{{toc}} !バフレイヤ・オアシス (簡易版) !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 :'''アラビア語名''':W???t al-Bahariya(ワーハト・アル-バフレイヤ) :'''英語''':Bahariya Oasis !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  「バフレイヤ・オアシス」は、[[エジプトの5大オアシス]]の1つ。[[エジプト=アラブ共和国]]の[[西方沙漠|西方沙漠,エジプトの〜]]東部で、[[ファイユーム・オアシス]]の西南西に位置。  [[カイロ市]]の南西で、地図上の直線距離で350kmほど。[[ファラーフラ・オアシス]]の概ね北東にあたる。 :'''【参照地図】''': *[[エジプトの略地図|http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/f/f4/Egypt-region-map-cities.gif]]{{br}}([[エジプト|エジプト=アラブ共和国]]の略地図,[[Wikimedia Commons]]) !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  バフレイヤ・オアシスは、[[ギザ県]]の南西部に位置する[[オアシス地帯|オアシス]]。人口1万5千人ほどのバウィーティ(Bawiti)の町を中心に、複数の集落(村落)が散在している。  オアシスといっても比較的平坦で、幾つかの窪地に泉があるほか、湧水や複数の鉱泉も散在。簡単なスパ設備が整えられた鉱泉もある。バウィーティのホテルの内には、小型バスやジープで鉱泉まで送迎するサービスを実施しているところもある。  ヤシの樹など植生が豊かなのは、集落地とその周辺で、集落の間は丈の低い草の草地。草地は、遊牧地などに用いられている。  バウィーティの町には、[[ギザ市]]経由で、[[カイロ市]]との間が自動車道で結ばれている。このルートを使って訪れる観光客も、少なく無い。カイロ市からの距離は、地図上の直線距離で大よそ300kmほど。自動車で3時間ほど、セルビス(乗り合いバス)だとおよそ5時間ほどになっている。  カイロ、ギザ方面からの自動車道は、バウィーティーの町で、概ね南西の[[ファラーフラ・オアシス]]へ至る道と、概ね東北東の[[スィーワ・オアシス]]へ至る道とに連結している。  バウィーティの町は、カイロを拠点にした[[エクスカーション・スポット|エクスカーション]]になっている。また、町に宿泊して[[白沙漠|エジプトの白沙漠]]など、西方沙漠観光をする観光客たちもいる。[[白沙漠|エジプトの白沙漠]]で1泊のキャンプ野営をして、沙漠地帯をジープなどで巡る観光パックにも人気があるようだ。  バウーティーには、さほど豪華でもないが、外国人受け入れ用設備も整えた中規模ホテルも10以上ある。ただし、ホテル外の街中には、レストランの類は、1、2軒しか営まれていない。 ----  バフレイヤ・オアシスからは、概ね南西方向に位置する[[ファラーフラ・オアシス]]まで、舗装された沙漠道が設けられている。この道は、ファラーフラ・オアシスに至る途上[[黒沙漠|エジプトの黒沙漠]]、[[イル-ヘイズ]]、[[クリスタル・マウンテン|エジプトのクリスタル・マウンテン]]、[[白沙漠|エジプトの白沙漠]]を経由。ファラーフラ・オアシスでは、[[ダフラ・オアシス]]、[[ハルガ・オアシス]]に至る沙漠道に連接している。 :'''【バフレイヤ・オアシス近傍のスポット】''': *[[黒沙漠|エジプトの黒沙漠]]{{br}}バフレイヤ・オアシスから沙漠道沿いに南西へ50kmほど。 *イル-へイズ{{br}}黒沙漠と白沙漠の間の地域に散在している小オアシス群の総称。鉱泉を中心にした小集落などが多い。 *[[クリスタル・マウンテン|エジプトのクリスタル・マウンテン]](ハガル・イル-マフルーム){{br}}バフレイヤ・オアシスから沙漠道沿いに110kmほど。白沙漠の縁辺部あたりに位置。 *[[白沙漠|エジプトの白沙漠]]{{br}}バフレイヤ・オアシスの概ね南西方向。地図上の直線距離で155kmほど。 *[[ファラーフラ・オアシス]]{{br}}バフレイヤ・オアシスの概ね南西方向。地図上の直線距離で200kmほど。 !さらに詳しい情報 *「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  バフレイヤ・オアシスには、西方沙漠の他のオアシス同様、旧石器時代からヒトの往来があった。  おそらく、[[ナイル流域|ナイル川]]が[[初期王朝時代|古代エジプトの初期王朝時代]]に以降した頃までには、オアシスでも定住化が進んでいた、と思われるが、現状では今ひとつ解明されていない。  基本的には[[リビア系|古代リビア人]]の定住地としてはじまり、[[中王国時代|古代エジプトの中王国時代]]までは、古代エジプト文化の流入はさほどではなかった。  [[新王国時代|古代エジプトの新王国時代]]には、交易拠点、及び、さほど大きくは無い鉱物の産地として開け、[[末期王朝時代|古代エジプトの末期王朝時代]]までには、エジプト風の町も幾つか営まれるようになった。  グレコ・ローマン時代には、早い時期にコプト教が広がったが、下エジプトがアラブ・イスラム勢に制圧された10世紀には、ベルベル系遊牧民を支配勢力にした、半独立地域となり、ナイル流域のイスラム勢に従属的に。11世紀に[[ファーティマ朝]]に併合されてから、イスラム教も浸透。14世紀頃までには、ほとんどの居住者がイスラム教化した。 !GM向け参考情報 *GM向けの補足情報、[[マスタリング・チップス|チップス集]]、[[アイデア・フック]]など  「増補待ち」。 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]] !!関連項目 *[[アル-ワディ・アル-ジャディッド県]] *[[エジプトの5大オアシス]] *[[エジプトの白沙漠]] *[[ギザ県]] *[[西方沙漠,エジプトの〜]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Bahariya_Oasis]] *[[BAHARIYA|http://lexicorient.com/egypt/bahariya.htm]]([[EGYPT|http://lexicorient.com/egypt/index.htm]],[[LOOKLEX]]) //[[]]([[Tour Egypt!|http://www.touregypt.net/]]) !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイデア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}