで、しばしば「アッシリア故地」と呼ばれる「アッシリア」は、「アッシュル(神)?の地」を意味した。「アッシリア」は、「アッシュル神の所有物」といった意味だったのだ。「アッシリア国家」が、「アッシュル神の支配する国」だったように、「アッシュル神に所有される土地」を意味したのが「アッシリア(地方)」だ。

 アッシリア国家の発祥地である「アッシリア故地」は、ティグリス川流域で、メソポタミアの平地部北東域の中ほどの、あまり広くない領域だった。現在のイラク中北部の東域にあたる。古代都市アッシュル市?とその領域、せいぜい近傍都市とその領域までを含めた、極狭い地域が、現在の研究者が「アッシリア故地」と呼ぶ「アッシリア(地方)」の古い範囲にあたる。

 古アッシリア時代?の後半から、中アッシリア時代?にかけ、「アッシュルの地(アッシリア)」は拡大したが、その後、中アッシリア時代の末から新アッシリア時代の初頭にかけ、古いアッシリア故地に近い領域まで縮退した。

 現在、「メソポタミア平地部の北部がアッシリア地方」と言われることが少なくない。新アッシリア時代のアッシリア帝国領?を「アッシリア地方」とみなす意見だ。

 アッシリア帝国は、征服地を、アッシリア直轄領と、ある程度の自治も許された服属国とに2大別する統治方式を採っていた。「服属国の領域」は、バビロニア地方?や、シリア・パレスティナ地方?、あるいは、時期によっては古代エジプト?にまで及んだ。「新アッシリア時代のアッシリア帝国領」をアッシリアとみなす、と言っても、意図されているのは「アッシリア直轄領」のことだ。

 アッシリア帝国の直轄領も、時期によってある程度変動はある。が、「ティグリス川流域平地部の北域」から「ユーフラテス川中流域左岸の平地部」にかけて、とイメージすれば、帝国期アッシリア?の範囲としては、概ね該当するだろう。(ちなみに、両河川流域の南域が「バビロニア地方?」)。

 メソポタミア平地部の北西域が、アッシリア直轄領として定着した、アッシリアの帝国期中盤以前にも、アッシリア国家の勢いが盛んだった時期に服属地になったことはあった。しかし、アッシリア側の勢いが衰ええると自立を取り戻していた。実際、「ユーフラテス川流域平地部の北域」は、新アッシリア時代以前は、時代に応じて様々な地域名で呼ばれていた。

 現在の歴史用語としての「アッシリア地方(アッシリア)」は、次のように考えるといいだろう。

  • 「アッシリア地方(アッシリア)」とは、アッシリア国家の直轄地だった地域の古代地域名。範囲は、時代によって変動が大きい。
  • 「メソポタミア平地部の北域」をアッシリア地方とみなす用法は、広義の用法。この用法があてはまるのは、新アッシリア時代のアッシリア帝国半ば以降で、アッシリア国家の歴史や、古代メソポタミア史全体の内では、実際に用いられた期間は限られている。
  • 「ティグリス川流域平地部の中北部」をアッシリア地方とみなす用法は、狭義の用法。この地域は、アッシリア国家発祥の地でもあるので、現在は、しばしば「アッシリア故地」などと呼ばれる。

さらに詳しい情報

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 古代アッシリア国家の領域が、広く「アッシリア(地方)」と呼ばれるようになったのは、早くても紀元前18世紀頃ではないかと思われる。

 紀元前18世紀より前でも、アッシリア人たちは、自分たちの国家の領域あるいは、勢力圏を「アッシリア(アッシュルの地)」と呼んでいたことだろう。しかし、近隣の他文化からは、「スバルトゥ?(スバル人?の地)」と呼ばれていた。ことに、古い歴史を誇るバビロニア地方は、紀元前18世紀以降、アッシリア国家の国力が高まっても、しばらくはスバルトゥの地名で地域を呼ぶことが続けられた。

 1つの画期は、紀元前18世紀初め頃、アッシリアのシャムシ・アダド1世?の代、アッシリア国家が平地メソポタミアの北部を征服したこと、と考えられる。

 シャムシ・アダド1世が達成した広域征服は、その死後長続きしなかったのだが、しかし、この後、平地メソポタミの北東部を「アッシリア」と呼ぶ地名は広く通用するようになり、やがてはバビロニアでも用いられるようになっていった。

GM向け参考情報

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更新日時:2006/12/18 12:34:09
キーワード:
参照:[小辞典ワールド編] [考古学、歴史研究の関連用語] [ニムロデ] [ナボポラッサル] [メソポタミア地域]
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