{{toc}} !遺跡 いせき (Archaeological Site) !PCなら予め知ってていい情報  「遺跡(Archaeological Site)」とは、人間が過去におこなった活動の痕跡、及び、その痕跡が残っている土地を指す。 !追加情報 :'''小辞典版推奨判定''':「歴史+知性 目標値10」限定 :: 過去に建造された建造物が部分的にでも遺っている場合、建造物自体は「[[遺構]]〔いこう〕」と呼ばれる。 :: 遺構の敷地(Site)を含め、周辺で過去の人間活動の痕跡が認められる一帯が「遺跡」になる。だから、「遺構」のことを「遺跡」と呼んでも間違いではない。ただ、「遺跡」と呼ぶと、建物以外の周辺も含んでしまうだけだ。 :: 遺構を持たない遺跡も多い。例えば、石器時代の「獲物解体場」と呼ばれるタイプの遺跡。このタイプの遺跡は、石器人が追い落とし猟などで得た獲物を、運び易く解体するため、継続的に利用した場、と考えられている。狩猟、解体に使われたであろう道具などの遺物(人工遺物)や、獲物の残余物(自然遺物)が出土するが、普通、遺構はない。 !遺跡関連の用語と遺跡リスト !!注記  [[小辞典]]では、このページにある以下の解説を、みな「PCなら予め知ってていい情報」とみなしています。 :遺跡名:簡単な解説 !!遺跡関連の用語 :'''[[アクロポリス]]''': [[古代ギリシア]]の[[ポリス]]の多くで、都市中核部に位置するよう、都市プランが意図された小高い丘を指す総称。通例、ポリスの祭神を祀る神殿、及び、所縁の神々の聖廟などが設けられた。 :: [[アテネ]]のアクロポリスがあまりに有名だが、多くのポリスに設けられていた。 :'''[[遺丘]]''' いきゅう: 何層もの遺跡層が成層し、丘のような形状を示すに至った遺跡。 :: 多くは地理的要因から対環境戦略上有利な地域に、繰り返し集落の類が営まれた結果生じる。 :'''[[遺構]]''' いこう: 「遺構」は、「人間が過去に活動した場所に残存している建造物、及び、その残余」を意味する。 :: [[遺跡]]が、「遺構の敷地、及び周辺の土地一帯を含むのに対し」、遺構は、ヒトの手になる建造物自体を意味する。(元々遺構を持たないタイプの遺跡もある。例えば、回遊する狩猟採取部族の野営地の「遺跡」など) :'''[[バシリカ]]''': キリスト教教会建築の、古い時代の形式を指す総称。十字架形の床面プランではなく、長方形の床面を壁で囲って建てられたのが特徴。長方形床面の両脇に細長い側廊を設けたタイプも多い。ゴシック式教会建築のように、高層なイメージの演出は見られない。 :'''[[ヒル・フィギュア]]''': 丘陵などの傾斜面に刻まれた、大きな平面的図像の類を指す総称。斜面に溝を刻むことで造築され、概ね傾斜面の高い部分に刻まれる。 :: [[イングランド]]に多い[[チョーク・フィギュア]]は、[[ヒル・フィギュア]]の一類。 :'''[[歴史的アレクサンドリア|アレクサンドリア,歴史的〜]]''' れきしてきアレクサンドリア: [[マケドニア|古代マケドニア]]の[[アレクサンドロス3世|アレクサンドロス3世,古代マケドニアの〜]]の名にちなんで建造された古代都市名。 :: 現在、単に「アレクサンドリア」(英語読みで「アレキサンドリア」)と呼べば、普通、[[エジプト|エジプト=アラブ共和国]]の[[アレクサンドリア|アレクサンドリア,エジプトの〜]]を指す。しかし、古代にアレクサンドリアと命名された都市は多数あった。 !!アジア地域 !!!西アジアの遺跡 :'''[[アッシュルの遺跡]]''' アッシュルのいせき: [[アッシリア]]発祥の地である古都[[アッシュル]]市の遺跡。現[[イラク共和国]]領北部で、[[ティグリス川]]の中流域に位置。2003年以降、イラク共和国で2件目の[[ユネスコ世界遺産]]として登録されている。 :'''[[ウガリットの遺跡]]''' ウガリットのいせき: 「ウガリットの遺跡」は、現、[[シリア=アラブ共和国]]領の西端で地中海に面す港湾都市[[ラタキア]](ラディーキヤ)に位置する。 [[ウガリット]]は、紀元前2[[千年紀]]に地中海交易で栄えた古代都市国家の名。 :'''[[エブラの遺跡]]''' エブラのいせき: 現[[シリア=アラブ共和国]]の北部に位置する古代[[都市国家]]の[[遺跡]]。 :: 紀元前3[[千年紀]]中葉の楔型文字のスタイによるシュメール語記法を用いた粘土板文書(エブラ文書)が、多量に出土。[[メソポタミア|メソポタミア地域]]の[[ウル第3王朝]]の影響とも考えられている。 :'''[[カルフの遺跡]]''' カルフのいせき:⇒ '''[[ニムルドの遺跡]]''' :'''[[ケバラ洞窟]]''' ケバラどうくつ: [[現イスラエル領|イスラエル国]]中北部、海岸寄りの内陸で、[[ワディ]](涸谷)に口をあけた洞窟遺跡。1980年代はじめに[[ネアンデルタール人]]の、ほぼ全身に近い遺骨化石が発掘された遺跡として知られる。 :: 「ケバラ・ケイヴ(ケバラ洞窟)」は、英語他による地名で、アラビア語による地名は「ムガート・エル・ケバラ」。 :'''コルサバードの遺跡''' コルサバードのいせき:⇒ '''[[ドゥール・シャルルキンの遺跡]]''' :'''[[テル・ハリリ]]''':⇒ '''[[マリの遺跡]]''' :'''[[テル・ベール・シェバ]]''': [[イスラエル国]][[南地区|南地区,イスラエル国の〜]]の北縁部で[[ベールシェバ市|ベールシェバ]]の近傍に遺っている[[遺跡]]。遺跡地帯は、イスラエル国定のテル・ベール・シェバ国立公園(Tel Beersheva National Park)の1部に含まれている。 :'''[[テル・マルディック]]''':⇒ '''[[エブラの遺跡]]''' :'''[[ドゥール・シャルルキンの遺跡]]''' ドゥール・シャルルキンのいせき: 現、[[イラク共和国]]北部にて、[[ティグリス川]]中流域[[左岸|右岸、左岸,河川の〜]]に位置する[[アッシリア|アッシリア国家]]の[[都市遺跡|遺跡]]。 :'''[[ニネヴェの遺跡]]''' ニネヴェのいせき: 現[[イラク共和国]]領北部、[[モスル市|モスル]]の付近で[[ティグリス川]][[左岸|右岸、左岸,河川の〜]](東側)に位置する[[アッシリア帝国]]の遺跡。[[粘土版文書の図書館|アッシュル・バニパル文庫]]が発見されたことで有名。 :'''[[ニムルドの遺跡]]'''(カルフの遺跡) ニムルドのいせき: 現[[イラク共和国]]領、北部にある、[[新アッシリア時代]]の王都の遺跡。 :'''[[バビロンの遺跡]]''' バビロンのいせき: 古代バビロニアを代表した都市の遺跡。現、[[イラク共和国]]首都[[バグダード]]の近くに位置し、バベルの塔のモデルになった神殿があったことで知られる。 :'''[[マリの遺跡]]''' マリのいせき: 現、[[シリア=アラブ共和国]]領東部で、[[ユーフラテス川]]がシリア-イラク国境と交わる地点のシリア側にて、ユーフラテス川の南岸に位置。 :: マリ王国は、紀元前3[[千年紀]]中葉から後半にかけ繁栄。独立都市国家としては、紀元前2[[千年紀]]前半まで存続。都市が滅んだのは、紀元前2千年紀中葉。 :'''[[マーリブの遺跡]]''' マーリブのいせき: [[アラビア半島]]の南部にて、[[イエメン共和国]]の東方内陸の岩山地帯に刻まれた[[ワディ]](涸谷)近傍に位置する[[遺跡]]。ユダヤ教聖典(『旧約』)に伝えられるシバ王国のモデルと目される、[[サバ王国]]と関係した遺跡。 !!アフリカ地域 !!!北アフリカの遺跡 :'''アブ・シンベル''': [[エジプト|エジプト=アラブ共和国]]北部に位置する、[[ナセル湖(ハイダム湖)|ナセル湖]]の南部西岸にて、西岸に近接した島状の土地にある[[遺跡地帯|遺跡]]の遺跡名。及び、観光客用に同じ島地内に開かれた町の名。 :: [[アスワン・ハイダム]]建造時に、水没を避けて移築された、[[アブ・シンベル大神殿(マアバドゥ・アブー・スィンベル・イル=アクバール)|アブ・シンベル大神殿]]と[[小神殿(マアバドゥ=イル・アスグハール)|アブ・シンベル小神殿]]とが位置。 :'''[[アブ・シンベル小神殿]]''' アブ・シンベルしょうしんでん: [[エジプト|エジプト=アラブ共和国]]北部の[[ナセル湖(ハイダム湖)|ナセル湖]]で、西岸南部の湖面に面した[[古代エジプト]]の[[遺構]]。 :: 近傍に現存する[[大神殿(マアバドゥ・イル=アクバール)|アブ・シンベル大神殿]]などと共に、「[[アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群]]」の一部として、[[ユネスコ世界遺産]]に登録されている。現在の両神殿遺構は、[[アスワン・ハイダム]]を作る際に水没を避けるため、移築された物。 :'''[[アブ・シンベル大神殿]]''' アブ・シンベルだいしんでん: [[エジプト|エジプト=アラブ共和国]]北部にて、[[ナセル湖(ハイダム湖)|ナセル湖]]西岸の南部で湖に臨む古代エジプトの[[遺構]]。 :: 近傍に現存する[[小神殿(マアバドゥ・イル=アスガール)|アブ・シンベル小神殿]]などと共に、「[[アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群]]」の一部として、[[ユネスコ世界遺産]]に登録されている。現在の両神殿[[遺構]]は、[[アスワン・ハイダム]]を作る際に水没を避けるため、移築された物。 :'''[[アポロニアの遺跡]]''' アポロニアのいせき: [[大リビア=アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国]]北東部、[[キレナイカ]]地方北縁の[[地中海岸|地中海]]に位置する[[遺跡]。[[アフダル丘陵|アフダル山地,リビアの〜]]から見下ろせ、古代ローマ系の[[遺構]]が遺る。 :'''[[エル-カブの遺跡]]''' エル-カブのいせき: [[エジプト=アラブ共和国]]の[[上エジプト地方|上エジプト]]で、[[ナイル川]]東岸、[[コム・エル・アフマル]]遺跡([[ヒエラコンポリスの遺跡]])の対岸に位置する遺跡。2006年現在、エジプトの外国人単独行動制限地域の内に位置している。 :: [[古王国時代]]の[[マスタバ墓]]、[[新王国時代|古代エジプトの新王国時代]]の神殿遺構、他が遺る。 :'''[[キュレーネの遺跡]]''': [[社会主義人民リビア=アラブ共和国]]の[[キレナイカ]]地方で、[[地中海]]南岸近に位置する、グレコ・ローマン系古代都市の[[遺跡]]。1982年以降、[[ユネスコ世界遺産]]に登録されている。 :'''[[クァーサル・イブリム]]''': [[現エジプト領|エジプト=アラブ共和国]]南部で、[[ナセル湖]]湖上の小島に遺る[[遺跡]]。主要な[[遺構]]類は、中世[[下ヌビア]]のもの。 :'''[[グイマーのステップ・ピラミッド]]''': [[アフリカ大陸|アフリカ]]の西近海で[[北大西洋|大西洋]]に浮かぶ[[スペイン領|スペイン]]領[[カナリアス諸島]](カナリア諸島)に遺る[[遺構群|遺構]]。諸島内の[[テネリフェ島]]に位置。 :: 比較的簡素な作りだが、[[メソ・アメリカ]]の古代文明で建造された多段式祭壇に、外形が極めて類似した[[ステップ・ピラミッド]]が複数、遺っている。現存するものは6基だが、残念なことに、往時の形状はとどめていなかった。1基のみ、全体が推定復元されている。1991年の再調査で、この遺構が意図的な建造物だったことが解明された。しかし、かえって遺構の建造者、建造経緯などが謎として提出された型になっている。2006年現在、この謎について定説は、専門的な研究者の間でも成り立っていない。 :: 現在までの歴史整理では、[[遺跡]]自体が場違いなものとしか言えない。遺跡自体が[[オーパーツ]]と言える事例の1つになっている。 :: 1998年以降、遺構群の周辺は、65,000平方mを敷地にした自然保護公園とされている。 :'''[[古代ムトの遺跡]]''' こだいムトのいせき: [[エジプト=アラブ共和国]]の[[ダフラ・オアシス]]で、[[オアシス地帯|オアシス]]北北西の外縁に位置。古代王朝時代に都市があった、と伝えられている[[遺跡]]。日干しレンガが崩壊し、[[遺丘(テル)|遺丘]]状に堆積、マウンドになっている地区。 :'''[[コム・オンボの神殿遺跡]]''' コム・オンボの しんでんいせき: [[エジプト=アラブ共和国]]の[[上エジプト地方]]で、[[ナイル川流域|ナイル川]]に位置する、コム・オンボの町近郊に位置する神殿遺跡。 :: ナイル川に面した小高い丘の上に、[[プトレマイオス朝時代]]に建立された神殿の[[遺跡]]が遺っている。 :'''[[シャーリーの遺跡]]''' シャーリーのいせき: [[エジプト|エジプト=アラブ共和国]]の[[スィーワ・オアシス]]で、オアシスの中心部、観光客向けの繁華なエリアに遺っている[[遺構]]。古代の遺跡ではなく、1920年代の後半までは用いられていた集合住居の遺構だ。 :'''[[ヂェベル・アル-マーゥタ]]''': [[エジプト|エジプト=アラブ共和国]]の[[スィーワ・オアシス]]で、中心街区の北に近接している岩山。アラビア語で「死者の山(又は、丘)」を意味する岩山で、およそ2千年ほどの間、スィーワ・オアシスの墓域として使われていた。無数の岩窟墓が遺っている。 :: ヂェベル・アル-マーゥタのさらに北には、「スィーワ湖」と呼ばれる大きめの泉がある。 :'''[[デール・エル-ハガル]]''': [[エジプト|エジプト=アラブ共和国]]の[[ダフラ・オアシス]]で、[[オアシス地帯|オアシス]]に遺る、小さめの[[神殿遺構|遺構]]。古代ローマ時代に建立された。アラビア語名は、「僧院」「修道院」といった意味。オアシスが、キリスト教化した後に、[[コプト教]]の修道院として用いられていた。 :'''[[ナブタ・プラヤの遺跡]]''' ナブタ・プラヤのいせき: [[エジプト=アラブ共和国領|エジプト=アラブ共和国]]の南部、[[シャルキーヤ沙漠]]内で1994年に発見された、石器文化の[[遺跡]]。 :: 2006年現在、まだ、一般社会ではさほど有名になってはいないおうだ。しかし、各国の考古学関係者は、もちろん、一部では「知られる限り世界最古の[[ストーン・サークル]]が発掘された遺跡」として知られている。 :'''[[ナブタ・プラヤのストーン・サークル]]''': 新石器文化の巨石記念物の1つで、[[エジプト|エジプト=アラブ共和国]]にある[[ナブタ・プラヤ遺跡]]の主要な[[遺構]]。現在知られる巨石記念物遺構の内、最も古い物とされている。 :'''[[ハワラの遺跡]]''' ハワラのいせき: [[エジプト|エジプト=アラブ共和国]]で、[[ファイユーム地方]]の南東に近接した古代の遺跡地帯。[[古代エジプト]]の[[中王国時代|古代エジプトの中王国時代]]に建立されたピラミッド址を中心に、葬祭殿跡や、より後世の墓域などが遺っている。 :'''[[ヒエラコンポリスの遺跡]]''' ヒエラコンポリスのいせき: [[エジプト=アラブ共和国]]の[[ルクソール]]市街南方で[[ナイル川]]の西岸に位置する[[遺跡]]。[[古代エジプト]]の[[先王朝時代|古代エジプトの先王朝時代]]に溯る。 :: 2006年現在、[[エジプトの外国人単独行動制限地域]]の内に位置している。 :'''[[フィラエ島のイシス神殿]]''' フィラエとうのイシスしんでん: [[エジプト=アラブ共和国]]南部でアスワン・ロウダムが成す人口湖に位置。人口湖の北部湖上に位置するアルギキア島に遺る、古代神殿建築複合。 :: 行政区で言うと[[アスワン県]]の県都[[アスワン市内|アスワン市]]郊外に位置。 :: 「本来のフィラエ島」は、現在のアルギキア島の南東に位置する。神殿は、アスワン・ロウダムの完工後、神殿複合の敷地の過半が年間のほとんどの期間水没する状態にあった。アスワン・ハイダム着工に伴う[[ユネスコ]]主導の遺構移築プロジェクトの一環として、現在の位置に移築されたもの。古代からの呼称を継承し、移築された[[遺構]]は「『フィラエ島の』イシス神殿」と呼ばれている。 :: 「[[アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群]]」に含まれる古代モニュメントの1つ。1979年以降、[[ユネスコ世界遺産]]の文化遺産に登録されている。 :'''[[ブヘン]]''': 古代エジプト王朝が植民市を築いた、下ヌビア([[歴史的ヌビア地域]]北部)の古代地名。要塞があったことで有名。 :'''[[マスタバ墓]]''' マスタバぼ: 「マスタバ墓」あるいは、単に「マスタバ」は、[[古代エジプト]]の研究で、[[古代エジプト時代]]の早い時期に、多数建造された墓廟建造物のタイプを指す総称。 :: 「マスタバ」は、アラビア語で、ベンチのような長椅子の類を意味する。マスタバ墓を遠くから見ると、その外見が長椅子のように見えるため「マスタバ墓」の呼称が用いられている。 :'''[[メロエの遺跡]]''' メロエの いせき: [[古代ヌビア地域|歴史的ヌビア地域]]で営まれた[[メロエ王国]]の[[遺構]]多数が遺っている遺跡。 :: 現[[スーダン領|スーダン共和国]]北部の[[ナイル流域|ナイル川]][[右岸|右岸、左岸,河川の〜]]で、[[アトバラ市|アトバラ]]の概ね南方、地図上の直線距離でおよそ100kmほど。 :'''[[メンフィスの遺跡]]''' メンフィスのいせき: [[古代エジプト]]の[[初期王朝時代|古代エジプトの初期王朝時代]]に、上、下エジプトの統一王都が築かれた地域の遺跡。[[カイロ]]の南方で[[ナイル川]]の西岸に位置。 :: 現在遺っている主要な[[遺構]]は、[[新王国時代]]以降の宗教建築の物。同地の地方神から有力神となった[[プタハ神]]の神殿跡、末期王国時代の宮殿跡など。 !!北アメリカ地域 :'''[[ランス・オ・メドゥズ国定史跡(カナダ)]]''' ランス・オ・メドゥズこくてい しせき: [[ニューファンドランド島]]の北西部にある[[カナダ]]の国定史跡。11世紀頃の住居址を中心にした[[遺跡]]が、管理保存されている。[[グリーンランド|グリーンランド(島)]]を除いた[[北アメリカ]]で、現在のところ確認されている唯一の[[ノース人]]入植地跡。1978年以降、[[ユネスコ]]の[[世界遺産|ユネスコ世界遺産]]に文化遺産として登録されている。 :: ノース人が伝えた『[[グリーンランド人のサガ]]』『[[赤毛のエイリークのサガ]]』の物語に関係した入植地の遺跡と、考えられている。 :: ニューファンドランド島北西部の大きな半島[[グレート・ノーザン半島|グレート・ノーザン半島,ニューファンドランド島の〜]]の北端部で沿岸に位置している。「ランス・オ・メドゥズ(L'Anse aux Meduses)」は、フランス語で「クラゲの小湾」を意味している。 !!ヨーロッパ地域 !!!西欧の遺跡 :'''[[アフィントン・ホワイトホース]]''': [[U.K.(連合王国)]]の[[南東イングランド]]にて、[[オックスフォードシャー]]南西端近くに位置している[[チョーク・フィギュア]]。古代から用いられた尾根道に臨んでいた丘陵の、斜面に刻まれている。この丘のすぐ南を、現在の[[リッヂウェイ・ナショナル・トレイル]]が通過。 ::  また、マウント遺跡である[[アフィントン・キャッスル]]も近接している。 :: 遺跡を擁す[[ホワイトホース谷|ヴェイル・オブ・ホワイトホース]]地区(ヴェイル・オブ・ホワイトホース)は、現在の行政区分ではオックスフォードシャーに属すが、[[伝統的地域区分|イングランドの伝統的地域区分]]では[[ウィルトシャー]]の一部を成す。フィギュアは、[[テイムズ川]]の南方で、地上180mほど(標高261m)の丘の上部に近い北西斜面に刻まれている。ちなみに、この丘の頂点は、オックスフォードシャー県域の最高点になっている。 :: アフィントン・ホワイトホース は、おそらく[[イングランド]]に遺るチョーク・フィギュアの内で、最も有名な作例の1つ。 :'''[[アントニヌスの長城]]''' アントニヌスのちょうじょう: [[グレート・ブリテン島]]北部の[[スコットランド]]で、[[ハイランド地方|スコティッシュ・ハイランズ]]の南外周近く(ロウ・ランドの北縁沿い)に、ローマ帝国が建造した境界防備用施設の通称。2世紀中葉に、[[アントニヌス帝]]の命令で建造された。 :'''[[ヴィクスの墳墓]]''' ヴィクスのふんぼ: [[フランス|フランス共和国]]北東部、[[ブルゴーニュ地域圏]]に属す[[コート・ドール]]県の、シャティヨン・シュル・セーヌ市近郊のヴィクス村にて、20世紀中頃に発見されたケルト遺跡。調査の結果、紀元前6世紀末の墳墓と鑑定されている。 :'''[[ウェイランズ・スミッシィ]]''': [[南東イングランド]]北西部の[[オックスフォードシャー]]南西端に位置する大きめの塚で、地下墓室を覆っている。普通は、[[新石器時代]]の墳墓と言わる。 :: 「ウェイランズ・スミッシィ」と言えば、ポピュラーには、[[遺跡地帯|遺跡]]よりも、この墳墓[[遺構]]を指すことが多い。 :'''[[カラニッシュの遺跡]]''' カラニッシュの いせき: [[スコットランド]]の[[ルイス島]]([[アウター・ヘブリディーズ諸島]])に位置。新石器文化の巨石記念物が遺る[[遺跡]]。[[遺構]]を指して「カラニッシュの立石」とも。 :: ヒストリック・スコットランドに指定された史跡で、[[U.K.(連合王国)]]に現存する[[ストーン・サークル]]遺構の内、ほぼ原型をとどめている物の1つ、とされている。 :'''[[ゲルマニアのローマ国境線|ゲルマニアのローマ国境線(遺跡)]]''' ゲルマニアの ローマこっきょうせん:「ゲルマニアのローマ国境線」とは、古代ローマ帝国が、ゲルマニア国境部の防衛の為に設けた防御施設遺跡の総称。[[ドイツ|ドイツ連邦共和国]]では、単に“Limes”(リーメス)と呼んで、この遺跡を指すことも多いようだ。 :: 1世紀末に[[ドミティアヌス帝]]の命で建造に着手され、2世紀前半の[[ハドリアヌス帝]]の代に、いったん完工。その後も増強が重ねられた。現在の[[ドイツ領|ドイツ連邦共和国]]南部で、[[ライン川]]中流域南部の[[右岸|右岸、左岸,河川の〜]]から[[ドナウ川]]源流域の東方左岸の間に建造された。2005年以降、[[ユネスコ]]の[[世界遺産|ユネスコ世界遺産]]に「[[ローマ帝国の国境線|ローマ帝国の国境線(ユネスコ世界遺産)]]」の件名で、[[ハドリアヌスの長城]]と共に登録されている。 :'''[[ザールブルク|ザールブルク(ローマ砦の遺跡)]]'''(ローマ砦の遺跡): 古代ローマ帝国が、[[ゲルマニアの城壁]]の一部として建造した古代城砦の[[遺跡]]。[[ドイツ連邦共和国]]の[[ヘッセン州]]で州域西部に位置。 :: 遺跡は、2005年に拡張認定された[[ユネスコ]]の[[世界遺産|ユネスコ世界遺産]][[「ローマ帝国の国境線」]]の1部として扱われている。1987年に登録されていた[[U.K.(連合王国)]]の「[[ハドリアヌスの長城]]」が拡張登録された際に含まれた。 :'''[[サーン巨人]]''' サーンきょじん: [[U.K.(連合王国)]]の[[南西イングランド]]にて、[[ドーセット|ドーセット,イングランドの〜]]中部南寄りに位置するサーン・アバスの村に遺る巨人像。村の真北に位置する小高い丘中腹の地面に刻まれている。「サーン・アバス巨人」とも。 :'''[[タラの丘]]''' タラのおか: [[アイルランド共和国]]北東部の[[ミース県]]で、[[ボイン川]]流域から遠くない位置にある[[遺跡地帯|遺跡]]。州都[[ナヴァン]]の南方に位置。新石器時代以降の遺跡が複合した地で、アイルランド共和国では国定史跡として扱われている。 :'''[[ハドリアヌスの長城]]''' ハドリアヌスの ちょうじょう: [[グレート・ブリテン島]]北部で、現在の[[イングランド]]北縁、[[スコットランド]]との境界近くに、ローマ帝国が建造した境界防備用施設の通称。2世紀前半に、ハドリアヌス帝の命令で建造された。 :: 1987年に[[ユネスコ]]の[[世界遺産|ユネスコ世界遺産]]に登録。その後、[[ドイツ連邦共和国]]に遺るローマ境界(リーメス・ゲルマニクス)が登録申請され、2005年以降、併せて「ローマ帝国の国境線」の件名で拡張登録されている。 :'''[[メイデン・キャッスル]]''': [[U.K.(連合王国)]]の[[南西イングランド]]地域に存在する[[遺跡]]。ヒトの活動痕跡は、新石器時代まで遡るものが確認されている。新石器時代末には、生活拠点として塚が築かれたが、大規模に拡張されたのは、鉄器が導入されたケルト時代のこと。通称で「キャッスル」と呼ばれているが、“Hill Fort(丘の砦)"と呼ばれている類の遺跡。[[イングリッシュ・ヘリテイジ]]に指定されている。 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[遺跡]]