{{toc}} !アフリカの角 アフリカの つの (簡易版) !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 :'''英語表記''':Horn of Africa !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  「アフリカの角」は、[[アフリカ]]東岸北部から北東方向に突き出た大きな半島を指す広域地域名。  [[紅海]]、[[アデン湾]]と[[インド洋]]の南西海域との間に突き出ている。アフリカの角の東端部は、アフリカ大陸で最も東の土地になっている。 :'''【参照イメージ】''': *[[アフリカの角衛星イメージ|http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/8/81/Nasa_Horn.JPG]]{{br}}[[アフリカの角衛星イメージ|http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/63/Horn_of_africa.jpg]]{{br}}(アフリカの角衛星イメージ,[[NASA]],[[Wikimedia Commons]]) !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  「アフリカの角」は、歴史地理、特に政治史の関係で、しばしば、19世紀半ばに成立した近代エチオピア帝国の領域とみなされる。現状では、以下の諸国、及び地域の領域を併せた土地にあたる。{{br}}[[エチオピア連邦民主共和国]]、[[エリトリア国]]、[[ジブチ共和国]]、及び[[ソマリア地域]]([[ソマリア民主共和国]]領として想定されている地域)。総計すると、およそ200万平方kmほどの広さになる。居住人口は、おおよそで9千万人ほど。 :'''【参照イメージ】''': *[[アフリカの角とイメージされる諸国の領域|http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d2/Africa-countries-horn.png]]{{br}}(アフリカの角とイメージされる諸国の領域,[[Wikimedia Commons]]) ----  アフリカの角地域は、[[赤道]]と[[北回帰線]]の間で、双方から概ね等しい距離のエリアに広がっている。[[エチオピア高原]]から高原縁辺の沿海低地にかけてで、地形のヴァリエーションは豊富。  面積比で言えば高地が圧倒的に広く、最高点はエチオピア領北部西寄りのセミエン山地(Semien Mountains)内に含まれる[[ゴンダル山]]で、標高4,543m。  沿岸低地、特に紅海沿岸の気温は大変暑い。1月で32℃ほど、8月で41℃ほどとされる。紅海以外の沿岸低地では、海風の影響で紅海沿岸よりも若干すごしやすくなるが、やはり高音であることは変わらない。内陸高地では、高度に応じて気温は低くなっていく。例えば、セミエン山地の気温は年間を通じて、概ね10℃〜14℃の範囲とされている。  春から夏にかけてインド洋から、モンスーン性の風が吹き寄せる。沿海部南側はもちろん、エチオピア高原各所の山地やエリトリア領の南端部も、大雨に見舞われることは少なく無い。エチオピア高原に降る多量の降水は、[[ナイル水系]]などを流れて[[スーダン|スーダン共和国]]から[[エジプト|エジプト=アラブ共和国]]にかけてを潤していく。  冬季に向かうにつれ、北東風(貿易風)が吹き寄せる。こちらはモンスーン風ほど多湿では無いが、秋の遅い時期、[[ソマリア地域]]の北部に雨を降らせる。  アフリカの角地域は、[[ユネスコ]]によって、生物多様性の危機地域に指定されている。絶滅した在来種、絶滅危機に瀕した在来種が大変多いが、根本的原因は、計画性の無い遊牧だった、とされている。 ----  アフリカの角地域では、古代には各種香木の類が特産品になっていた。古代エジプト、古代ギリシア、古代ローマなどが中継ぎの交易品として香木類を珍重していた。  古代エジプトに伝えられた[[プント・ランド|プント]]は、おそらくアフリカ角地域のことだっただろう、と考えられている。古代エジプト人が、北部の沿海低地をプントの地、とみなしていたことは、ある程度確からしい。古代ローマでは地域を「香高き郷(Regio Aromatica)」と呼んでいた。  また、アフリカの角の、ことに沿海部は、古代からアラビア半島沿岸を周回する、長距離中継交易ルートの中継点を複数擁していた。このルートは、メソポタミタ地域やペルシア帝国領を介して、さらに東方へ通じる交易ルート網に接合していた。  紀元後1世紀から7世紀頃、アクスムが帝国的に栄えた。この帝国は、[[アラビア半島]]南西部(現在の[[イエメン領|イエメン共和国]])も勢力圏に治めて栄えていた。  古代記録によれば、アクスム帝国は4世紀頃に、全面的にキリスト教を受容したようだ。もちろん、全面受容をする前にはキリスト教が伝播、流布した段階があったと想定される。さらに以前には、ユダヤ教の影響もあったようだが、あまり定かには解明されていない。  7世紀頃からイスラム勢力が侵出。地域は分裂し、混乱が続いた。19世紀半ばに再統一されたのが、近代エチオピア帝国になる。しかし、多民族の統治はままならず、19世紀末の1880年代頃から、フランス、イタリア、U.K.(連王国)の西欧強国による侵出が相次いだ。 // Culture and ethnicity !さらに詳しい情報 *「難易度が、ある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  アフリカ角地域の高山地帯は、[[グレート・リフト・バレー(大地溝帯)]]の形成が原因になって、生じた。[[タンザニア領|タンザニア共和国]]から続く東リフト・バレーは、[[エチオピア高原]]を横断した後、エチオピア領北東部から、エリトリア領、ジブチ領、ソマリア地域に渡る巨大な扇状地をなして、紅海とアデン湾とに面している。  紅海、アデン湾に面す沿海低地は、この 巨大扇状地の低地部にあたり[[ダナキル沙漠]]や[[アファール低地]]を擁している。 //It consists chiefly of mountains uplifted through the formation of the Great Rift Valley, a fissure in the Earth's crust extending from Turkey to Mozambique and marking the separation of the African and Arabian tectonic plates. //Most of the region is mountainous due to faults resulting from the Rift Valley, with the highest peaks in the Simien Mountains of northwestern Ethiopia. //Extensive glaciers once covered the Simien and Bale Mountains, but melted at the beginning of the Holocene. !GM向け参考情報 *GM向けの補足情報、[[マスタリング・チップス|チップス集]]、[[アイデア・フック]]など  「増補待ち」。 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[ランド・マーク]] !!関連項目 *[[アフリカ]] *[[アデン湾]] *[[インド洋]] *[[エチオピア連邦民主共和国]] *[[エリトリア国]] *[[紅海]] *[[ジブチ共和国]] *[[ソマリア地域]] *[[ソマリア民主共和国]] *[[ソマリランド共和国]] *[[東アフリカ]] *[[ブントランド共和国]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Horn_of_africa]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイデア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}