{{toc}} !ハワラの遺跡 ハワラのいせき (簡易版) !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 :'''英語名''':Archaeological Site at Hawara !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  「ハワラの遺跡」は、[[エジプト|エジプト=アラブ共和国]]で、[[ファイユーム地方]]の南東に近接した古代の遺跡地帯。[[古代エジプト]]の[[中王国時代|古代エジプトの中王国時代]]に建立されたピラミッド址を中心に、葬祭殿跡や、より後世の墓域などが遺っている。  [[ファイユーム・オアシス]]を擁す窪地は、袋状地のようになっていて、周辺を囲む微高地や低山地が南東方向で途切れている。この高地が途切れた方向を[[ユーセフ運河]]が流れているのだが、ハワラの遺跡は、丁度、微高地が途切れる端に位置。[[ファイユーム地方]]への入り口の北にあたる。 !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  ハワラの遺跡は、やはり[[ファイユーム県]]外縁の乾燥台地上に位置する[[ラフーンの遺跡]]の西方に位置。[[ファイユーム・オアシス]]内に位置する[[アルシノエの遺跡]]の南方にあたる。  遺跡地帯で、もっとも目立つのは、[[第12王朝|古代エジプト第12王朝]]の[[アメンエムハト3世]]が建立させたピラミッド。このピラミッドは、[[中王国時代|古代エジプトの中王国時代]]に建立された多くのピラミッド同様、日干しレンガで囲まれていた外周が崩壊しつつ、石灰岩で組まれた中核部分を囲んでいる。  かつて外周を飾っていた石板は、長い時代の間に石材に転用されてしまっているので、外見は[[遺丘]]のように見える。遺丘にしては小高い形状を保っているのは、内部の石組みが遺っているためだ。  ハワラの遺跡に遺るピラミッド址には、かつて葬祭殿も併設されていた。この葬祭殿は、[[ヘロドトス]]が「迷宮」として記し、ストラボンなどが古代に記録した建物だったと目されている。こちらも現在は、基壇部分が断片的に遺っているだけだ。  この葬祭殿かあるいは、ピラミッドの地下玄室が、アメンエムハト3世のミイラが埋葬された地だろうと推測されている。しかし、地下は地下水の湧出で発掘できず確認されていない。ピラミッド址から南に2kmほどの位置からは、アメンエムハト3世の娘、[[ネフェル-プタ]]の埋葬地が発掘されている。  また、ピラミッド址の北からは、ローマ時代の墓域も発掘されている。 ----  ハワラの遺跡では、19世紀半ばの1843年と、19世紀後半の1888年に大規模な発掘がなされた。  1888年の発掘では、紀元後1世紀〜2世紀にかけてのパピルス文書が発掘された。ローマ時代の簿域から被葬者の肖像画146点が出土したのも、この発掘の時だった。 !さらに詳しい情報 *「難易度が、ある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  「増補待ち」。 !GM向け参考情報 *GM向けの補足情報、[[マスタリング・チップス|チップス集]]、[[アイデア・フック]]など  「増補待ち」。 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[遺跡]] !!関連項目 *[[アメンエムハト3世]] *[[古代エジプトの中王国時代]] *[[古代エジプト第12王朝]] *[[ファイユーム県]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Hawara]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイデア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}