{{toc}} !キティラ島 キティラとう 簡易版 !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。 :'''ギリシア語による現地名''':Κ?θηρα(キィテラ島) :'''英語名''':Kythera(キィスェラ)  キティラ島(キィスェラ島)は、ペロポネソス半島の南近海で、ラコニーコス湾の湾口東寄りあたりに位置する島。[[エーゲ海]]と[[イオニア海]]とを分ける海域に存在。  古代遺跡や中世史跡が、かなりの数、遺っている。 '''【参照地図】''' *[[Greece|http://go.hrw.com/atlas/norm_htm/greece.htm]]([[HOLT RINEHART WINSTON WORLD ATLAS]]) *[[Greece Travel Guide - Map|http://www.worldtravelguide.net/country/102/map/Europe/Greece.html]]([[World Travel Guide]]) !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  キティラ島(キィスェラ島)の面積は、279.59平方km。居住人口は、2001年の統計で3,354人。平均人口密度は、11人ほど。  ただし、メジャーではないが、観光地として知られている。8月をピークに、5月の末頃〜9月半ば頃には、島の人口の2倍ほどの観光たちが訪れる、とされる。観光客はギリシア国内からの人数が、国外からの人数よりも多い。  海岸線は、切り立った崖に縁取られた深い湾が多い。周囲の海域から、荒涼とした潮風が吹き寄せる。古代から、ペロポネス半島に出入りする船舶の寄港地、あるいは戦略的な拠点として知られていた。19世紀半ばに現代ギリシシアへの帰属が決定されるまで、各国の商船、軍船、あるいは無国籍の海賊船が行き来した。  現在も遺る、建築物にも、中世ギリシア風、トルコ風、ベニス風、ブリテン風と、様々なスタイルが混在している。 ----  現在のキティラ島は、行政的には[[アッティカ州]]の[[ピラエウス県]]に属している。しかし、歴史的には、イオニア諸島との結びつきが長く続き、現在も[[ラコニア県]]([[ペロポネソス州]])から、ある程度の行政支援を受けている。  島の中心都市は、島の南部に位置するコーラ(Chora,Xora)。  島の近辺では地震が多く、直下が震源になった地震も少なくない。1903年に起きた大地震は、島の内外に多大な被害を及ぼしたが、おそらく、ミタタ村(Mitata)の直下に震源があったのだろう、と考えられている。  近年では、2004年に震度5.6〜5.8の地震が、2006年に震度6.9の地震が、島域を震源地にして起きた。これらの地震は、イタリア、ヨルダン、エジプトでも測定された。 ----  島の主要な港湾は、島の東岸で南北中ほどに位置するディアコフティ(Diakofti)の港。ディアコフティの港は1990年代半ばに、現代的に改修された設備を持ち、貨物船を含んだ内外の船便が就航。コーラに至近のカプサリ(Kapsari)の港には、外洋船も就航するがあまり大形の船は就航できない(こちらには、ペロポネソス半島との便の就航は無い)。  島の北東に位置するアギア・ペラギア(Agia Pelagia)の港は、小さく中形のフェリー程度しか停泊できない。実は、20世紀前半に改修が試みられたのだが、財政難から計画が中途で変更された。島に多数ある他の港は、中世以来の漁港がほとんど(と、想定)。  島内の中北部西寄りに位置するヴィアティカ(Viatika)空港は、国内便用地方空港で、通例、国際便を受け入れる機能は持っていない。 ----  キティラ島は、古代から航海路の中継拠点として活用され、諸国の船舶が往来した。にも関わらず、20世紀の後半から末にかけ、港湾や空港の設備が整えられるまで、冬季に海が荒れると、島外との往来が極端に困難になる、閉鎖性も持っていた。島が、最終的にギリシア領に編入されたのも1864年のことで、その直前までは[[U.K.(連合王国)]]の統治下にあった。  島内には、過去に支配的だった諸国の文化が混入しているが、一方で、中世以来の伝統も色濃く伝えられている。  それどころか、多くの伝統的な村には「古代に島に入植したヘレネスの有力家系が開拓した」との伝承を伝えている村が多い。  こうした村では、村名の末尾に「〜アニカ(-anika)」がついていたり、「〜アティカ(-athika)」「〜イアナ(-iana)」、「〜アデス(-ades)」を語尾にした村名を持っていたりする。これらの村の総数は、60を越えるとされる。例えば、「ロゴテティアニカ(Logothetianika)」は、「ロゴテティス(Logothetis)の家系が入植して開拓した」といった伝承を伝えている。  また、夏季に多い観光客には、海外からの観光客でもギリシア系移民やその子孫が多い。しかも、内外いずれの観光客にも、島から各地に移住した人たちの末裔が、親族を尋ねてくる例が大変に多い、と言われている。 ----  キティラ島は、古代ギリシア時代にはアフロディティ崇拝の有力センターの1つとして有名だった。  さらに遡る、紀元前[[2千年紀|千年紀]]には、ミノア系の入植者が定住していた。その後、B.C.424年にアテネの支配下に入った。その後は、ローマの属州に組み込まれ、ビザンツ領になり、ヴェネツィアに支配された後、オスマン=トルコ領となった。ギリシア独立戦争の過程では、独立を支援したU.K.(連合王国)の統治下に置かれた。  島は、有力国家に支配されただけでなく、しばしば、エーゲ海海賊の拠点にされたり、略奪を受けたりした。キティラ島の各所では、今でも海賊バルバロッサが、襲撃し、ギリシア正教の修道院を破壊した物語が、歴史伝承として語り伝えられている。 !さらに詳しい情報 *「難易度が、ある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  地質的には、島は、ヘレニック・プレートと、アーク・プレートとの境界近くに位置している。地震多発地域になっている、主な原因はこうした地質上の位置にある。 !GM向け参考情報 *GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど !!参照地図 *[[キティラ島地図|http://www.kythera.gr/en/maps/map_final_en.gif]]{{br}}([[KYTHERA MAP|http://www.kythera.gr/en/maps/index.php]],[[Tourist and Culture Guide of Kythera|http://www.kythera.gr/en/]]) !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]] !!関連項目 *[[アンティキティラ島]] *[[イオニア海]] *[[エーゲ海]] !!資料リンク *[[Wikitravel英語版:Peloponnese]]{{br}}[[Wikitravel英語版:Attica]]{{br}}[[Wikitravel英語版:Greece]]{{br}}[[Wikitravel日本語版:ギリシア]] *[[Wikipedia英語版:Kythera]] *[[Tourist and Culture Guide of Kythera|http://www.kythera.gr/en/]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイディア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}