{{toc}} !マサハルタ (Masaherta) 簡易版 !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  マサハルタは、紀元前11世紀の半ば頃、10年に満たない期間、[[テーベ]]のアメン神殿でリーダーだった人物。「マサヘルタ」とも。 !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  マサハルタは、現在の古代エジプト研究で、テーベ神官団が「[[アメン大司祭国家]]」と呼ばれる体制をとっていた時期のリーダーの1人。  [[パネジェム1世]]の息子の1人で、父の死後、神官団のリーダーの地位を引き継いだ。[[ヘリホル]]から数えると、大司祭国家第4代のリーダーにあたる。  「アメン神の第一神官(ヘムチェルテピエンアメン)」の称号を用いたかどうかは、現在までのところ確認されていない。しかし、父であるパネジェム1世から「軍団の指揮官」「全土の軍団の総指揮官」の称号を継承していたようだ。事実上は、第一神官位にあった、とみなして構わないだろう。  マサハルタの没年は、B.C.1046年。アメン神官団のリーダーだったのは、足掛けで9年間になる。 ----  マサハルタのミイラは、[[テーベ]]西岸の[[遺跡地帯|遺跡]]にある[[デイル・アル・バハリ]]の[[カシェ]](隠し墓所)から発見されている。このカシェは、本来の埋葬所から、盗掘を避けるため後世の神官たちが、ミイラなどを移して再埋葬した場所。同じカシェから[[パネジェム1世]]や、[[メンケペルラー]]のミイラも発見された。ただし、しかも、マサハルタのミイラについては、副葬品の類があまり多く確認されていない。あるいは、多くは盗掘されて故売市場に流された後だったのかもしれない。  発見された記録によれば、[[パネジェム1世]]の死没年がB.C.1032年頃と、思われるのに、マサハルタが第一神官位についた年は、B.C.1054年とされることが多い。この即位年の数値は、[[タニス王朝|古代エジプト第21王朝]]の記録との対照研究によれば、かなり確からしい。  父の死後、第一神官位に就くのに二十数年かかった背景事情については、テーベを中心に[[上エジプト]]が内戦状態にあったため、と考えられている。しかし、現在のところ、「内戦」の経緯は、あまり[[解明されていない|定かでない]]。 !さらに詳しい情報 *「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  「増補待ち」 !GM向け参考情報 *GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイデア・フックなど  「増補待ち」 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[歴史上の実在人物]] !!関連項目 *[[アメン大司祭国家]] *[[ジェドコンスエファンク]] *[[スメンデス]] *[[パネジェム1世]] *[[メンケペルラー]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Masaherta]] *[[Masaherta|http://www.touregypt.net/who/masahert.htm]]([[Tour Egypt!|http://www.touregypt.net/]]) !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイディア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) *2007-02-12 (月) 05:21:50 鍼原神無 : 少しだけ、記事内容を追加しました。 {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}