{{toc}} !アッシュル・ニラリ5世 {{br}}アッシュル・ニラリ ごせい {{br}}(Ashur-nirari V) {{br}}簡易版 !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  「アッシュル・ニラリ5世」は、[[新アッシリア時代]]の[[アッシリア|アッシリア国家]]支配者の1人。紀元前8世紀の半ばに、10年強ほど在位。  [[アッシリア帝国]]初期の人物だが、その事跡、人物像などは、[[定かには解明されていない|定かでない]]。 !やや詳しい情報  アッシュル・ニラリ5世は、[[アダド・ニラリ3世]]の息子で、[[アッシュル・ダン3世]]の弟。  先代にあたるアッシュル・ダン3世の跡を継ぎ、B.C.754年頃アッシリア帝国の[[帝位|古代アッシリアの王位]]に就いた、と思われる。在位期間は、B.C.754年頃〜B.C.745年頃の足掛け12年  アッシュル・ニラリ5世の代は、[[アッシリア帝国]]の初期だが、帝国の支配力が低下していた。アダド・ニラリ3世の代、あるいは、[[アッシュール・ダイン・アピルの反乱]]以降続いた、統治力低下がいよいよ末期状態を示していた、と思われる。  遠征先征服地での諸将の半独立傾向、中央宮廷での将軍[[シャムシ・イル]]の専横、旧属国群の間で強まる自立化傾向、属国からの貢納物の停滞などなどだ。また、中央宮廷での高位宦官群の帝権壟断も考えられている。  しかし、王名による記録は少なく、あっても断片的で、アッシュル・ニラリ5世の事跡や人物像は、[[定かには解明されていない|定かでない]]。帝王がどのような地域に、どの程度の権力を振るえたかも、[[具体的な整理はなされていない|定かでない]]。  治世4年目(B.C.750年頃)と治世5年目(B.C.749年頃)とに軍勢を率いて遠征をおこなったようだ。また、その後おこなわれたと思われる[[ウラルトゥ王国]]への遠征は、ウラルトゥ王サルドゥリの軍勢に敗退した。  B.C.746年、帝国中央に近い[[平地メソポタミア|メソポタミア]]北部地域で、反乱が多発。この反乱の背景や経緯も、ほとんど伝わっていないが、多数の反乱が連鎖して、短期間に大混乱に陥ったようだ。  B.C.745年頃、おそらくはカルフ(ニムルド)で[[ティグラト・ピレセル3世]]がアッシリア帝位に就いた。アッシュル・ダン3世は、反乱勃発から[[ティグラト・ピラセル3世]]即位までの間に、死没したのだろう、と考えられている。 !さらに詳しい情報 *「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  「増補待ち」 !GM向け参考情報 *GM向けの捕捉情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど  「増補待ち」 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]] //関連項目 !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Ashur-nirari_V]]{{br}}[[Wikipedia日本語版:アッシュール・ニラリ5世]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイディア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}