{{toc}} !アッシュル・ニラリ4世 {{br}}アッシュル・ニラリ よんせい {{br}}(Ashur-nirari IV) {{br}}簡易版 !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  アッシュル・ニラリ4世は、紀元前11世紀の末頃に、短期間、[[アッシリア|アッシリア国家]]の支配者を勤めた人物。 !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  アッシュル・ニラリ4世は、先代にあたる[[シャルマネセル2世]]の息子。  在位は、B.C.1019年〜B.C.1013年と短期間。現在の歴史区分では、普通、[[中アッシリア時代]]末期の[[アッシリア王|古代アッシリアの王位]]とされる。アッカド語に基づく王名は、「アッシュル神は我を助くる」を意味した。  近年、一部に、「中アッシリア時代、最後のアッシリア支配者」との評価を主張する意見もあるが、現在のところ少数派の意見だし、[[議論は多い|諸説ある]]。  アッシュル・ニラリ4世自身の短い治世については、[[アッシリア王名表]]と[[リンム年代誌]]とに、王統の系譜関係と、在位年数とを記した記録が知られているだけで、細かなことは何もわかっていない。  アッシュル・ニラリ4世の地位を継承したアッシュル・ラビ2世は、シャルマネセル2世の兄弟だったと思われるのでアッシュル・ニラリ4世の叔父にあたる。なぜ、叔父が王位を継承したかはの経緯も不明。 !さらに詳しい情報 *「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  アッシュル・ニラリ4世を、「中アッシリア時代末期のアッシリア支配者」とする意見は、中アッシリア時代と、新アッシリア時代とを、粘土板古文書類で知れるアッシリア語の、言語変化に基づいた区分する歴史整理に準拠した整理。スタンダードな整理と言える。  アッシュル・ニラリ4世を、「中アッシリア時代、最後のアッシリア支配者」とするのは、むしろ政治史的な歴史整理と言っていいだろう。「アッシュル・ニラリ4世の次代のアッシュル・ラビ2世による長期統治が、新アッシリア時代のアッシリア国家拡大を準備した」との評価に基づくことが多い。  しかし、新アッシリア時代の国家拡大が、アッシュル・ラビ2世の施策によるものかどうか、現状では、必ずしも多くの研究者が同意しているわけではない。例えば、「スタンダードには、やはり中アッシリア時代のアッシリア支配者とされる[[アッシュル・ダン2世]]が、新アッシリア時代の再興を準備した」との意見の方が、まだ支持者は多い。  「アッシュル・ニラリ4世を、中アッシリア時代、最後のアッシリア支配者」とする説は、現在のところ、興味深い仮設、異説の1つ、くらいにみておいた方がいいかもしれない。  あるいは、「アッシュル・ニラリ4世の代までを中アッシリア時代末期」として、「次代のアッシュル・ラビ2世以降数代を、中アッシリア時代から新アッシリア時代への過渡期である“アッシリア回復期”」などと[[みなす説もある|諸説ある]]。こちらの説の方は、今のところ、まだ無難な歴史整理と言えるだろう。 !GM向け参考情報 *GM向けの捕捉情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど  「増補待ち」 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[歴史上の実在人物]] !!関連項目 *[[アッシュル・ラビ2世]] *[[シャルマネセル2世]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Ashur-nirari_IV]]{{br}}[[Wikipedia日本語版:アッシュール・ニラリ4世]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイディア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) *2007-02-05 (月) 19:18:48 鍼原神無 : 新たに起した「[[アッシュル・ラビ2世]]」の項との関連で、内容を調整。併せて、誤記述も修正しました。 {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}