{{toc}} !アシャリド・アピル・エクル (Asharid-apal-Ekur) 簡易版 !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  アシャリド・アピル・エクルは、紀元前11世紀の前半に、数年間だけ[[アッシリア国家|アッシリア]]を統治したアッシリアの統治者。  彼が立位した頃は、一時拡大していたアッシリア支配地に、アラム系諸部族の波状的な侵入が続いた時期にあたる。アシャリド・アピル・エクルの短い治世については、何もわかっていないに等しい。 !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  アシャリド・アピル・エクルの在位期間は、B.C.1076年頃からB.C.1074年頃まで。足掛けで数えても3年間でしかない。その治世を現在の時代区分で言うと、[[中アッシリア時代]]の末期にあたる。  父である[[ティグラト・ピラセル1世]]は、先代の[[アッシリア王|古代アッシリアの王位]]にあたる。  ティグラト・ピラセル1世は、四方に遠征を重ね、アッシリアの領土を数世代ぶりに拡張した。しかし、その治世後半は、アラム系遊牧集団の侵入に悩まされた。ティグラト・ピラセル1世は、アラム人討伐を狙ったと思われる西方遠征も何度かおこなっている。  あるいは、アシャリド・アピル・エクルや、彼の兄弟で王位を継いだ[[アッシュル・ベル・カラ]]も、ティグラト・ピラセル1世在世中に、対アラム人の遠征に出征したかもしれない。しかし、飢餓を背景に波状的に進入してくる遊牧民の波を止めることは、結局誰にもできなかったのだが。それが、はっきりするのは、もう数世代後のことになる。  アシャリド・アピル・エクルの短い治世について、何もわかっていないに等しいのは、おそらくは、ティグラト・ピラセル1世が征服した地域が、アラム系諸族の侵入で混乱に陥っていたため、と思われる。アシャリド・アピル・エクルの代に[[アッシリア故地]]にまで侵入が及んだとは考えづらいが、父の代に新たに征服された地域は大きな混乱に見舞われただろうことは、推測に難くない。  アシャリド・アピル・エクルの死の経緯もわかっていない。あるいは、遊牧民迎撃の戦陣で没したかもしれないが、[[定かではない]]。 !さらに詳しい情報 *「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  「増補待ち」 !GM向け参考情報 *GM向けの捕捉情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど  「増補待ち」 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[歴史上の実在人物]] !!関連項目 *[[ティグラト・ピラセル1世]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Asharid-apal-Ekur]]{{br}}[[Wikipedia日本語版:アシャレド・アピル・エクル]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイディア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}