{{toc}} !ハザラ人 {{br}}ハザラじん {{br}}簡易版 *[[シームレス・ワールドの用語|小辞典ワールド編]]解説。 :'''英語表記''':Hazara people :'''フランス語表記''':Hazaras :'''スペイン語表記''':Hazara :'''ロシア語表記''':Хазарейцы :'''中文表記''':哈扎拉族 !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 ![[PC|プレイヤー・キャラクター]]が予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、[[PC|プレイヤー・キャラクター]]が知ってることにしていい」情報とします。  「ハザラ人」は[[イラン高原]]の中部から東部に多く居住しているエスニック・グループ。  [[母語]]の[[ハザラギ]]は、[[ペルシア語]]系統の方言である[[ダーリ語]]と類縁関係が強い。しかし、語彙には[[モンゴル語]]系統の言語から流入したものが目立つ。人種的には、[[モンゴロイド]]の肉体的特長が優勢だが、[[コーカソイド]]の特長も合わせ持つ。  居住が多いのは、[[アフガニスタン=イスラム共和国]]と[[パキスタン=イスラム共和国]]。しばしば、「アフガニスタン国民の9%〜10%がハザラ人」と言われる。[[イラン=イスラム共和国]]にも30万人弱ほどが居住。  アフガニスタン領中部の、広義の[[ヒンドゥー・クシュ山系|ヒンドゥークシュ]]に含まれる山岳地帯では、中ほどに居住が多く、地域は「[[ハザラージャト]]」「ハザリスタン」と呼ばれている。パキスタンでは[[クェッタ]]周辺に多く、イランでは、[[マシュハド]]に周辺に多い。  アフガニスタン、パキスタン、イランに居住するハザラ人の総計は350万人〜400万人ほど、と推測されている。 !追加情報 :'''小事典版推奨判定''':「言語+知性 目標値=8〜10」「交流+知性 目標値=10〜12」「歴史+知性 目標値=10〜12」 ::'''簡単な情報''' (必要に応じて[[ゲーム前ブリーフィング]]や[[ブレイク]]を使い[[GM|ゲーム・マスター]]から素で[[プレイヤー]]に伝えてもいいかもしれない) :: ハザラ人たちの間では、「ヒンドゥークシュ山系の山岳民になっている[[モゴール族]]と共に、モンゴル征西軍に参加していたモンゴル系グループが、自分たちの先祖」「言語は、地域に居住する内にイラン化した」との伝承が、広く語り伝えられている。 :: 「ハザラ」の語源は、ペルシア語で「千」を意味する「ハザール」で、これはモンゴル軍の千人隊のことを指した、とも言われる。 :: が、この説には、かなり無理がある。例えば、ハザラギにモンゴル語ルーツの語彙が目立つのは確かだが、他にも、チュルク系言語からの借用語彙も多い。つまり、モンゴル語を母語にしていた集団が、イラン化したとは考えづらい。むしろ、チュルク系の古代ウィグル人や、ウズベク人、タジク人などの混成グループがベースになった可能性の方が高い。 :: [[ハザラ人]]の形成過程については、幾つかの説があるものの定説は定まっていない。 :: [[アフガニスタン領|アフガニスタン=イスラム共和国]]に居住するモンゴル系のモゴール族が、ハザラ人と密接な関係を続けてきたことは確からしい。このため、「モンゴル征西軍が地域に侵攻する途中から、征西軍に追随した内陸アジア南西部のグループがルーツだろう」との説は、しばしば聞かれる。ただ、この説でも、いつ頃征西軍に追随した、どんなグループがルーツになったのか? といった具体的経緯については、[[諸説あって|諸説ある]]、定説がまとまっていない状態だ。 :: 大きな異説としては、モンゴル征西軍ではなく、先立ったチュルク系諸族の西方侵出に追随したグループがルーツ、という説も聞かれる。あるいは[[クシャナ朝]]臣民の後裔との説もある。また、「やはりモンゴル族がルーツ」とする説も、近年新たに唱えられている。 :'''小事典版推奨判定''':「交流+知性 目標値=8〜10」「歴史+知性 目標値=10〜12」 ::'''簡単な情報''' (必要に応じて[[ゲーム前ブリーフィング]]や[[ブレイク]]を使い[[GM|ゲーム・マスター]]から素で[[プレイヤー]]に伝えてもいいかもしれない) :: ハザラ人は伝統的には複数の部族集団に別れている。伝統的生業は、天水に頼った農耕と、ヤギ、ヒツジなど中形家畜の[[移牧]]の併用。 :: 信教は、ほとんど全員が、シーア派のイスラム信徒。12イマーム派が多数派だが、少数派にはイスマイリー派の信徒もいる。 :'''小事典版推奨判定''':「歴史+知性 目標値=10〜12」「交流+知性 目標値=12〜14」 ::'''やや詳しい情報''' [[ハザラージャト]]に居住していたハザラ人は、18世紀半ば頃に建国された[[パシュトゥーン系|パシュトゥーン人]]アフガン人中心の[[アフガニスタン王国]]に、たびたび反乱を起こした。1891年にに大規模な反乱を起こした際には、徹底した討伐を受けた。 :: この戦闘の前後に、イラン方面や現在のパキスタン方面に移住したハザラ人集団が多数出た。 :: 反乱と討伐戦の後、アフガン人遊牧民が、ハザラージャトの山地山裾を夏営地として利用する権利が、王朝に公認された。地域のハザラ人は、民族差別的な扱いに抑圧されることになった。 :: 元々、アフガニスタン王国では、パシュトゥーン系の部族出身者が王朝や統治機構の中枢をほぼ独占。地域に居住する他民族からの反感は強かった。そんな内で、ハザラ人は、特に差別的とも言える扱いを受け、現在でも、アフガニスタンの都市部では清掃業者などにハザラ人が目立つ。 :'''小事典版推奨判定''':「歴史+知性 目標値=12〜14」 ::'''やや詳しい情報''' ハザラ人のルーツについては、具体的で細かな点には諸説ある。 :: ただ、ハザラ人は元々は山岳民族ではなく、ヒンドゥークシュ山系の裾野部に居住していたグループだったのではないか(?)、との推定説には、研究者の間には、かなりの同意が見られる。 :: このセオリーでは、南方から、パシュトゥーン系のアフガン人が、北方からトゥルクメン人が、地域へ侵出するにつれ、生活圏を裾野から山中に移していった、と見られている。 :: それ以前から、山中に居住していたモゴール人との関係は持っていたが、山地に移住する過程で、関係はよりいっそう深まった、とも言われる。 :'''小事典版推奨判定''':「分析+知性 目標値=12〜14」 ::'''やや詳しい情報''' 近年おこなわれたハザラ人の遺伝子調査に基づいて、「やはりハザラ人は、モンゴル系集団の後裔」とする説も新たに唱えられている。 :: この説は、ハザラジャーとの男性の2/3からモンゴル系の遺伝子に特徴的な因子が検出された、としている。周囲の他民族とは大きく異なる数値を根拠に、「ハザラ人は、かれらの伝承どおり、モンゴル系グループの後裔なのではないか(?)」「少なくとも、モンゴル系集団を中核にした混成グループがルーツだった」などと言われている。 ![[GM|ゲーム・マスター]]向け参考情報 *[[GM|ゲーム・マスター]]向けの補足情報、[[マスタリング・チップス|チップス集]]、[[アイデア・フック]]など。 !!捕捉情報 :ハザラ人の分布: *[[Wikipedia英語版:Brahui_people]]のコンテンツには、以下のような数値が挙げられていた(2008年9月時点) **[[アフガニスタン=イスラム共和国]]=287万人(統計準拠年不明) **[[パキスタン=イスラム共和国]]=215万人(統計準拠年不明){{br}}アフガニスタン難民に含まれるハザラ人人口は含まれていないようだ。 **[[イラン=イスラム共和国]]=28万3千人(統計準拠年不明){{br}}アフガニスタン難民に含まれるハザラ人人口は含まれていないようだ。 **[[カナダ]]=4,330人(統計準拠年不明){{br}}この数値は、カナダ国内のアフガニスタン難民4万8千90人の、9%がハザラ人と見積もった推計値、らしい。 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]] !!関連項目 *[[ハザラージャト]] *[[モゴール人]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Hazara_people]]{{br}}[[Wikipedia英語版:Category:Hazara people|http://en.wikipedia.org/wiki/Category:Hazara_people]] *[[Wikimedia Commons:Category:Hazaras|http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Hazaras]]{{br}}「ハザラ人」関連のファイル集アーガイブ。 !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイデア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}