{{toc}} !ロタリンギア (簡易版) !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 :'''英語表記''':Lotharingia :'''フランス語表記''':Lorraine province !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  特に無し。  「ロタリンギア」については、関連技能を持たないPCが予め知らないでいても不自然ではないと思われます。 !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  ロタリンギアは、[[ヨーロッパ]]の[[中世]]に、[[カロリング朝]]の領有地が、東西の[[フランク王国]]に分裂していく過程で短期間営まれた国家。 ----  中央集権的な国家ではなく、[[ロタール2世]]が、父である[[ロタール1世]]から領有権を継承した領邦の集合体だった。[[中部フランク王国]]([[ロタール王国]])の北部地域にあたる。  9世紀半ばに[[ヴェルダン条約]](843年)で成立したが、869年にロタール2世が死没。翌870年には[[メルセン条約]](870年)で、[[東フランク王国]]と[[西フランス王国]]によって再分割され併合された。  その範囲は、現在の[[フランス領|フランス共和国]]北西内陸部から、[[ネーデルラント王国]]、[[ベルギー王国]]、[[ルクセンブルク大公国]]の低地諸国(ベネルクス3国)、及び[[ドイツ連邦共和国]]の南東部に渡っていた。 ----  「ロタリンギア」の地名は、ラテン語で「Lotharii Regnum」を意味した“Lotharii Regnum”に由来。フランス語の「[[ロレーヌ|ロレーヌ地域圏]]」、ドイツ語の「ロートリンゲン(Lothringen)」の語源になった。  その後、現在のフランス領ロレーヌ地域圏にほぼ等しいロレーヌ地方では[[ロレーヌ公国]]が営まれ、フランス王朝とドイツ系王朝との間でたびたび統治権が争われた。  旧ロタリンギア東部は、922年にはドイツ王に服属することが確定されたが、10世紀の[[オットー大帝]]の代にケルン大司教の領地とされ、さらに後、上ロートリンゲンと下ロートリンゲンとに再分割された。 //さらに詳しい情報 //「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。 !GM向け参考情報 *GM向けの補足情報、[[マスタリング・チップス|チップス集]]、[[アイデア・フック]]など  「増補待ち」。 //'''【参照地図】''': //[[Image:843-870 Europe|http://en.wikipedia.org/wiki/Image:843-870_Europe.jpg]]{{br}}(9世紀半ばのヨーロッパ,[[Wikimedia Commons]]){{br}}地図中“KINGDOM OF LOTHAIR(ロタール王国)”と記されているクリーム色彩色部の北部が、ロタリンギアにあたる。 !リンク *[[+αのワールド用語]] *[[小辞典]] !!関連項目 *[[中部フランク王国]] *[[ロレーヌ公国]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Lotharingia]]{{br}}[[Wikipedia英語版:Lorraine (province)|http://en.wikipedia.org/wiki/Lorraine_%28province%29]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイデア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}