{{toc}} !クリミア半島 {{br}}クリミアはんとう {{br}}(Crimea peninsula,Krym Poluostrov) 簡易版 !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  「クリミア半島」(クルィム半島)は、[[黒海]]の北岸と幅の狭い地峡で結ばれている半島。地峡の先は、幅の広い島のようになっていて、東部が、黒海と[[アゾフ海]]とを区切っている。  2006年現在、[[ウクライナ]]を構成している[[クリミア自治共和国]]の領域。  半島部東端に位置するケラチ半島(Kerch Peninsula)は、アゾフ海と黒海との間の[[ケラチ海峡]]を挟んで、[[ロシア連邦|ロシア連邦]]、[[南連邦管区|ロシア連邦の南連邦管区]]の[[クラスノダール地方]]西端に位置するタマン半島(Taman Peninsula )と対面している。  「クリミア半島(Crimea peninsula)」が英語表現で、「クルィム半島(Krym Poluostrov)」がロシア語表現。  海岸線は、侵食で形成された小湾が入組みながら連続。良港が多く、古くから黒海交易の中継点として栄えた。沿岸には、保養地を兼ねた港町が多い。  [[旧ソ連|ソヴィエト連邦]]時代に設けられた海軍基地が、[[ロシア連邦]]海軍、黒海艦隊の基地として運営されている。  [[キンメリア人]]、[[スキタイ人]]、[[ヘレネス]]の入植地、などなどの古代遺跡が知られている。[[ケルソネソスの遺跡]]が比較的有名。 '''【参照地図】''' *[[CRIMEA MAP|http://www.travellersworldwide.com/Images2000/maps/crimea-map.gif]]{{br}}(CRIMEA MAP,[[TRAVELLERS WORLDWIDE|http://www.travellersworldwide.com/index.htm]]の、[[UKRAINE|http://www.travellersworldwide.com/10-ukraine/10-ukraine-about.htm]]) '''【関連ページ】'''{{br}}⇔ [[クリミア自治共和国]] !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  幅5〜8kmほどの短いペレコプ地峡で、大陸側と繋がっている半島は、面積26,200平方km。人口は、1,994,300人(2005年)。行政中心は、半島中南部内陸に位置する[[シンフェローポリ]]。  南端から東北東方向に続く沿岸に沿って、小山脈(クリミア山脈)が横たわる以外は、ほとんど平坦地。クリミア山脈は、長さ150km、幅50km。最高峰は、標高1,545mのロマン・コシ山(Roman Kosh)。  1次産業は、穀物農作、果樹栽培。農業ほどではないが漁業も営まれている。2次産業は、機械工業、化学工業が盛ん、食品産業、鉄鋼業も営まれる。3次産業は、観光業、保養客相手のサーヴィス業が盛ん。  「クリミア」という地名の語源は[[幾つか知られている|諸説ある]]。比較的よく知られているものは、タタール=モンゴル族が13世紀に興した「黄金のホルド(Golden Horde)」(クルィム・ハン国)の首府、クィリム(Qirim)」に由来する、というもの。語源論は他にもあるが、かつてのクィリムは、今日のスターリ・クルィム(Stary Krym)にあたる。  クリム・ハン国時代、支配層をなしたクリミア=タタール人の居住人口は、現在、13%。ロシア系住民が6割強、ウクライナ系住民が2割強。少数民族では、アルメニア人、ベラルーシ人が目立つ。ユダヤ系の住民もいる。 '''【参照地図】''' *[[Ukraine, topographic map|http://maps.grida.no/go/download/mode/plain/f/ukraine_topographic_map.jpg]]{{br}}(Ukraine, topographic map,[[UNEP/GRID-Arendal]]) !さらに詳しい情報 *「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  クリミア半島で、現在確認されている最古の[[遺跡]]は、狩猟民的な文化を残していたキンメリア人の牧畜文化の遺跡。  キンメリア人は、紀元前7世紀までに[[スキタイ人]]によって、地域から駆逐されたようだ。[[一説に|一説に〜]]、キンメリア人の一部が、クリミア山脈の山間に残り、後にタウリ人と呼ばれるようになった、と言う。  7世紀頃は、[[ヘレネス]]たちの入植が、クリミアを含む黒海北岸にも及び始めた。[[ヘラクレア・ポンティカ]]からは[[ドーリア系|ドーリア人]]の集団が[[ケルソネンソス|ケルソネンソス]]への移住を開始。[[ミレトス]]から[[ロニアン人]]と伝えられる一団が、セオドシアに移住したのもこの頃らしい。  紀元前5世紀、ヘレネスたちは、[[イオニア系|イオニア人]]入植者を中心に、概ねクリミア半島からアゾフ海沿岸を領土にした[[ボスポラス王国]]を興した。王国は、古代アテナイと密接に交易し繁栄したが、紀元前2世紀には、スキタイ人の圧迫に対して劣勢に追い込まれたらしい。B.C.114年、ボスポラス王国は、[[アナトリア]]の黒海南岸に位置していた、[[ポントス王国]]の保護下に入った。後、古代ローマの属国に。  紀元後、最初の[[1千年紀|千年紀]]が、民族移動の波が何度も地域に押し寄せ、通り過ぎていった。  3世紀にゲルマン系ゴート族、フン族が相次いで到来し、地域で支配的に。6世紀にはブルガル人が到来し、やや遅れて、スラブ系住民が移入。8世紀にはハザール人の領域になり。10世紀半ば、東部がキエフ大公国の支配下に入った。  11世紀になると、1050年にキプチャク・ハン国の影響下に入り、13世紀にはモンゴル征西軍の侵攻に見舞われた。この間、南部に古代から続いた[[ケルソネソス]]を中心にした一画だけは、ビザンティン帝国領の軍管区(テマ)が設けられ、ローマ時代から11世紀まで一貫して、ローマ-ビザンツ領として維持された。 '''【参照地図】''' *[[The geographic map of Crimea|http://www.lapshin.org/nikita/PIC/crimean-map.jpg]](The geographic map of Crimea,[[The Cacti Greenhouse|http://www.lapshin.org/nikita/index.htm]]の、[[Thematic Maps:|http://www.lapshin.org/nikita/address.htm]]) !GM向け参考情報 *GM向けの捕捉情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど  「増補待ち」 :'''【参照地図】''': *[[Map of Crimea|http://www.lonelyplanet.com/maps/europe/ukraine/crimea/]]([[Map of Ukraine|http://www.lonelyplanet.com/maps/europe/ukraine/]],[[Lonely Planet]]) *[[Map of Crimea|http://travel.kyiv.org/crimea/map/crimea_map.htm]]([[Map of Ukraine|http://travel.kyiv.org/map/]],[[Travel Ukraine|http://travel.kyiv.org/]]) !!別称類  古典ギリシア語で「タウリカ」、または「タウリダ」。 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[ランド・マーク]]{{br}}⇔ [[ヨーロッパ州のランド・マーク]] !!関連項目 *[[アゾフ海]] *[[ウクライナ]] *[[ウクライナの有用地図集]] *[[クリミア自治共和国]] *[[クルィム・ハン国]] *[[黒海]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Crimea]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイディア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}