{{toc}} !メロエの遺跡 {{br}}メロエの遺跡 {{br}}(簡易版) !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 :'''アラビア語名の音''':(調査中) :'''英語表記''':Archaeological site of Meroe :'''フランス語表記''':(調査中) !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  「メロエの遺跡」は、[[古代ヌビア地域|歴史的ヌビア地域]]で営まれた[[メロエ王国]]の[[遺構]]多数が遺っている遺跡。  現[[スーダン領|スーダン共和国]]北部の[[ナイル流域|ナイル川]][[右岸|右岸、左岸,河川の〜]]で、[[アトバラ市|アトバラ]]の概ね南方、地図上の直線距離でおよそ100kmほど。[[シェンディ]]の概ね北東、地図上の直線距離でおよそ50km弱になる。 :'''【参照地図】''': *[[スーダン共和国]]略地図([[Sudan|http://www.merriam-webster.com/cgi-bin/nytmaps.pl?sudan]],[[Merriam-Webster Online]]){{br}}[[Sudan|http://www.m-w.com/maps/images/maps/sudan_map.gif]] !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  メロエの遺跡は、祭祀用の小さな祠堂が併設された[[メロエ式ピラミッド]]など、王宮関連の宗教遺構、多数が遺っていることで知られる。地域では[[古代クシュ王国|クシュ王国]]の王都が数世紀営まれ、後、[[メロエ王国]]の王都も営まれた。 //The Kushitic Kingdom of Mero? gave its name to the Island of Mero?, which was the modern region of Butana, a region bounded by the Nile (from the Atbarah River to Khartoum), the Atbarah, Ethiopia, and the Blue Nile. The city of Mero? was on the edge of Butana and there were two other Meroitic cities in Butana, Musawwarat es-Sufra, and Naqa.  おそらく、最も至近のアクセス・ポイントは、遺跡地帯の概ね南西に位置する基幹鉄路の地方駅(Kabushiya station)だろう。遺跡は、スーダンの首都、[[ハルトゥーム市]]からだと、概ね北東に位置し、地図上の直線距離で200kmほどになっている。  遺跡地帯は、西縁が[[ナイル流域|ナイル川]]から500m離れたあたりから、東に1.5kmほどの範囲に広がっている。ほぼ沙漠化した乾燥地(と、想定)。南側に、流水もある[[ワディ(涸谷)|ワディ]](Wadi Hawas)が刻まれ、河口部がナイルに開いている。周辺には、少数の集落(村)が散在。 :'''【参照地図】''': *[[SUDAN,MAP|http://lexicorient.com/sudan/map.htm]]([[SUDAN|http://lexicorient.com/sudan/index.htm]],[[LOOKLEX]]) ----  メロエ王国の都は、[[エチオピア高原]]で営まれた[[アクスム王国]]の侵攻を受けて、滅ぼされた。遺跡地帯からは、王名が刻まれていないアクスムの碑文を刻んだ石碑が発掘されている。現在のところ、メロエの都が壊滅したのは、およそ330年前後のいつか、と推定されている。 //Two more inscriptions in Ge'ez script have been found on nearby pyramids; it is uncertain whether they are contemporary with the royal stele, or belong to a later date; Ge'ez inscriptions have been found as far north as Kawa, 100 km upstream of the third cataract. !さらに詳しい情報 *「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  メロエの遺跡の現代的で科学的な考古調査は、現在までのところ、短期間で限定された範囲のものが少数例しかおこなわれていない。スーダン共和国が独立して以来、断続してきた内戦や戦争などのためだ。  遺跡の存在が欧米に伝えられるようになったのは、19世紀のことで、はじめは地域に進んだ探検家や商人などによって伝えられた。  1834年にイタリア人の医師が、遺跡の狭い範囲で、宝探し的な調査をおこない、宝飾品の類を発掘。この時の出土品は、現在その概ねが、[[ドイツ|ドイツ連邦共和国]]の[[ベルリン]]と[[ミュンヘン市]]とで収蔵されている。  1844年には、ドイツ人エジプト学者の[[カール・リヒャルト・レプシウス]](Karl Richard Lepsius)が、当時としては組織的な調査をおこない、遺構の平面図や外見スケッチを記した。  1902年〜1905年にかけて、[[コーンウォール]]出身の考古学者[[ウィリス・バッヂ]](E. A. Wallis Budge)が、当時のアングロ=エジプト政庁のバック・アップで、相当に組織だった調査を指揮した。  1910年頃にも、リヴァプール大学に属した調査団が、組織だった発掘調査をおこなった。 ---- *メロエ遺跡の地域では、クシュ王国時代に先立った[[ナパタ朝時代|ナパタ朝]]でも、重要な都市的集落が営まれていた。ナパタ朝から、メロエ王国まで、大まかにはB.C.800年頃からA.D.350年頃までの遺跡が層を成していることになる。 *「メロエ」の王朝名、地名は、古代ローマ人が記した記録によるもので、メロエ朝自体の記録に拠れば、王朝は「メデェウィ(Medewi)」、あるいは「ベデェウィ(Bedewi)」と呼ばれていたようだ。 *考古学的な調査によれば、地域では、中石器文化の集落が営まれていたことも確認されている。その後、メロエ王朝時代まで、断続的に町や都市が営まれたようだ。 *メロエ遺跡には、損傷程度が様々なメロエ式ピラミッドの遺構200内外が知られている。これらの遺構は、通例3グループに大別されている。 *メロエ遺跡に見られる古代文化は、時として、古代ベルベル系の民族と結びつけて論じられることもあるが[[定かでない]]。 *あるいは、[[遺跡地帯|遺跡]]の古層から出土する新石器文化を、中石器時代のカプシ文化(Capsian culture)と関連付ける意見もあるが、[[議論は多い|諸説ある]]。 *古代マケドニアの[[アレクサンドロス3世にまつわる伝説|アレクサンドロス伝奇]]によれば、アレクサンドロス自身が軍勢を率い、エジプトからメロエの都へ侵攻しようとした、と言う。([[女王カンダケの物語|女王カンダケ,メロエの〜]]){{br}}古代エジプトに入ったアレクサンドロス3世が、[[ナイル川]]の水源を探査するための少数の部隊を派遣したことは確からしい。しかし、軍団をナイル上流に進めようとしたといった同時代の記録は、知られていない。 !GM向け参考情報 *GM向けの補足情報、[[マスタリング・チップス|チップス集]]、[[アイデア・フック]]など  「増補待ち」。 :'''【参照地図】''': *メロエの[[遺跡地帯|遺跡]]略地図([[Wikimedia Commons]]){{br}}[[Image:Meroe gesamt new|http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cd/Meroe_gesamt_new.gif]] //It was found that the pyramids regularly were built over sepulchral chambers, containing the remains of bodies either burned or buried without being mummified. The most interesting objects found were the reliefs on the chapel walls, already described by Lepsius, and containing the names and representations of their queens, Candaces or the Nubian Kentakes, some kings, and with some chapters of the Book of the Dead; some stelae with inscriptions in the Meroitic language, and some vessels of metal and earthenware. The best of the reliefs were taken down stone by stone in 1905, and set up partly in the British Museum and partly in the museum at Khartoum. //別称類 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[遺跡]] !!関連項目 *[[アクスム王国]] *[[クシュ王国]] *[[女王カンダケ,メロエの〜]] *[[ナパタ朝]] *[[メロエ王国]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Mero?|http://en.wikipedia.org/wiki/Mero%C3%AB]] *[[MEROE|http://lexicorient.com/sudan/meroe.htm]]([[SUDAN|http://lexicorient.com/sudan/index.htm]],[[LOOKLEX]]) *[[Wikimedia Commons:Meroe|http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Meroe]](メロエ関連のフリー・ファイル集アーガイブ) *[[一覧:メロエ]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイデア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}