{{toc}} !アッシュル・ウバリト2世 {{br}}アッシュル・ウバリト にせい {{br}}(Ashur-uballit II) {{br}}簡易版 !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  アッシュル・ウバリト2世は、[[アッシリア帝国]]及び、[[アッシリア|アッシリア国家]]最後の支配者とされている人物。  紀元前7世紀に、アッシリア帝国の都だった[[ニネヴェ]]が、[[新バビロニア]]と[[メディア王国]]との連合軍に攻め落とされた後、[[歴史的シリア]]北部の古代都市([[現トルコ領|トルコ共和国]]の[[ハラン]]近傍)に依って、残存兵力を取りまとめた。その後、数年間防戦した後、戦死。アッシリア残存軍も壊滅した。 !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  アッシュル・ウバリト2世が、[[アッシュル・バニパル]]など[[サルゴン朝]]に連なる[[アッシリアの王族|古代アッシリアの王位]]だったことは、確からしい。しかし、先代にあたる[[シン・シャル・イシュクン]]との関係は、[[定かには伝わっていない|定かでない]]。[[一説に|一説に〜]]、「シン・シャル・イシュクンの兄弟だった」とも言われるが、[[否定的な意見も少なくない|諸説ある]]。  普通は、メディア王国の王[[キャサクレス]]と、新バビロニアの王[[ナボポラッサル]]との連合軍が、ニネヴェを攻め落とした時、シン・シャル・イシュクンが戦死し、アッシュル・ウバリト2世は、兵をまとめて西方へ逃れた、と言われる。ニネヴェ陥落は、B.C.612年のこと。  「アッシュル・ウバリト」の名は、[[中アッシリア時代]]の[[支配者の名|アッシュル・ウバリト1世]]から採ったものであるはずだ。  おそらくは、王族であり、アッシリア軍の将軍でもあった人物が、残存アッシリア兵をまとめ、自らアッシリアの支配者(アッシュル神の代官)を宣して、「アッシュル・ウバリト(2世)」の名を称した、というあたりが確からしい。  アッシュル・ウバリト2世が再編したアッシリア残存軍が壊滅したのは、B.C.609年頃のこととされている。この年数は、ハランから出土した[[ナボニドス]]の王碑文を決め手に推定されている。アッシュル・ウバリト自身もこの時、戦死したのだろう。  現在、アッシュル・ウバリト2世は、普通、在位、B.C.612年〜B.C.609年頃、として扱われている。 ----  [[ユーフラテス川]]から遠からぬ、現在のハラン近傍の古代都市で残存兵を再編したアッシュル・ウバリト2世は、[[古代エジプト]][[第26王朝|古代エジプト第26王朝]]に援軍を求めたようだ。  B.C.610年に即位したばかりだった第26王朝の[[ネコ2世]]は、アッシリア軍への援軍を進発させたが、途上、[[古代ユダ王国]]の軍勢に挑まれた([[メギドの戦い]])、と伝えられている。これも、普通は、B.C.609年のこととされている。  もし、ユダ王国がエジプト軍を阻もうとしたのだとしたら、反アッシリア的な立場からの選択だった、とも、エジプトとアッシリアが結ぶのを妨げようとした、とも、すでに新バビロニアと結んでいた、とも、さまざまに言われている。  ともあれ、エジプト軍は北上し、新バビロニア、メディア連合軍に攻囲されていたアッシリア軍の加勢を試みたが敗退したらしい。  あるいは、「エジプト軍と合流したアッシリア軍が進撃したところを、新バビロニア、メディア連合軍に打ち倒された」とも言われる。しかし、B.C.609年の時点では、エジプト軍は余力を持って撤退したようだ(B.C.605年に新バビロニア軍と「カルケミシュの戦い」を戦っているため)。 !さらに詳しい情報 *「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  「増補待ち」 !GM向け参考情報 *GM向けの捕捉情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど  「増補待ち」 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]] !!関連項目 *[[アッシリア帝国]] *[[シン・シャル・イシュクン]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Ashur-uballit_II]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイディア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}