{{toc}} !フーゼスターン州 {{br}}フーゼスターンしゅう (Khuzestan Province) 簡易版 !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  「フーゼスターン州」は、[[イラン=イスラム共和国]]国土の南西部にあって、[[ペルシア湾]]の内奥部に面している州。州都は[[アフワーズ]]。  州域の西縁は、ほとんどが平地部で隣国[[イラク共和国]]と国境を接している。フーゼスタン平地が油田地帯を擁すこともあって、20世紀後半に戦われた[[イラク・イラン戦争]]では、フーゼスタン州が主戦場になった。  古代にペルシス地方と呼ばれた地域とかなり重なり、古代ペルシア系の遺跡や、それ以前のエラム系の遺跡などが複数ある。 '''【参照地図】''' *[[Physical map of Iraq, Iran, and Kuwait|http://www.sitesatlas.com/Maps/Maps/606r.htm]]([[World Sites Atlas]]) *[[Iran|http://go.hrw.com/atlas/norm_htm/iran.htm]]([[HOLT RINEHART WINSTON WORLD ATLAS]]) !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  フーゼスタン州の地形は、西部の[[フーゼスターン平地]]と、東部の[[ザクロス山脈]]中南部とに大別することができる。州域中部からザクロス山脈を越え、[[イラン高原]]縁辺に渡る地域の古称が、「ペルシス」。この地域は、しばしば、「ペルシア国家の故地」とイメージされる。  州都[[アフワーズ]]は、[[ササン朝]]時代に発展した都市だが、アケメネス朝以前にも遡る。  ザクロス山脈から流出する[[カルーン川]]、カルクヘフ川(Karkheh)、ジャハリ川(Jarahi)などが、平地を潤している。フーゼスタン平地は、[[テイグリス川]]の南東で[[メソポタミア|メソポタミア地域]]の外縁に連なる平地地帯。乾燥した高地が、国土のほとんどを占めるイランにあって、例外的に農業生産力の高い地域になっている。  地域の気候は、基本的には暑く湿潤、冬季には乾燥して過ごし易くなるが、夏季は熱帯のような高温多湿になる。 ----  州域の総面積は、面積63,238平方km。人口は、2005年の推計で4,345,607人。平均人口密度は、1平方kmあたり67人ほどの計算になる。  2005年の人口数値は、2004年の国勢調査に基づく予想値。2004年の人口は、4,277,998人だった。1996年の国勢調査では、都市部集住率が6割強、35%強が田園地域に居住、他に1%前後の短期居住者、長期滞在者がいる、とされた。しかし、地域の都市に多いとされる出稼ぎ労働者の総数は1%よりも多いのではないか、とも言われる。  州域は、イラン国内でも、ペルシア系イラン人以外のエスニック・グループが多い地域。ペルシア語だけでなく、アラビア語も日常的に通用している。地域伝来のペルシア語は、独特の方言になっている。他に、チュルク系言語の話者や、山岳民族など少数派のエスニック・グループも少なくない。  宗教は、イランの他地域同様、[[シーア派]]信徒が多数派。少数派の[[スンナ派]]コミュニティーや、ユダヤ教徒、キリスト教徒のコミュニティーも存在。他に、[[マンダ教]]の信徒もいる。 ----  地域のアラビア人人口は、15世紀半ば頃から増えた。16世紀には、地域は、「アラビスタン(アラビア人の土地)」と呼ばれるようになっていた。特に[[サファビー朝]]時代には「アラビスタン」が主流の地域名で「フーゼスタン」の地域名は古称になっていた。  「フーゼスタン」の古称は、パフラヴィー朝を興す直前の、[[レザー・パフラヴィー]](レザー・シャー)が、クーデタで[[カジャール朝ペルシア|カジャール朝]]の実権を奪った翌年、1923年に復活した。 !さらに詳しい情報 *「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  地域の民族構成に関する公式データは公表されていない。  ペルシア系やアラビア系住民以外の主なエスニック・グループには、ザクロス山脈の山岳民Behbahanis、 Laks、Lurs(北Lurs)がいる。チュルク系のエスニック・グループ、Qashqai族、Afshari族、Dezfulらのコミュニティーも存在。  都市部では、ペルシア系イラン人が主流。ただし、彼らの多くは地域先住の血統で、イラン高原のペルシア系イラン人とはまた異なる習俗を持ち、気質も異なる、と言われる。他に、移住者ではなく、先祖からのアラブ系イラン人も多い。 ----  「フーゼスタン」の地名は、古代ペルシア語で「フージの土地」を意味した言葉が変化したもの。「フージ」とは、古代ペルシア語で[[エラム人]]を意味した。  現在のフーゼスタン平野から、[[ザクロス山脈]]南部、及び縁辺高原([[イラン高原]])では、ヒトの活動痕跡は、B.C.8000年頃までは、遡って確認されている、と言われる。概ね1万年前で、後氷期が、さらに温暖化に向かった時期にあたる。  フーゼスタン平野を含む、[[ティグリス川]]下流の東域平地は、[[古代メソポタミア|メソポタミア地域]]でも、しばしば東方異民族の侵出があった地域。エラム系の都市国家群も多数営まれた。  この地域に、メディア族に従属的だった時期の古代イラン人の一派が渡来。[[イラン高原]]の、古代イラン系部族を統合する型で形成されたのが、アケメネス朝であり、古代ペルシア民族もアケメネス帝国形成の過程で、民族的なまとまりを強めていった。  こうした歴史を反映して、古代末には、フーゼスタン平野から[[ザクロス山脈]]南部にかけてが「ペルシス地方」と呼ばれ、しばしば「ペルシア故地」のようにイメージされた。現在の州都[[アフワーズ]]の近傍には、アケメネス朝時代の宮殿の遺跡が遺る。この宮殿は、エラム時代の集落の上に建てられたものだった。 !GM向け参考情報 *GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど  「増補待ち」 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]] !!関連項目 *[[イラン=イスラム共和国]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Khuzestan Province|http://en.wikipedia.org/wiki/Kh%C5%ABzest%C4%81n_Province]]{{br}}[[Wikipedia日本語版:フーゼスターン州]] *[[Wikitravel英語版:Iran]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイディア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}