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ワハン回廊

ワハン回廊 
ワハンかいろう
簡易版

英語表記
Wakhan Corridor
ロシア語表記
(調査中)
中文表記
瓦罕走廊
フランス語表記
Corridor du Wakhan
スペイン語表記
Corredor de Wakhan
アラビア語名
(調査中)

簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。

PCが予め知ってていい情報

  • 「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。

 「ワハン回廊」は、現在のアフガニスタン領北東部の、東西に細長い高地地帯の通称。

 パミール高原中心部の南に隣接。西部の概ねは、ヒンドゥー・クシュ東部山域の北斜面。東部の概ねはワハン渓谷?だが、渓谷は西部の北縁にも続いている。

 北のタジキスタン領と、南のパキスタン領及びカシミール地域北縁とに挟まれ、東端では中華人民共和国領に接している。

【参照地図】

やや詳しい情報

  • 「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。

 ワハン回廊は、渓谷の低い部分でも標高4,000m超の高地地帯。中華人民共和国領との国境部にあるワフジール峠で4,923m。5,000m〜6,000m内外の高峰も多い。

 現在のアフガニスタン=イスラム共和国の行政区分では、バダフシャーン州?の1部に含まれている。

 人口密度は過疎。ワヒ族を中心にしたキルギス系の部族集団が少数居住している。

【参照地図】

 ワハン回廊を囲む現在の国境線が概ね定まったのは、19世紀末。ただし、最終的に確定したのは、1963年に、中華人民共和国が、それまで主張していた領有権を放棄してから。

 ワハン回廊は、1893年にU.K.(連合王国)とアフガニスタン王国?(当時)との間で、デュランド・ラインが確定された際にアフガニスタン領とされた。当時、U.K.領になっていたインドとロシア領との間の緩衝地帯が意図された、と言われている。

 ちなみに、ロシアがワハン回廊の国境線を了承したのは、1895年のこと。

 一説に、「当時、アフガニスタンのアミールだった、アブドゥール・ラフマン?は、ワハン回廊の領有権を放棄し、地域から撤退したい意向を持っていた」が、「U.K.側が、他の案件とセットにした交渉で、ワハン回廊をアフガニスタン領として領有するようリードした」、とも言われている。

さらに詳しい情報

  • 「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。

 「増補待ち」。

GM向け参考情報

 「増補待ち」。

活用や検討

活用

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重要な改訂の情報

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検討

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