聖コルンバ
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「聖コルンバ」は、カソリック教会?、正教会?、聖公会?、ルーテル教会?の聖人。6世紀前半にアイルランドで生まれ、6世紀末に没した。
聖パトリック?、聖ブリギットと共に、アイルランドの守護聖人とされている。スコットランドにキリスト教を伝えたことでも知られ、スコットランドの守護聖人でもある。アイルランドの12使徒?の1人にも数えられる。写本写字生、製本家、詩人などの守護聖人。
聖処女コルンバ?などとの混同を避けるかのように、「ローナのコルンバ」とも「コルム・キレ」とも呼ばれる。
6月9日が、聖コルンバ・デーの祝日。
- 【参照イメージ】
- 聖コルンバのステンド・グラス(Wikimedia Commons)
やや詳しい情報
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聖コルンバは、521年にアイルランドのアルスター地方で産まれた、と伝えられている。没年は、597年。現在のオファリー県?に修道院を創設した後、数年して死没したと思われる。
563年から現在のスコットランド地方で宗教活動をしていた。オファリー県での修道院創設時も、拠点はヘブリディーズ諸島のアイオナ島?だった。死没したのもアイオナ島で、死後、遺体はアイルランドに移送され、埋葬された。
コルンバは、現在のドニゴール県で、ウィ・ネイル系氏族(ニアールの後裔)の1つに産まれた、と伝えられている。伝承では、アイルランド王(リー・エーレン)?になった二アール・ノイジァラックから数えて4世代めの人物(ひ孫の息子)にあたる、とされていた。
ボイン川流域の現在のミース県にあったコルナード修道院?で、学徒としてラテン語やキリスト教神学を学ぶ。コルナード修道院は6世紀頃は、アイルランドでキリスト教的な学問の中心地の1つだった。コルンバは、コルナードの聖フィニアン?の弟子12人、「アイルランドの12使徒?」の1人に数えられた。
その後、司祭になり、543年にアルスターにデリー修道院?を、546年にダロウ修道院?を創建し修道院長になった、と伝えられている。他に、コルンバの創建による、と伝えられるアイルランドの修道院は多い。
スコットランド西方のヘブリディーズ諸島で、アイオナ島に新たな修道院を創建したのは、563年のこと、と伝えられている。以降コルンバは、スコットランド各地へのキリスト教伝道などに活躍することになる。アイオナへの転出については、560年頃、モヴィールのフィニアン?と写本の所有を巡って衝突したことが原因だったかに伝えられている。
コルンバは、12人の弟子と共に、スコットランドに渡り、アイオナに修道院を開設した、と伝えられている。
コルンバはアイオナ修道院を拠点に、未だキリスト教化していなかったピクト人に布教をした。ヘブリディーズ諸島や、スコットランド南西部に入植していたスコット族?には、既にキリスト教も浸透していたので、彼らに対する宗教的奉仕もおこなった。
ピクト人への布教では、フォートリウ王?ブリデイ1世への布教伝承が有名だ。スコット族の部族間や、スコット族とピクト人との間の部族間での調停役なども、しばしば果たしたようだ。
コルンバの弟子たちは、さらに北部イングランドや西ヨーロッパ各地にまでケルト系修道院を広めた。後世、コルンバはケルト系修道院制度の父、と呼ばれ、アイルランドの3大守護聖人の1人とされるようになった。
西ヨーロッパの各地にケルト系修道院制度を伝えた聖コルンバヌス?は、聖コルンバの弟子の1人だった。
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参照:[小辞典ワールド編] [歴史上の実在人物] [インナー・ヘブリディーズ諸島] [ヘブリディーズ諸島] [聖ブリギット]