{{toc}} !ブラーフィ人 {{br}}ブラーフィじん {{br}}簡易版 *[[シームレス・ワールドの用語|小辞典ワールド編]]解説。 :'''英語表記''':Brahui people :'''フランス語表記''':Brahui peuple !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 ![[PC|プレイヤー・キャラクター]]が予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、[[PC|プレイヤー・キャラクター]]が知ってることにしていい」情報とします。  「ブラーフィ人」は、[[イラン高原]]南東部の[[バローチスタン|バローチスタン(地方)]]に多く居住しているエスニック・グループ。  [[母語]]は、ドラヴィダ語系統の[[ブラーフィ語]]。  居住が多いのは、[[現パキスタン領|パキスタン=イスラム共和国]]西部の[[バローチスタン州]]の内、中部を占める[[クァーラト地方|クァーラト,パキスタン=イスラム共和国の〜]]の山岳地帯から、北方に隣接する[[アフガニスタン領|アフガニスタン=イスラム共和国]]にかけて。クァーラト地方東縁の[[中央クァーラト山脈]]は、彼らの故地のようにイメージされることもある。  他に、[[現イラン領|イラン=イスラム共和国]]南東部にも集住地が見られる。  パキスタン、アフガニスタン、イランに居住するブラーフィ人の総計は220万人ほど、と推測されている。 :'''【参照地図】''': *[[イラン高原]]地域のレリーフ地形図([[Wikimedia Commons]]){{br}}[[Image:Persian Plateau|http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c4/Persian_Plateau.png]]{{br}}歴史的地域名である[[バローチスタン]]は、[[イラン高原]]の南東部にあたる。{{br}}上の地形図では[[ワディ(涸谷)|ワディ]]や、[[オアシス]]の類も通常河川や湖沼と同様の表示がされているので注意。 !追加情報 :'''小事典版推奨判定''':「言語+知性 目標値=8〜10」「交流+知性 目標値=10〜12」「歴史+知性 目標値=10〜12」 ::'''簡単な情報''' (必要に応じて[[ゲーム前ブリーフィング]]や[[ブレイク]]を使い[[GM|ゲーム・マスター]]から素で[[プレイヤー]]に伝えてもいいかもしれない) :: [[ブラーフィ人]]は、北ドラヴィダ語系統の言語を伝えているエスニック・グループ。ドラヴィダ系のエスニック・グループの間では、山岳地方で孤立。他のドラヴィダ系集団との関係は、絶えて久しいグループだと思われる。 :: ブラーフィ人は、歴史的に地域の[[バローチ人]]と密接な関係を持ってきた。例えば、[[クァーラト藩王国]]の版図拡大では、武力集団として協力的だった、などだ。 :: ブラーフィ語の語彙には、バローチ語から流入したと推測される借用語彙がかなり多い。 :: おそらくは、こうした歴史を背景にして「ブラーフィ人の先祖は、バローチ人から別れて、地域の先住民に同化した集団だった」との伝承が、ブラーフィ人、バローチ人双方の間で広く信じられている。 :'''小事典版推奨判定''':「交流+知性 目標値=8〜10」「歴史+知性 目標値=10〜12」 ::'''簡単な情報''' (必要に応じて[[ゲーム前ブリーフィング]]や[[ブレイク]]を使い[[GM|ゲーム・マスター]]から素で[[プレイヤー]]に伝えてもいいかもしれない) :: ブラーフィ人の伝統的な生業は、[[遊牧]]、半農半牧と、種々に及んでいた。伝統的な遊牧ブラーフィは、テントを持って定住しない山岳遊牧民、半農半牧のブラーフィは、天水に頼った農耕を主に山地での[[移牧]]も営むスタイルだった。 :: 最近では完全な遊牧生活を送るブラーフィ人はほとんどいなくなり、多くが、夏営地を定めて家をもち、冬季にのみ低地でテント生活を送る半定住生活に移行しているようだ。 :: 信教は、ほとんど全員がスンナ派イスラム信徒を自認。 :: 伝統的には、身分制の部族複数に別れ、世襲的な部族指導者タックリ(首長)を、世襲的な支配身分サルダール(Sardar)が戴いていた。部族内の被支配民は、サルダールの者が選抜指名した代官に統制される習慣だった。 :: 現在、ブラーフィ人の部族関係は、都市部を中心にかってのような拘束力を失いつつあるようだ。 :: ただ、非都市部では、今でもサルダールが、政府と部族民の仲介役を勤めている。 :'''小事典版推奨判定''':「歴史+知性 目標値=10〜12」「交流+知性 目標値=12〜14」 ::'''やや詳しい情報''' ブラーフィ人部族間の連携は弱く、それぞれが自律的。 :: ただ、17世紀〜18世紀にかけ、[[バローチスタン地方|バローチスタン(地方)]]が騒然とした時期、アフマドザイ族を中心に、緩い部族連合を結んで、協同して軍事活動をおこなった。 :: この部族連合は、地域にU.K.の影響力が及びだした頃には確固として機能していたようだ。 :: その後、パキスタンが独立した頃には、部族連合は機能しなくなっていた。 :'''小事典版推奨判定''':「表現+直観 目標値=10〜12」「歴史+直観 目標値=12〜14」「交流+知性 目標値=12〜14」 ::'''やや詳しい情報''' ブラーフィ人が「バローチ人の後裔だ」という伝承とは別に、「ブラーフィ人は、古代インダス文明を営んだ民族の末裔だ」との伝承も、かなりのブラーフィ人の間に伝えられている。 :: この部族伝承に、「シュメール人、ドラヴィダ系説」が組み合わさって、「ブラーフィ人の先祖集団はシュメール人のルーツだった」と言う真偽の定かでない説や、「シュメール人が故郷に逃れて、現在のブラーフィ人はその後裔」といった眉唾な説が唱えられることがある。 :: さらに、「バローチ人の後裔説」が組みあわさって「バローチ人こそシュメール人の後裔だ」という、ほとんどトンデモな説も聞かれる。 :'''小事典版推奨判定''':「交流+知性 目標値=12〜14」「歴史+知性 目標値=14以上」 ::'''詳しい情報''' ブラーフィ人の男子には、婚姻相手に、父方のイトコを選好する伝統が強い。父系父方集住で拡大家族を営む生活が理想とされるが、これを長期実現する例は多くはないようだ。 :: また、父親の死後に、長兄を中心に拡大家族が再編成されるような例は、普通は見られない。 ![[GM|ゲーム・マスター]]向け参考情報 *[[GM|ゲーム・マスター]]向けの補足情報、[[マスタリング・チップス|チップス集]]、[[アイデア・フック]]など !!捕捉情報 :ブラーフィ人の分布: *[[Wikipedia英語版:Brahui_people]]のコンテンツには、以下のような数値が挙げられていた(2008年8月時点) **[[パキスタン=イスラム共和国]]=206万6千人(統計準拠年不明) **[[アフガニスタン=イスラム共和国]]=26万人(統計準拠年不明) **[[イラン=イスラム共和国]]=1万6千人(統計準拠年不明) !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]] !!関連項目 *[[クァーラト,パキスタン=イスラム共和国の〜]] *[[クァーラト藩王国]] *[[スィースターン・バルーチェスターン州]] *[[バローチ人]] *[[バローチスタン(地方)]] *[[バローチスタン州]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Brahui_people]]{{br}}[[Wikipedia英語版:Category:Brahui_people|http://en.wikipedia.org/wiki/Category:Brahui_people]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイデア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}