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オベリスク

オベリスク(obelisk)

PCが予め知ってていい情報

 単に「オベリスク」と言うと、普通は、古代エジプト?の王朝で作製された、特定のスタイルの記念碑を指す。上に行くほど細くなる四角柱(正確には四角錐台)の頂部がより急傾斜の四角錐となって終わる、一枚岩から切り出された縦長の石柱記念碑のことである。

追加情報

小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値10」「情報+知性 目標値12」
やや詳しい情報 オベリスクは、古代エジプト?の太陽神崇拝と関係した記念碑。その原型は、かなり古い時代に溯るが、現存する物の多くは、新王国時代?に作製、建立された。
 新王国時代?に、多数、建立されたオベリスクは、多くがヘリオポリス?に建立された他、各地の太陽神崇拝と関係する神殿、神域に建てられた。
 戦利品として古代から各地に移築された他、近、現代にエジプト政府が各国に寄贈した物も少なくない。欧米諸国の大都市で公園や広場に装飾品とされている例が多い。現在、エジプト=アラブ共和国国内には残るオベリスクは7〜9基と言われている。
 これらは、本来2対を1組として建立されたオベリスクの内の7〜9本であり、建立時のまま2本1組の配置で遺るオベリスクの例は現存していない。
小辞典版推奨判定
「言語+知性 目標値10」「歴史+知性 目標値12」
やや詳しい情報 「オベリスク」は、ヘレネス(ポリス時代の古代ギリシア人)が用いた呼称が、広まり定着したもの。古代ギリシア語では単に「焼串(のような形状)」を意味したに過ぎない。

小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値12」「情報+知性 目標値14」
詳しい情報 一説に、オベリスクの起源はベンベ石?にあるとも言われる。ただし、古王国時代?の太陽神殿でベンベ石を形象って建立された記念碑は、単体であったのに対し、いわゆるオベリスクは、知られる最古の例から、2本を1対とするのがスタンダードだった。オベリスクとベンベ石とは、イメージ上関係はあるものの、建造物としては別カテゴリに属す、とみなすのが通説になっている。
 現在知られている、オベリスクの最も古い物は、中王国時代?の第12王朝?に、センウセレト1世がヘリオポリス?のラー・アトゥム神殿に建立した物。このオベリスクは、現在もカイロ郊外のヘリオポリス遺跡に1本が遺る。対になっていた1本は、遅くとも12世紀には、倒壊していたことが、12世紀のアラブ人による旅行記に記されている。倒壊したオベリスクは、その後、いつの頃か建材として転用されてしまったのだろう。

小辞典版推奨判定
「歴史+知性 目標値14」
専門的知識 古代エジプトのスタンダードなオベリスクは、断面が正方形になっている。
 通例、花崗岩の類で作られ、20m〜30mほどの高さの例が多く知られている。(高さが低く、全体としてずんぐりしたイメージの石碑もある)
 多くのオベリスクは、柱部側面に、神聖文字の碑文で建立時の事情が刻まれている。
 「ピラミディオン」と呼ばれる、頂部の四角錐部分は、往時は金箔や銅箔で飾られていた。これは、太陽から注がれる陽光を現した物、と目されている。

GM向け参考情報

サイズ
 オベリスクごとに様々だが、多くは、20m〜30m程度。
 花崗岩の類の一枚岩から切り出されるのがスタンダードで、重量は100t以上と推定される物が多い。

活用や検討

活用

検討

  • 検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は書き換えられても仕方なし、ってことで)

更新日時:2005/12/13 09:29:14
キーワード:
参照:[黒のオベリスク] [スメンデス] [エジプト誌] [考古学、歴史研究の関連用語] [バース市街] [センウセレト1世] [アーティファクツやオーパーツ・ソース]
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