{{toc}} !アリク・デン・イリ (Arik-den-ili) 簡易版 !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  アリク・デン・イリは、[[中アッシリア時代]]の[[アッシリア|アッシリア国家]]支配者の1人。紀元前14世紀末頃に在位したと思われる。あるいは、治世が紀元前13世紀初頭に及んだ、とする[[説もある|諸説ある]]。  先代からはじまっていた[[バビロニア]]との戦争を、継続した。 !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  アリク・デン・イリは、父親で先代の[[アッシリア王|古代アッシリアの王位]]だった[[エンリル・ニラリ]]の跡を継いだ。  治世期間については、幾つかの説が唱えられている。主な説では、B.C.1319年〜B.C.1308年とする中年代説が、現在の主流説。一部に、B.C.1307年〜B.C.1296年とする低年代説を[[唱える研究者もいる|諸説ある]]。  アリク・デン・イリの代のアッシリアは、現在のアッシリア研究の歴史整理では[[中アッシリア時代]]の初期にあたる。足掛けで12年間と目される治世について、あまり詳しいことはわかっていない。  当時、祖父で先々代にあたる[[アッシュル・ウバリト1世]]が、婚姻政策で安定させた[[バビロニア]]の[[バビロン第3王朝]]([[カッシート王朝]])との関係が、乱れて久しかった。アリク・デン・イリは、エンリル・ニラリの代からはじまっていた、アッシリア・バビロニア戦争を続けた。 !さらに詳しい情報 *「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  中アッシリア時代初期の[[アッシリア|アッシリア国家]]は、[[アッシュル・ウバリト1世]]が、バビロニアとの関係を安定させつつ、[[ミタンニ王国]]を[[ヒッタイト]]と挟撃。長年の圧迫から解放された。  しかし、ミタンニの弱体化は、広域のパワー・バランスを乱し、アッシリアとバビロニアの交戦がはじまった。この交戦状態は、数世代をかけてアッシリア側の長期的な優位が確立するのだが、バビロニア側は、ヒッタイトと同盟し、アッシリアを挟撃する構えをとった。  この間、漁夫の利を得た型のヒッタイトは、帝国期とも言われる新王国時代(新ヒッタイトとは別)に移行し、古代オリエント史は新たな局面に推移していった。 !GM向け参考情報 *GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど  「増補待ち」 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[歴史上の実在人物]] !!関連項目 *[[アダド・ニラリ1世]] *[[エンリル・ニラリ]] *[[中アッシリア時代]] !!資料リンク *[[Wikipedia日本語版:アリク・デン・イリ]]{{br}}[[Wikipedia英語版:Arik-den-ili]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイディア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}