{{toc}} !中央ヨーロッパ {{br}}ちゅうおうヨーロッパ {{br}}(Central Europe) {{br}}簡易版 !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  「中央ヨーロッパ」(中欧)は、[[ヨーロッパ州|ヨーロッパ]]の中部を指す地域区分。  19世紀半ば頃から唱えはじめられた、と言われるが、明確な形で主張されるようになったのは20世紀に入ってから、とも言われる。歴史的、文化的な地域区分であることが多く、しばしば、政治的主張とも結びつけられた。  [[第2次世界大戦]]後、政治的な意味での[[西ヨーロッパ]]と[[東ヨーロッパ]]とを対照的に用いることが多くなり、一時期、「中欧」が用いられることは、極めてまれになった。(あるいは、極めて限定的に用いられた)  旧[[ソ連崩壊|ソヴィエト連邦崩壊]]前後から、「中央ヨーロッパ」が用いられることが再び増えた。当然のように、用法は何種類かあり、それぞれの間の異同も少なくない。  しばしば、ジョークとして「中央ヨーロッパとは、ヨーロッパの大陸部で西ヨーロッパからは東ヨーロッパとみなされ、東ヨーロッパからは西ヨーロッパとみなされる地域のことだ」とすら言われるほどだ。  2006年現在、「中央ヨーロッパ」とみなされることが多い地域には、以下の国々の領域が含まれる。 *[[オーストリア共和国]] *[[スロヴァキア共和国]] *[[スロヴェニア共和国]] *[[チェコ共和国]] *[[ドイツ連邦共和国]] *[[ハンガリー共和国]] *[[ポーランド共和国]] *[[リヒテンシュタイン公国]]  [[スイス連邦]]も、しばしば、上記の国々と併せて「中央ヨーロッパ」の国とみなされることがある。しかし、どちらかと言えば、[[西ヨーロッパ]]の国に数えられることが多いようだ。 '''【参照イメージ】''' *[[Image:Europe map with description|http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/4/46/EUROPE_REGIONS2.jpg]]{{br}}(ヨーロッパの地域区分の「一例」,スカイ・ブルーのストライプが入った部分はしばしば中央ヨーロッパとイメージされる){{br}}([[Wikimedia Commons]]) !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  中央ヨーロッパの地域協力機構としては、[[中欧イニシアティヴ]](CEI,Central European Initiative)がある。この機構は、通貨統合を含む政治協力は[[EU(欧州連合)]]に委ねる型で、もっぱら加盟国間で協力した経済開発に取り組んでいる。  2006年現在の加盟国は、次の17カ国。加盟国は隣接しているものの、普通言われる「中央ヨーロッパ」の範囲より広範囲に渡っている。 :'''中欧イニシアティヴ加盟国''':[[アルバニア共和国]]、[[ウクライナ]]、オーストリア共和国、[[イタリア共和国]]、[[クロアチア共和国]]、スロヴァキア共和国、スロヴェニア共和国、[[セルビア共和国]]、チェコ共和国、ハンガリー共和国、[[ベラルーシ]]、[[ボスニア=ヘルツェゴヴィナ]]、ポーランド共和国、[[モルドヴァ共和国]]、[[モンテネグロ共和国]]、[[ルーマニア]]、F.Y.R.M.(マケドニア共和国旧ユーゴスラヴィア連邦)  中欧イニシアティヴは、前身組織「ヘクサゴナーレ(6カ国間協力機構)」が、[[旧ユーゴスラヴィア連邦]]の解体をきっかけにして1991年に改称したもの。  1991年当時の加盟国は、イタリア、オーストリア、旧ユーゴスラヴィア、ハンガリー、チェコ=スロヴァキア。改称当時の加盟国も、普通よく言われる中央ヨーロッパの国ばかりではなかった。  普通言われる「中央ヨーロッパ」により近い国家間協力機構としては、「[[ヴィシェグラード・グループ]]」がある。これは、1991年に、チェコ=スロヴァキア(当時)、ハンガリー、ポーランドの隣接した3カ国の首脳会談で合意された地域同盟で、加盟国間での経済協力と、ヨーロッパ統合への相互協力とを掲げている。  チェコ=スロヴァキアが、チェコとスロヴァキアの2国に分離した後も、両国とも同盟に継続参加しているため、「ヴィシェグラード4」とも呼ばれる。  地理学の分野では、西ヨーロッパと東ヨーロッパの境界にも[[諸説あり|諸説ある]]、統一見解らしきものは成り立っていない。これは、おそらく、中央ヨーロッパの範囲が、文化的観点や、歴史的観点、政治的観点から論じられがちな理由の1つになっていることだろう。  文化的、歴史的な観点から言われる中央ヨーロッパは、しばしば「ハプスブルク朝のオーストリア帝国(神聖ローマ帝国)領だった地域」と、される。あるいは、より限定して、「ハプスブルク朝オーストリア領最大版図の東部」と、されることもある。  後者の範囲には、[[ドナウ川]]流域諸国が多い。近年は、ドナウ川流域地域を指して中央ヨーロッパと呼ぶこともある。ただし、この用法でも、ドナウ川流域のドイツ領地域についての扱いは、まちまちなことが多いようだ。 !さらに詳しい情報 *「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  政治的な観点での中央ヨーロッパは、19世紀半ばにハプスブルク朝の統治が弱体化した頃に唱えられた「ドナウ連合」構想に遡ることができる、とされる。  ドナウ連合構想は19世紀には成立しなかったが、19世紀末から20世紀初頭のドイツ帝国で活動した政治家、[[フリードリッヒ・ナウマン]]が、地政学の著作で唱えた『中欧』(“Mitteleuropa”ミッテルオイローパ)の影響力は小さくなかった。  ただし、ナウマンは、「[[ネーデルラント王国]]や[[フランドル地方|フランドル]]は、ドイツ帝国の一部になるべきだ」との主張を唱えたし、第1次大戦中には、2年間、ポーランド併合を支援する民間機関にも関係していた。  [[第1次世界大戦]]末期、帝政ロシアが滅びると、「ドナウ合衆国」構想が唱えられた。しかし、ソヴィエト連邦の成立と東西陣営の対立とにより、ドナウ合衆国構想も実現しなかった。  第2次世界大戦後には、「中央ヨーロッパ」は滅多に言われなくなった。言われる場合も、極、限定してポーランド、チェコ=スロヴァキア、ハンガリーを指すことが多かった。丁度、現在の[[ヴィシェグラード・グループ]]の4カ国にあたる。  ソヴィエト連邦が崩壊した後の一時期、「中央ヨーロッパとは、旧社会主義陣営に属したが、新たにEUに加わった諸国の領域」との用法も唱えられた。しかし、この用法も、EUに加盟する東ヨーロッパの国が増えるに従って、成り立たち難くなり、現在に至っている。  なお、フリードリッヒ・ナウマン以来、ドイツ語で言われるようになった「ミッテルオイローパ(Mitteleuropa,中欧)」は、英語で普通言われる中央ヨーロッパ(Central Europe)の範囲とは、微妙に異なる。  現在、ドイツ語で言われる「ミッテルオイローパ」は、フリードリッヒ・ナウマンの主張とは異なり、普通は[[ベネルクス3国]]を含めたりはしない。しかし、クロアチアや、ボスニア=ヘルツェゴヴィナの一部、セルビアの一部はしばしば含められる。  広義のミッテルオイローパは、実は、中欧イニシアティヴ加盟国の領域と重なる部分が大きい。 !GM向け参考情報 *GM向けの捕捉情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど  「増補待ち」 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[ランド・マーク]] !!関連項目 *[[北ヨーロッパ]] *[[南東ヨーロッパ]] *[[西ヨーロッパ]] *[[東ヨーロッパ]] *[[南ヨーロッパ]] *[[ヨーロッパ]] *[[ヨーロッパ州の現存国家]] *[[ヨーロッパ州のランド・マーク]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Central_Europe]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイディア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}