{{toc}} !ラタキア県 ラタキアけん 簡易版 !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 :'''アラビア語名の音''':Al-Ladhiqiyah(アル・ラディクィヤー) :'''フランス語名''':Lattaqui?(ラタクィェ) :'''英語名''':Latakia(ラタキア) !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  ラタキア県(アル・ラディクィヤー)は、[[シリア=アラブ共和国]]の行政区の1つ。  シリア第1の港湾である[[ラタキア港|ラタキア市]]を擁している。 :'''参照イメージ''': *[[Photos:Syria - Al Ladhiqiyah|http://www.trekearth.com/gallery/Middle_East/Syria/North/Al_Ladhiqiyah/]]([[Trek Earth]]) !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。 :'''小辞典版推奨判定''':「交流+知性 目標値8〜10」、「情報+知性 目標値10〜12」 ::'''やや詳しい情報''' ラタキア県(アル・ラディクィヤー)は、[[シリア=アラブ共和国]]に13区分されている県(に相当する行政区)の1つ。国土北西端を占め、地中海東岸に面し、沿海部は、[[キプロス島]]東端から97kmほど。[[トルコ領|トルコ共和国]]南東部の1角とも接している。 :: 県域は、南で[[タルトゥース県]]と境界を接し、東の概ねで[[ハマー県]]と、北東の極1部で[[イドリブ県]]と境界を接している。北では、トルコ共和国との国境を挟んで、トルコの[[ハタイ県]]と接している。 :: 県域面積は、2,297平方kmとも2,437平方kmとも。居住人口は、891,000人(2005年推計)。 :: 行政中心は[[ラタキア市]]。県域沿海部の南端(県域西縁で言うとの南北中ほど)にて、地中海東岸に面している。 :: シリアの他の県同様、大統領に任命された県知事が、中央政庁から派遣されて県を統治している。 :'''【参照地図】''': *[[ラタキア県の県域|http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/7/7b/Latakia-map.png]]{{br}}(ラタキア県の県域,[[Wikimedia Commons]]) :'''小辞典版推奨判定''':「交流+知性 目標値10〜12」、「情報+知性 目標値12〜14」 ::'''やや詳しい情報''' ラタキア県は、シリア国内ではキリスト教徒居住者の比率が最も高い。1説に45%ほどがクリスチャンと言われている(シリア全域では10%ほど)。ただし、アルメニア正教や、アッシリア教会の信徒が多く、カソリックや西欧的なプロテスタントの信徒は例外的。 :: また、イスラム信徒の間でも、伝統的にアラウィー派が多数派の地域でもある。 ---- *「難易度が、ある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。 :'''小辞典版推奨判定''':「情報+知性 目標値12〜14」 ::'''やや詳しい情報''' ラタキア県の県域は、4つの群に区分されている。内、ラタキア郡が最も広く、県域中ほどを南西〜北東方向に概ね2分する線の北側で、県域の半分弱を占めている見当。県域の沿海部は皆、ラタキア郡に含まれている。 :: 県域の南東部は、北から南に、アル・ハッファ郡、クァダー郡、ジャブレー郡に区分されている。 :'''小辞典版推奨判定''':「歴史+知性 目標値12〜14」 ::'''やや詳しい情報''' 地域は、16世紀からオスマン=トルコの統治下に収められた。ただし、[[現レバノン領|レバノン共和国]]と共に、地域小勢力の分立が著しく、オスマン帝国の統治は、あまり安定したものとは言えなかった。 :: 概ね、小勢力の分立、帝国中央の妥協としての自治権の付与、地域の騒乱と帝国への反乱、総督や軍団を経検しての制圧といった出来事が何度か繰り返された。 :: オスマン帝国統治時代、地位の領主は概ねアラウィー派に占められ、帝国中央もそれを追認するようになっていた。 :: 古代には[[ラタキア港|ラタキア市]]を中心に海運で栄えた地域だったが、オスマン統治時代を通じて、港は徐々に衰微、20世紀はじめには、かつての港には漁村がある程度にまで衰退した。他方、交通ルートは、[[オロンテス川]]流域が盛んに用いられるようになり、地域の行政中心も内陸部に移っていった。 :: [[第1次世界大戦]]の前頃から、ラタキア港は西欧諸国の影響で経済的に再開発されていった。最も影響力が強かったのは[[フランス|フランス共和国]]だが、他に[[U.S.A.(合衆国)]]の宣教団などの活動もあった。 :: 1次大戦末にオスマン=トルコ帝国が滅びると、1920年から[[フランス共和国]]の委任統治領に。この時期、地域は、現在のシリア領の他の地域と区別され、アラウィー派中心の自治領に準じた統治をされた。 :: 第2次世界大戦中は、地域はヴィシー政権フランスの軍政下に置かれたが、1941年にU.K.(連合王国)と自由フランスの連合軍が進駐。1946年にシリアが独立し、ラタキア県の地域もシリア領の1部として独立した。 !GM向け参考情報 *GM向けの補足情報、[[マスタリング・チップス|チップス集]]、[[アイデア・フック]]など !!捕捉情報 *ラタキア県の県域面積(2,297平方km〜2,437平方km)は、[[日本|日本国]]の神奈川県(2,415平方km)よりやや狭いか概ね同程度(95%〜101%)の広さ。 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]] !!関連項目 *[[シリア=アラブ共和国]] *[[ラタキア市]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Latakia_Governorate]] *[[Wikipedia英語版:Districts_of_Syria]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイデア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}