{{toc}} !アッシュル・ダン2世 {{br}}アッシュル・ダン にせい {{br}}(Ashur-dan II) {{br}}簡易版 !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  アッシュル・ダン2世は、紀元前10世紀の後半に、数十年間、[[アッシリア|アッシリア国家]]の支配者を勤めた人物。 !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  アッシュル・ダン2世は、先代にあたる[[ティグラト・ピラセル2世]]の息子だった。父の死後、[[アッシリア王位|古代アッシリアの王位]]を継承。統治年は、B.C.935年〜B.C.912年で、足掛け24年に渡った。  アッシュル・ダン2世の治世は、現在のスタンダードな歴史整理では、普通、[[中アッシリア時代]]の末期とされる。しかし、近年、先々代[[アッシュル・ラビ2世]]の長期統治以降数代を「中アッシリア時代から新アッシリア時代への過渡期」とみなし、“アッシリア回復期”などと呼ぶ説も唱えられている。あるいは、「アッシュル・ダン2世の代からを[[新アッシリア時代]]と整理しよう」との意見もあり、[[議論は多い|諸説ある]]。  アッシュル・ダン2世の前までのアッシリアは、中アッシリア時代末期の紀元前12世紀末頃から西方より侵出してきたアラム系諸族によって弱体化し、混乱していた。ことに、ティグラト・ピラセル2世までの数世代は、記録すら乏しく、いわゆる[[暗黒時代]]にも似た様相が数代続いていた。  アッシュル・ダン2世の代から、その事跡や治世に関する記録が回復してくる。  史料の量はまださほど多くはなっていないが、記録によれば、アッシュル・ダン2世は、「アッシリア領に侵入してきたアラム系諸族を制圧した」と伝えらている。しかし、別の記録では「アッシリア領の国境を堅固にした」ともあるので、おそらくは、アッシリア故地近くまで侵出していたアラム系諸族を、西方に押し返したのかもしれない。  他に、アッシュル・ダン2世は、「州行政を整え」、「農地拡大を推し進め」、「食糧生産を著しく増やした」。  逆を読めば、ティグラト・ピラセル2世までの数代に渡るアッシリアは「国境が堅固でなく」、「州行政の機構も乱れ」、「農耕地は疲弊、縮退し」、「食糧生産も落ち込んでいた」ということだったのだろう。  ともあれ、アッシュル・ダン2世の跡を継ぐことになる[[アダド・ニラリ2世]]の代から、アッシリア国家は再度、活性化に向かい、数世紀前の領土回復に挑んでいくことになる。現在、研究者の間では「アダド・ニラリ2世以降のアッシリアが拡大路線に転じることを可能にした基盤は、アッシュル・ダン2世の治世中に整えられた」とする意見が、かなり多い。 !さらに詳しい情報 *「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  「増補待ち」 !GM向け参考情報 *GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど  「増補待ち」 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[歴史上の実在人物]] !!関連項目 *[[アッシュル・ラビ2世]] *[[アダド・ニラリ2世]] *[[ティグラト・ピラセル2世]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Ashur-dan_II]]{{br}}[[Wikipedia日本語版:アッシュール・ダン2世]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイディア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}