{{toc}} !マーリブの遺跡 マーリブのいせき :'''英語名''':Arcaeological site at Marib,Archaeological site of Sabae :'''アラビア語名''':調査中 !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  「マーリブの遺跡(Arcaeological site at Marib)」は、[[アラビア半島]]の南部にて、[[イエメン共和国]]の東方内陸の岩山地帯に刻まれた[[ワディ(涸谷)|ワディ]]近傍に位置する[[遺跡]]。  ユダヤ教聖典(『旧約』)に伝えられるシバ王国のモデルと目される、[[サバ王国]]と関係した遺跡。  報道によれば、2007年7月2日、自動車爆弾を用いた自爆テロがあり、外国人観光客に死傷者が出た、との事。 :'''【参照コンテンツ】''': *[[北海道新聞による報道(2007/07/03)|http://www.hokkaido-np.co.jp/news/international/35801.html]] *[[“Yemen bomb kills Spanish tourists”BBC NEWS|http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/6262302.stm]] !追加情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。 :'''小辞典版推奨判定''':「歴史+知性 目標値10〜12」「歴史+知性 目標値12〜14」 ::'''やや詳しい情報''' マーリブは、現在、遺跡地帯に存在していた農耕集落址(オールド・マーリブ)を指す。現在のマーリブ(ニュー・マーリブ)は、遺跡地帯の東方8kmほどに位置する地方都市。 :: 近年、イエメン共和国では、観光客誘致が進んでおり、遺跡地帯も観光化が進んでいる。[[1説に|一説に〜]]、平均して日に70人ほどの観光客が訪れている、とも言われる。 :: イエメンでは、2007年7月に遺跡地帯で起きた自爆テロの影響が懸念されている。 :'''小辞典版推奨判定''':「歴史+知性 目標値10〜12」 ::'''やや詳しい情報''' オールド・マーリブの近辺に知られている遺跡は、[[ワディ]](涸谷)に築かれた古代の灌漑用石積みダム址と、月神の神殿、太陽神の神殿など。 :: これらの遺跡が、サバ王国と関係したものであることは、周辺で発見されている古代石碑の碑文から確実。ただし、マーリブの遺跡は、サバ王国首邑の遺跡と推測されているが、どのように首邑の機能を担っていたかについては、今後の考古学的解明が待たれている。現在、発掘調査が断続中。 ---- *「難易度が、ある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。 :'''小辞典版推奨判定''':「歴史+知性 目標値12〜14」 ::'''詳しい情報''' マーリブの古代ダムは、涸谷に築かれた灌漑用貯水用ダム。ワディに流水が生じたときに貯水し、長期に渡り農作用水に使ったもの。貯水は北の庭、南の庭と呼ばれた2つの耕地で用いられた。 :: 月神の神殿は、はじめ野外聖所として用いられた物。紀元前5世紀頃方形の建物が建造された。 !GM向け参考情報 *GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど !!用途  ニュー・マーリブの規模は調べきれていません。地図のマーキングによれば、1万人未満級です。東方近傍に国内線空港が位置。  オールド・マーリブの方は、18世紀の調査記録によると、戸数300ほどの集落だった、とのことです。  1986年に、古代ダムの上流に、石積みのニュー・マーリブダムが建造され、オールド・マーリブは放棄されました。現在は、小高い丘陵の上で無人の廃虚(ゴースト・タウン)になっています。  首都からやや離れた町ですが、戦闘は、大規模なものでなければ、それなりに派手なものも可能でしょう。  ただし、ニュー・マーリブダムが破壊されたり、遺跡地帯に破壊が及んだりすると、一般メディアでもニュース・ヴァリューが高く、事後の事態収拾は困難になると思われます。  人口も多めなので、戦闘ヘリや戦車の類まで出してしまうと、事後収拾はほとんど不可能になるでしょう。  超自然的な異常事態は、かなり派手めなものを起こしても、事後収拾は可能でしょう。  例えば、「マーリブの遺跡から巨大な光の柱が立ち上ったことが首都からも望見された」としても、一般メディアで一時話題にはなっても、すぐにオカルト雑誌専門ネタになってしまうでしょう。マーリブの[[キャスト・レベル]]0住民たちが、口々に[[異常との遭遇|異常との遭遇判定]]を語ればなおさらです。  クライマックスにも使えるスポットです。導入部、他にも使えると思います。 !!遺跡へのアクセス !!!遺跡自体へのアクセス  現在、遺跡地帯は、イタリアの協力で発掘が継続され、一部の[[遺構]]では修復作業もおこなわれている、とのことです。家メン当局の警備隊も随伴しているように思われます。  特別な許可を得ない者は、イエメン人も外国人も遺構自体へは近づけません。  遺構の周囲は、2重の柵で取り囲まれており、観光客は最初の柵の内に入り、内部の柵内でおこなわれている発掘作業を見学することができるだけ、だそうです。 !!!アクセス・ルート  首都[[サヌア]]を経由して空路でマーリブの地方空港へ向うのが、基本的なルートでしょう。サヌアは、北方にサヌア国際空港を擁しています。  あるいは、サヌアから陸路を自動車でという手もあります。サヌアから北東へ進み、標高2200mのファルダ峠を経た後、東南東に転じマーリブに至る地方道があります。  2005年現在、イエメン東部では、武装集団に対する掃討作戦が継続されています。  メディアの報道では、「武装集団はアルカイダ系」と言われていますが、背景には[[イエメン共和国]]の合邦に反対していた勢力の残存もあるようなので、実情は複雑なのかもしれません。  山岳地帯では、山賊も出没するほか、外国人を対象にした誘拐事件も散発。  主要道路では、軍も出動した検問が、何ヵ所も設けられています。  外国人が東部地域に立ち入るためには、政府から特別な許可を得る必要がある、と想定します。  都市部への観光などは、普通許可されるようです。ただし、単独行動では許可は下りないと想定します。都市部を離れる地域へは、普通の観光客は立ち入り禁止、とフィクション設定しておきます。 '''【参考】''' *[[イエメン危険情報、他|http://www.anzen.mofa.go.jp/info/info4.asp?id=043#header]]([[外務省 海外安全ホームページ]]) !!!遺跡の周辺環境  環境帯としてはステップ気候。やや高い微高地で、西方山地の裾野に連なる緩い傾斜を有しています。  ニュー・マーリブダムが完工した後、遺跡一帯は、農耕地として活用されています。  地中海式農業が営まれている地域です。イエメンの農作物データから推測し、小麦、大麦、あわ、トウモロコシ、ナツメヤシ、などが生産されていると想定します。 !!遺跡の規模と構成  [[遺跡]]地帯は、6万平方kmに渡ります。 !!!古代ダム  オールド・マーリブが面していた[[ワディ(涸谷)]]上流、ニュー・マーリブの下流に築かれていた古代ダムは、幅340mほど、高さは15mほどで、切石組。水門や排水路の施設も付属しており、ダムの上流側は漆喰で塗り固められていた。  古代ダムの貯水は、北の庭、南の庭と呼ばれていた2つの耕地で用いられた。  紀元前8世紀頃に築かれ、何度か改修が加えられた、と言われているが、これはメソポタミアなどの文献記録に記された、アラビア半島南部の王国の記述に基づいた推測論。考古学的な分析に基づく説ではない。  ただし、一帯の発掘で、後代のアラビア文字の前身である古代南アラビア文字による碑文が次々発掘されている。遺跡の素性は、現在、解明途上にあり、今後、さらに詳しく整理される、と予想される。 !!!太陽神神殿(マハド・シャムシュ)  65もの部屋が発見されていることから「太陽(神)の宮殿」とも呼ばれている。  オールド・マーリブの南方8kmで、地域で、シルワーと呼ばれていた丘陵地の上に位置。  古代の太陽神アルマカ神に捧げられた神殿で、石作りの高い柱と屋根とに覆われていた。  発掘により出土した8本の柱が正面の門の入口にあたる。  神殿の門から、オールド・マーリブに向かう方向には、参道が設けられていたようだ。  太陽神殿は厚さ4m、高さ9mの円形の囲壁に囲まれている。  ちなみに、神殿内の多数の部屋に基づく呼称、「太陽の宮殿」は、通称とみなした方がいい。  「ビルキスの太陽宮殿」と呼ばれることもあるが、これはまだ明確に証明されたさけではなく、やはり通称とみておくべきだ。(ビルキスとは、古代サバ王国の“女王”と伝えられる人物の1人)  さらに「シバの女王の宮殿」となると、トンデモ説の1種としか言えない。[[サバ王国]]の[[ビルキス]]は、おそらく紀元前9世紀頃の人物であることがわかってきており、紀元前10世紀の人であるソロモン王とは生存年代が一致しないからである。  神殿の壁面にはアイベックス(アラビア半島に棲息するヤギの1種)のレリーフが多数見られる。  また、現在、イエメニアン航空のマークにもデザインが使われてい太陽神アルマカ神のレリーフも出土している。  神殿の内奥部からはブロンズ製の高さ9mの雄牛像が出土した。  神殿敷地からは、月神の神殿遺跡を望見することもできる。 !!!月神の神殿(アルシェ・ビルキス)  古代アラビアの月神イルムク神の神殿。  「アルシェ・ビルキス」(ビルキスの腰掛け)と呼ばれることもあるが、これも、通称の類とみておいた方がいい。  楕円形の広い境内と、その北側に建てられた列柱群、及び方形の建造物(神域への門か?)が知られている。  最初は、まず、野外聖所が営まれていた。紀元前8世紀〜紀元前5世紀の間のいつの頃か、この野外聖所を楕円形に取り囲む囲壁が築かれた。  囲壁の厚さは4mほど、高さ9m超の切石組。囲壁の出入り口は北側に開かれている。  紀元前5世紀に、入口の外に囲壁と接するように方形の建造物が建立された。  さらに後、囲壁内部に、方形の配列で列柱(参道か?)が設けられた。この列柱の柱頭の飾りは、紀元前3世紀頃のデザインの特徴を示している。  要するに、月神神殿遺跡は、[[サバ王国]]が大きな社会変動、文化変動を経る都度、大きな改築が加えられた、と目される。 ----  太陽神神殿、月神神殿の遺跡規模は調べきれていません。  しかし、厚さ4m、高さ9mの囲壁で囲まれた円形建造物、楕円形聖域、というデータを踏まえて、フィクション設定の図面を引くことはできるでしょう。  例えば、月神神殿内陣にあたる囲壁内に設けられた方形配列の列柱は、聖域の中央部かその手前まで続いている、とするのが自然と思われます。  後代建造物が建立された「北側に設けられた出入り口」は、楕円形囲壁の長い方向に設けられていた、と想定するといいでしょう。そうすれば、方形配列の列柱が、聖域中央に向けた参道のようになっている、として無理がないからです。 !!アイデア・フック  マーリブの月神神殿を、[[新バビロニア]]の[[ナボニドス王|ナボニドス]]と絡めることができたら、おもしろいかもしれません。  ナボニドス王は、メソポタミアの月神であるシン神の女神官だった母の影響で、月神崇拝に没頭した王です。  クーデタで王権を掌握したにもかかわらず、宗教に没頭して、新バビロニアの政情をますます混乱させた、という曰く付きの人物。治世の後半は、王太子に政治を任せると、アラビア半島のタイマに隠遁して宗教に没頭したというお人です。  マーリブの神殿で祀られていた古代アラビアの月神は、メソポタミアの月神シンとは別の神格です。が、そこは、[[アストラル・システム]]を絡めたフィクション設定を考えていくといいでしょう。  もちろん、[[シバの女王]]と絡める使い方も有望です。 :'''シバの女王と絡める場合のアイデア・フック''':  記事に書いてあるように、普通、シバの女王のモデルと言われるサバの女王ビルキスが、ソロモン王と実際に会見したとは思えません。年代が100年ほどズレるからです。 :: しかし、これは、不老不死や、転生者などの実在を認めない、一般歴史学での判断です(笑)。 :: [[シームレス・ワールド]]の過去では、実は、ビルキスはソロモン王と実際に会見していた、とあの手この手で設定することも可能です。 :: もちろん、そうした「真相」が、一般社会や、専門の学会に受け入れられるか? と言うと別問題になります。 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[遺跡]] //関連項目 //資料リンク !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイディア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}}