{{toc}} !ニアール・ノイジァラック {{br}}(簡易版) *[[シームレス・ワールドの用語|小辞典ワールド編]]解説。 :'''英語表記''':Niall Noigiallach !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 ![[PC|プレイヤー・キャラクター]]が予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、[[PC|プレイヤー・キャラクター]]が知ってることにしていい」情報とします。  特に無し。  「ニアール・ノイジァラック」については、[[「関連技能を持たないPCは、予備知識なし」の処理|+αのワールド用語]]でも不自然ではないと思われます。 !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  ニアール・ノイジァラック(Niall Noigiallach)は、[[アイルランド|アイルランド島]]の歴史伝承に伝えられる伝説的人物。[[アイルランド王(リー・エーレン)|リー・エーレン]]になったことがある、と伝えられている。アイルランドで6世紀頃から勢力が強くなった[[ウィ・ネイル]]系氏族の名祖とされた。  伝承は、ニアールには2人の后と、8人の子がいた、と伝えている。このニアールの8人の子供たちが、アイルランドで6世紀頃から勢力を強めたウィ・ネイル系部族のそれぞれで、部族の始祖とされた。  「ノイジァラック(Niall Noigiallach)」とは、[[アイルランド・ゲール語]]の古い形で“nine hostages”といった意味。つまり、「ニアール・ノイジァラック」とは、「九人の捕虜を捕らえたニアール」といった名だった。  この名は、歴史物語で、リー・エーレンだった時期のニアールが、交戦した王国から人質として王族を預かった、とされることに由来する。  人質を預かった相手国については、物語によって様々な国が挙げられていて、一定していない。例えば、[[アルスター|アルスター地方]]、[[コナハト|コナハト地方]]、[[マンスター|マンスター地方]]、[[レンスター|レンスター地方]]の王国から人質を預かった、とされる。あるいは[[スコットランド王国]]、[[サクソン王国]]、[[フランク王国]]から人質を預かった、としている物語もある。 ----  ニアールの王位在位期間は、後世編まれたリー・エーレンの年代記では、概ね、4世紀末から5世紀初頭にかけて、とされた。例えば、378年〜405年とする年代記、368年〜 395年とする年代記などが知られている。  これらの年代記は、盛期中世の12世紀頃から、すでに近世の17世紀頃にかけて編まれたもので、伝説や歴史物語を材料に数世紀前の年代記を編成している。又、考証に際しても『[[聖書]]』やグレコ・ローマンの歴史伝承の記述を史実として前提したような年代記だった。このため、伝えられるニアールの王権の様子も、半ば以上伝説と入り混じっている。  例えば、ニアールが人質を預かったとされることのあるスコットランド王国、サクソン王国、フランク王国などが成立した時期は、ニアールの時代とされた時期よりもかなり後にズレている。  あるいは、ニアールは、指揮下の部族を率いて、度々、[[ウェールズ]]や[[南西イングランド]]を襲撃したとされている。[[ヒベルニア|アイルランド島]]部族集団の海賊的な襲撃については、当時のブリタニア側にも記録があるので、この類のエピソードは事実には基づいていると思われる。  しかし、年代記が、ニアールに率いられた襲撃団が若き日の[[聖パトリック]]をアイルランドに拉致してきた、と伝えているのは、これが事実かどうか確認されていない。  現在の研究者の多くは、ニアールはおそらく実在した部族長だっただろう、と考えることが多い。彼らの間では、伝統的な年代記に記したよりも半世紀ほど遅い時期、つまり5世紀前半頃が、ニアールが活動した時期だっただろう、と推測されることが多いようだ。 ----  11世紀頃の歴史物語『エオヒド・マグメドンの息子たちの冒険』は、ニアールは、リー・エーレンだったエオヒド・マグメドンの5番めの男児だった、と伝えている。マグメンドンは、[[マンスター王|リー・コーギド]]の姉妹だった最初の妃モンフィンドとの間に4人の男児を設けていた。その後、2人めの后としたサクソン王の姫、黒髪のケイレンとの間に生まれたのがニアールだった、とのことだ。  5世紀頃は、まだブリタニアにはサクソン系王国は成立していない。物語に後世の潤色があることがわかる。「ケイレン」はラテン語系の女性名がゲール語化したものなので、あるいは、ニールの母親はブリテン島から拉致されてきたローマ化したブリトン人だったかもしれない、とは言われている。  歴史物語は、「貴族の間でのニアールの人望を見て、モンフィンドがエオヒド・マグメドンに自分の息子4人の1人を世継ぎに指名するよう迫った」と伝えている。マグメドンは、世継ぎの選定をドルイド僧に委ねた。  ドルイド僧は、5人兄弟を鍛冶作業場に入れると工房に火をかける。それぞれが、何を持ち出したかを見て、世継ぎを決めることにし、大きな鉄床を持ち出したニアールが世継ぎに選ばれた。二アールの王位継承譚には別種の物語もいくつか伝わっている。  歴史物語『ニアール・ノイジァラックの死』では、ニアールは、[[大陸部ヨーロッパ|ヨーロッパ]]の[[アルプス|ヨーロッパ・アルプス]]近くまで遠征した後、[[スコットランド]]で襲撃され死亡したかに記されている。  物語の展開に不自然さがあり「大陸遠征」のヵ所はより後世に挿入されたのだろう、と言われている。あるいは、ブリタンニアがローマに征服された時代のことがアイルランドでは忘れられた時期に、ニアールがローマ化していたイングランドに遠征した物語が再話され、ローマまで遠征したと語られた、とする説もある。  ニアールの遺体は、配下が持ち帰り[[ナヴァン]]の北西に位置する[[ファウガン丘陵]](現在の[[ミース県]]中央部)に埋葬された、と語られている。 !さらに詳しい情報 *「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  「増補待ち」。 ![[GM|ゲーム・マスター]]向け参考情報 *[[GM|ゲーム・マスター]]向けの補足情報、[[マスタリング・チップス|チップス集]]、[[アイデア・フック]]など。  「増補待ち」。 !リンク *[[+αのワールド用語]] *[[小辞典]] !!関連項目 *[[アイルランド島]] *[[アルスター地方]] *[[ウィ・ネイル]] *[[ウェールズ]] *[[コナハト地方]] *[[サクソン王国]] *[[スコットランド]] *[[スコットランド王国]] *[[聖パトリック]] *[[ナヴァン]] *[[南西イングランド]] *[[ファウガン丘陵]] *[[フランク王国]] *[[マンスター地方]] *[[ミース県]] *[[ヨーロッパ・アルプス]] *[[リー・エーレン]] *[[リー・コーギド]] *[[レンスター地方]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Niall_Noigiallach]]{{br}}[[Wikipedia英語版:Category:Legendary High Kings of Ireland|http://en.wikipedia.org/wiki/Category:Legendary_High_Kings_of_Ireland]]{{br}}[[Wikipedia英語版:Category:Cycles of the Kings|http://en.wikipedia.org/wiki/Category:Cycles_of_the_Kings]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイデア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}