{{toc}} !コルマク・マク・クレナーン {{br}}(簡易版) *[[シームレス・ワールドの用語|小辞典ワールド編]]解説。 !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 ![[PC|プレイヤー・キャラクター]]が予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、[[PC|プレイヤー・キャラクター]]が知ってることにしていい」情報とします。  「コルマク・マク・クレナーン」は、中世[[アイルランド|アイルランド島]]の[[マンスター地方]]でカシェルの修道院長だった人物。晩年は、[[マンスター王|リー・コーギド]]も兼ね、[[レンスター地方]]で戦死した。 !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  コルマク・マク・クレナーンは、10世紀初頭に死んだ人物で、9世紀後半から活動していた。『[[コルマクの語彙集]]』の編纂者と伝えられている。  カシェルの修道院長だったコルマクは、普通は「カシェルの司教」だった、と言われるが、この頃のアイルランドの“司教”には、コルマクも含めて、カソリック教会内で正式な地位だったかどうか、定かでない例も少なくない。 //He was reputed to be a great scholar, being credited with the authorship of the Sanas Cormaic (Cormac's Glossary), and the now-lost Psalter of Cashel, among other works. The reliability of some of the traditions concerning Cormac is doubtful.  コルマク・マク・クレナーンの誕生年や、聖職者になった経緯、修道院長になった年代などは定かでない。  902年に、[[マンスター|マンスター地方]]の[[コーゲド王|リー・コーギド]]に選ばれ、死ぬまで在位していた。  死亡したのは、908年。現在の[[レンスター地方]]北部で勢力が盛んだったタラ王傘下の軍勢と、コルマク・マク・クレーナン率いるマンスターの勢力が、現在のレンスター地方のベラック・ムグナで会戦し、戦死した。伝承では、レンスター地方に強奪されていたマンスターの秘宝を奪還しようとしたのが、戦いの発端だったかに伝えられている。  当時のタラ王[[フラン・シンナ]]は、[[アイルランド王(リー・エーレン)|リー・エーレン]]を称していたので、あるいは、それが戦いの遠因だったかもしれない。  コルマク・マク・クレナーンは、死後、正式に列聖されたわけではないが、マンスターでは11世紀ころまでに聖人視されるようになった。現在の[[キルデア県]]南部で、キャッスルデルモトに遺る墓所には、奇跡譚の伝承が伝わっている。 :'''【参照イメージ】''': *コルマク・マク・クレーナンの墓所に見られる[[ハイ・クロス]]([[Wikimedia Commons]]){{br}}[[Image:Ahenny High Crosses, North Cross|http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/94/Ahenny_High_Crosses%2C_North_Cross.jpg]] ----  コルマク・マク・クレナーンは、8世紀〜9世紀にかけ、マンスター地方で有力だった[[エオガン氏族]]の出身だった。ただ、エオガン氏族でも比較的弱小だったカシェルの支族出身だった。  中世の年代記によれば、コルマクの先代にあたるコーゲド王とも、後任にあたるコーゲド王とも近縁関係にはなかった。ちなみに、コルマク・マク・クレナーンの後任者は、その死後、数年間選出されず、マンスターのコーゲド王は空位だったようだ。  カシェルの支族は当時のエオガン氏族の内で、有力ではなかったが、重要な名門とみなされていたようだ。あるいは、コルマク・マク・クレナーンが修道院長になったカシェルの修道院との関係が重視されていたのかもしれない。 //He was reckoned an 11th generation descendant of ?engus mac Nad Fro?ch and none of his ancestors since ?engus were counted as kings of Cashel.  現代人のセンスだと、聖職者が王を兼ねることは疑問かもしれない。が、アイルランドでは、[[大陸ヨーロッパ|ヨーロッパ]]以上に、領主の親族が修道院に入ることは多かった。大陸で教皇庁と領主層とが聖職者叙任権を巡って争った駆け引きも、遠隔地であるため及ばなかったのだ。  さらに、キリスト教化以前に遡るアイルランド・ケルトの伝統では、コーゲド王は、支配者、統治者と言うよりは、地域の[[部族連合|トゥアト]]間の調停役、裁定役が期待された地位で、後世のヨーロッパの「王」とは、かなり性質が異なる地位だった。  ことに、マンスター地方では、早い時期から大きな荘園を擁した有力修道院がいくつかあり、コルマク・マク・クレナーンの前にも後にも、コーゲド王に選任された司教は何人かいたのだ。 //The Annals of the Four Masters, a 17th century compilation of annals based on earlier works, but including much of uncertain reliability, say that Cormac was tutored by Snerdgus of D?sert D?armata (now Castledermot).[4] Some later accounts claim that Cormac had been married or betrothed to Gormlaith, daughter of Flann Sinna, the High King of Ireland, but instead took vows of celibacy. Russell suggests these are later fictions and Byrne sees in them an echo of earlier tales of the sovereignty goddess.[5] Although there is no doubt that Cormac was a bishop before and while he was king of Munster, it is not clear which see Cormac held. Some writers have suggested that he should be linked with Emly rather than Cashel. :'''【参照地図】''': *コルマク・マク・クレナーンの時代(10世紀初頭)の[[アイルランド|アイルランド島]]の勢力圏分布図([[Wikimedia Commons]]){{br}}[[Image:Ireland early peoples and politics|http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d5/Ireland_early_peoples_and_politics.gif]]{{br}}10世紀頃の[[アイルランド|アイルランド島]]の情勢は、概ね、各地の[[部族連合|トゥアト]]が、有力な連合を軸にして、王国化を進める時期にあたった。10世紀後半から11世紀にかけて、各地で地方政権を整備した群雄が台頭。互いに争いあう状況に推移していくが、地図はその前夜の情勢といったところ。 !さらに詳しい情報 *「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  「増補待ち」。 ![[GM|ゲーム・マスター]]向け参考情報 *[[GM|ゲーム・マスター]]向けの補足情報、[[マスタリング・チップス|チップス集]]、[[アイデア・フック]]など。  「増補待ち」。 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[歴史上の実在人物]] !!関連項目 *[[アイルランド島]] *[[エオガン氏族]] *[[キルデア県]] *『[[コルマクの語彙集]]』 *[[フラン・シンナ]] *[[マンスター地方]] *[[リー・エーレン]] *[[リー・コーギド]] *[[レンスター地方]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Cormac mac Cuilenn?in|http://en.wikipedia.org/wiki/Cormac_mac_Cuilenn%C3%A1in]]{{br}}[[Wikipedia英語版:Category:Roman Catholic bishops in Ireland|http://en.wikipedia.org/wiki/Category:Roman_Catholic_bishops_in_Ireland]]{{br}}[[Wikipedia英語版:Category:Kings of Munster|http://en.wikipedia.org/wiki/Category:Kings_of_Munster]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイデア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}