{{toc}} !アッシュル・ナツィルパル1世 {{br}}アッシュル・ナツィルパル いっせい {{br}}(Ashur-nasir-pal I){{br}} 簡易版 !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  アッシュル・ナツィルパル1世は、紀元前11世紀の半ばから後半に二十数年間、[[アッシリア|アッシリア国家]]の統治者だった人物。 !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  アッシュル・ナツィルパル1世の[[アッシリア王位|古代アッシリアの王位]]在位期間は、B.C.1050年〜B.C.1031年の、足かけ22年。  治世を現在の時代区分で言うと、[[中アッシリア時代]]の末期にあたる。  アッシュル・ナツィルパル1世は、先代にあたる[[シャムシ・アダド4世]]の息子だった。アッカド語に基づく王名「アッシュル・ナツィル・アプリ(Ashur nasir apli)」は、「アッシュール神は後継者を守護する」と言った意味。  アッシュル・ナツィルパル1世の治世は長めだったが、アッシリアは紀元前12世紀末から東進していたアラム人諸部族にいよいよ追い込まれたらしく、西方領土の一部喪失が確定的になった。  これらの地方には、この頃からアラム人の部族国家が幾つか分立したように思われる。あるいは、アッシリア領に疫病が蔓延したこともあったかもしれない。 !さらに詳しい情報 *「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  アッシュル・ナツィルパル1世の父で先代のシャムシ・アダド4世は、クーデタで王位を簒奪した、と考えられている。シャムシ・アダド4世が、アラム人によるアッシリアの混乱に付け入ったのか、あるいは、国家を建て直そうと乗り出したのかは、[[定かでない]]。  どちらにしろ、5年間しか在位できなかったシャムシ・アダド4世は、有効なアラム人対策を打ち出せなかったようだ。  息子のアッシュル・ナツィルパル1世は、と言うと、二十数年の治世を通じ、やはり有効なアラム人対策を打ち出せなかったようだ。  アッシュル・ナツィルパル1世の事跡記録は、主に宗教関係のものに占められている。  例えば、病気治癒を神に祈り、神殿に供物を収めた記録、西方領土喪失に際し、女神イシュタルに加護を願った祈願文などだ。イシュタル女神への祈願文で、自身のことを「悲しみにくれる者」と述べている例が知られている。 !GM向け参考情報 *GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど  「増補待ち」 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[歴史上の実在人物]] !!関連項目 *[[シャムシ・アダド4世]] *[[シャルマネセル2世]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Ashurnasirpal_I]]{{br}}[[Wikipedia日本語版:アッシュールナツィルパル1世]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイディア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}