{{toc}} !アゼリー人 {{br}}アゼリーじん {{br}}(Azeries) {{br}}暫定版 !記事内容追加調査中の暫定版です !PCが予め知ってていい情報  「アゼリー人」は、[[チュルク系]]の[[民族]]で、現[[アゼルバイジャン共和国]]の基幹民族であるほか、[[カフカス地方]]各地や、[[内陸アジア]]に居住。[[イラン|イラン=イスラム共和国]]領北西部にも集住地域があり、、[[アフガニスタン|アフガニスタン=イスラム共和国]]、[[アルメニア|アルメニア共和国]]、[[グルジア]]各国の領内にもエスニック・グループ(民族集団)としての存在が見られる。また、[[イラク|イラク共和国]]国民にも少数のアゼリー人がいる。  「アゼルバイジャン人」と呼ばれることもあるが、民族としては「アゼリー人」の呼称を用いたほうが「アゼルバイジャン共和国国民(国籍保有者)」との区別がはっきりする。  1979年の統計では、アゼリー人は[[旧ソ連|ソヴィエト連邦]]全体に547万7千人が居住、とされていた(内、アゼルバイジャン共和国居住は470万9千人ほどとされた)。この統計には、イラン領内、アフガニスタン領内などのアゼリー人人口は含まれていない。 !追加情報 :'''小辞典版推奨判定''':「歴史+知性 目標値10〜12」「情報+知性 目標値12〜14」 ::'''やや詳しい情報''' 1828年、帝政ロシアと[[カジャール朝]]との交戦の末に結ばれたトルコマンチャイ条約で、[[アラス川]]以北がロシア帝国領として割譲された。概ね、現アゼルバイジャン共和国領にあたるこの地域では、当時までに主流になっていたアゼリー人の民族的な結束がロシア統治下で高まり、1918年の[[10月革命]]前後に「アゼルバイジャン民主共和国」が樹立された。(この国は、1920年に赤軍が[[バクー]]に侵攻した直後に解体された) :: 1828年の割譲以前は、現[[イラン|イラン=イスラム共和国]]領北西部から現[[アゼルバイジャン|アゼルバイジャン共和国]]の領域にかけてが、イランのイスラム王朝の影響下でアゼリー人の勢力圏になっていた。 :: 現在でも、アゼルバイジャンのアゼリー人の間では、イラン=イスラム共和国領北西部の[[東アゼルバイジャン州]]、[[西アゼルバイジャン州]]の一帯が、「南アゼルバイジャン」、あるいは単に「南」と呼ばれ、地域と住民に対する強い親近感が抱かれている。 ---- :'''小辞典版推奨判定''':「言語+知性 目標値10〜12」「歴史+知性 目標値12〜14」 ::'''詳しい情報''' アゼリー人は、16世紀に[[イラン高原]]で[[サファヴィー朝]]が興きた頃から、民族集団としての形成が進んでいたようだ。サファヴィー朝が[[オスマン=トルコ帝国]]から、現アゼルバイジャン地方も含めた[[南カフカス地方]]を奪取したのは、16世紀も末になってのこと。 :: 使用言語を中心に見た系統では、アゼリー人は、7〜11世紀頃に[[内陸アジア]]から西進、拡散したチュルク系[[オグズ族]]の系統と目される。[[セルジューク朝]]時代に、イラン高原北西部に侵出したチュルク系集団が先住民と混交。サファヴィー朝自体はイラン系の王朝だが、その影響下にあったオグズ族系統の諸部族が中核となり、12イマム派の[[シーア派]]に改宗。こうした過程を経て形成されたのがアゼリー人だ、と目されている。[[トルクメン人]]とは系譜的に近縁になる。 :: [[トルコ共和国]]の[[トルコ人]]とも近縁、とされることもある。もちろん、現在のトルコ人もチュルク系であり、オグズ族の後裔なので系譜上の関係はある。しかし、現代トルコ人は、オスマン・トルコの800年近い歴史を通じてかなり独自の文化を営んできている。アゼリー人と現代トルコ人との民族的近縁性はあまり過大に評価しない方がいいだろう。 ::(現代トルコ人と比較するなら、アゼリー人とトルクメン人とは、[[イラン高原]]のイスラム王朝との関係、ロシア帝国や、旧ソ連との関係など、かなり関わりの多い歴史的体験を経てきている) :'''小辞典版推奨判定''':「言語+知性 目標値10〜12」「交流+知性 目標値12〜14」 ::'''詳しい情報''' アゼリー人は、[[母語]]としているアゼリー語の[[方言]]から、よく4つのサブ・グループに大別される。また、4つのサブ・グループである東アゼリー、西アゼリー、南アゼリー、北アゼリーの他に、[[イラン|イラン=イスラム共和国]]、[[アフガニスタン]]、[[アルメニア|アルメニア共和国]]、[[グルジア|グルジア共和国]]の各国に、上記の大別とは別種のアゼリー語方言を用いるアゼリー人たちのエスニック・グループ(民族集団)も存在していることが知られている。 ---- :'''小辞典版推奨判定''':「交流+知性 目標値14以上」 ::'''専門的知識''' かつてのアゼリー人は、ヒツジの牧畜と、大麦、小麦の栽培を主とした農耕の組み合わせが主流の生業だった。 :: アゼルバイジャン共和国では、ソ連邦時代に社会の工業化が進み、伝統的生業形態は主流とも言えなくなっている。その結果、アゼルバイジャン共和国も含めた各地の工業化されていない地域では、エスニック・グループごとの正業形態に、地域的伝統に基づく個性が目立つようになっている、との意見もある。 :'''小辞典版推奨判定''':「魔術+知性 目標値14以上」 ::'''専門的知識''' アゼリー人の間で信仰されている宗教は、アゼルバイジャン共和国とイラン=イスラム共和国とでは、12イマム派の[[シーア派]]が多数派になっている。しかし、これらの地域も含め、アゼリー人全体では、[[スンニ派]]を自認する人口も少なくはない。 :: シーア派、スンニ派のいずれを自認しているにせよ、アゼリー人のイスラム信仰には、単性論のキリスト教や、ゾロアスター教の影響が残っている。この傾向は山間僻地、あるいは遠隔地などで、比較的孤立している集団ほど色濃く見て取れる傾向がある。 !GM向け参考情報  アゼリー人のNPCをちょっとした脇役に使うんだけど、多少はそれらしい色をキャラに着けたい場合、とりあえずは国籍との関係を取っ掛かりにして、そこから工夫してみるといいと思います。  大げさに言えば、アゼルバイジャンのアゼリー人とアフガニスタンのアゼリー人とでは、言動やものの考え方が違うでしょう。もちろん、アゼルバイジャンのアゼリー人でも、政府の役人、都市部の工業労働者、山間僻地の牧畜民ではキャラクターが違っている方が自然ですが。まずは、国籍を踏まえて、その次に必要があれば生活環境なども併せたイメージを練っていく段取りが有効かと思われます。 !!用途  多少凝ったシナリオになるかもしれませんが、アゼリー人の社会や歴史を題材として扱い、達成されるべき[[ミッション]]に絡めて扱う料理法も考えられます。 :歴史ミステリー路線: 例えば、イラン北西部からでたチュルク系の王朝[[カジャール朝]]の歴史ミステリーに絡めた料理法など。 :古代史ロマン: [[ゾロアスター教]]や古代の[[単性論]]キリスト教に絡めた[[オーパーツ]]など。この場合、アゼリー人の内でもさらに謎めいた部族をフィクション設定するなどの工夫をすると料理し易そうです。 //補足情報 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]] //資料リンク !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイディア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}