{{toc}} !ナボポラッサル (Nabopolassar) 簡易版 !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  「ナボポラッサル」は、紀元前7世紀の末頃に活動した[[カルデア人]]で、[[新バビロニア]]の最初の王。 !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  ナボポラッサルは、アッシリア支配下にあった[[バビロニア]]南部の出身者で、アラム系のカルデア族の出身だった。ナボポラッサルは、ユダヤ教聖典(『旧約』)を通じて伝わった名。アッカド語による名は、「ナブー・アプラ・ウスル」。  B.C.625年、アッシリアに反乱を起こし、バビロンに入城。アッシリアからの独立とバビロン王とを宣言した。ナボポラッサルの興した「新バビロニア」の王朝は「カルデア王朝」とも「バビロン第11王朝」とも呼ばれる。  ナボポラッサルが反乱に至った経緯はよくわかっていない。「当時、アッシリアからバビロニア王に封じられていた[[カンダラヌ]]が死没したので、1年後にバビロンに侵攻した」とも、「アッシリア属州の総督としてカルデアを治めていたのが、蜂起した」とも[[言われている|諸説ある]]。  いずれにしても、[[アッシュル・バニパル]]の死(B.C.631年とも、B.C.627年とも)がもたらした、アッシリアの混乱、ないしは、弱体化に乗じたのだろう。  B.C.616年頃からバビロニアの北部へも勢力を拡大。B.C.615年に[[アッシリア地方]]に侵攻し[[アッシュル市]]を攻めたが、撃退された。  アッシュル市は、メディア王国の[[キャクサレス2世]]によって、少し後に攻め落とされた。この前後、ナボポラッサルは、メディアと同盟。B.C.612年、当時のアッシリア王都、[[ニネヴェ]]を陥落させた。この年は、しばしば「[[アッシリア]]が事実上、滅亡した年」とされている。  ナボポラッサルは、バビロニア諸都市に王宮や神殿を建設、新バビロニアの基礎を築いた。  ニネヴェ陥落後、現在の[[ハラン]]近傍にあった古代都市に依った[[アッシュル・ウバリト2世]]が、アッシリア残存軍をもって、メディア、バビロニアに抵抗の姿勢を示した。エジプト[[第26王朝|古代エジプト第26王朝]]の[[ネコ2世]]は、アッシュル・ウバリトを支援する遠征軍を、B.C.610年に派遣。  しかし、ウバリト率いたアッシリア軍もB.C.609年頃、遠征したバビロニア軍に倒された。この年が、「[[アッシリア]]が完全に滅びた年」とされている。  B.C.605年、エジプト軍と、[[ネブカドネツァル2世]]率いるバビロニア軍とが、[[カルケミシュの戦い]]で会戦。この戦いは、バビロニア側の勝利に終わったが、この間バビロニアでは、ナボポラッサルが急死していた。病死かもしれないが、死因はよくわかっていない。 !さらに詳しい情報 *「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  「増補待ち」 !GM向け参考情報 *GM向けの捕捉情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど  「増補待ち」 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[歴史上の実在人物]] !!関連項目 !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Nabopolassar]]{{br}}[[Wikipedia日本語版:ナボポラッサル]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイディア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}