{{toc}} !北アフリカ きたアフリカ (Northern Africa,North Africa) 簡易版 !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先的に大歓迎。 !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  「北アフリカ」は、[[アフリカ州|アフリカ]]の北部地域を指す。[[サハラ沙漠]]以北のアフリカ州とみなすと概ね正しい。  領域の定義は幾通りかあるので、[[ワールド・ワイド]]な調査に従事する[[ブルーローズのメンバー|ブルーローズのメンバーシップ]]には、話題やTPOに応じて、適切な定義を使い分ける対応が期待される。  北アフリカ地域に関しては、まず、国連の定義を意識しておくといいだろ。種々の国際的な統計調査が、国連の定義と同様の範囲を「北アフリカ」として、処理されているからだ。  2006年現在、国連による定義は、以下の現存国家の領域、及び、係争中の地域が北アフリカを構成するもの、としている。 *[[アルジェリア民主人民共和国]] *[[エジプト=アラブ共和国]]{{br}}なお、エジプト領の[[シナイ半島]]は北アフリカに含めないのが慣例。 *[[社会主義人民リビア=アラブ国]] *[[スーダン共和国]] *[[チュニジア共和国]] *西サハラ地域{{br}}(2006年現在、[[サハラ=アラブ民主共和国]]と[[モロッコ王国]]とが係争中) *[[モロッコ王国]]  地理学や、気象学、生態研究などの分野では、上記の国連定義の領域に加えて、しばしば以下の国家の領域幾つかを北アフリカに含めることがある。(必ずしも、以下の領域すべてを含めるわけではない) *[[エチオピア連邦民主共和国]] *[[エリトリア国]] *[[ジブチ共和国]] *[[チャド共和国]] *[[ニジェール共和国]] *[[マリ共和国]] *[[モーリタニア=イスラム共和国]] ----  北アフリカは、地中海南岸に面し、西端は[[大西洋]]に、東端は[[紅海]]にも面している。沿岸部には、地中海性気候に属す地域が多い。  西部では沿岸近くに[[アトラス山脈]]が横たわる。山脈の南方と東方とは比較的傾斜が緩やかで、傾斜面から裾野部にかけてがステップ地帯になり、[[サハラ沙漠]]の縁辺まで続く。  内陸部は、[[沙漠]]性の乾燥気候帯が広がり、礫沙漠や、岩地沙漠の高地や山地を含む[[サハラ沙漠]]が北アフリカ地域の9割とも言われる面積を占めている。サハラ沙漠の領域は、普通はエジプト領の[[ナイル西岸|ナイル川]]までとされる。  ナイル両岸の河岸渓谷は、水に恵まれ乾燥地ではないが、ナイルの東方は、紅海沿岸の手前まで再度沙漠地帯となり、紅海西岸に沿うように岩地沙漠の山地が断続。スーダン領北東部の山地地帯に続いていく。 '''【参照地図】''' *[[Image:LocationNorthernAfrica|http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a1/LocationNorthernAfrica.png]]{{br}}(北アフリカの地域図,ダーク・グリーンの彩色部が国連定義、ライト・グリーンの彩色部がしばしば北アフリカに含まれることもある地域,[[Wikimedia Commons]]) !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  北アフリカ地域は、しばしば、[[中東地域|中東]]の一部とみなされることがある。ことにメディア報道や、政治的なやりとりで多い。  「中東」は、元々、第2次大戦後に[[U.S.A.(合衆国)]]が、自国の国際戦略(ことに石油戦略)策定のために使い出した地域概念が広まったものだ。それだけに、論者の政治的立場に応じて、指す範囲に異同が多い。しかも、政治状況の変化に応じて範囲も流動的に変化しがちだ。甚だしい場合、「北アフリカは中東の一部」という規定が一人歩きするようなこともある。例えば、中東の範囲が変化するのに応じて、北アフリカの範囲まで変化させてしまう本末転倒がみられることすらあるので、注意が必要だ。  北アフリカにかなり重なる地域概念に、歴史的地域名になりつつある[[マグレブ地域|マグレブ]]もある。  本来のマグレブには、エジプトやリビア東部は含まれない。しかし、元々中世アラブ人が呼び始めた地域概念に由来する地域概念なので、現在でもアラビア語話者が多い北アフリカ地域と、歴史的、文化的な連続性は強い。 ----  北アフリカ地域の諸国には、圧倒的に[[アラブ人]]の居住者が多い。少数派の民族集団で人口が多いのは、[[ベルベル系の諸民族|ベルベル人]]。ベルベル系の民族集団の主な居住地は、民族集団ごとに別れ、諸国に分散している。傾向としては、北アフリカでも中部以西に多く居住する、とは言える。  また、ベルベル系の諸民族には、サハラ沙漠に点在する[[オアシス]]を拠点にした沙漠遊牧民の比率が高い。  なお、ベルベル人の民族集団では、[[母語]]とするベルベル系の言語とアラビア語とのバイリンガルが、かなりいることが多い。ベルベル系の民族主義者の一部には、「北アフリカ西部のアラブ人は、すべて、アラブ化したベルベル人(の後裔)だ」と唱える意見も聞かれる。政治的、現実的な意味がどれだけあるかは疑問だが、根拠のない説とも言えない。  宗教的には、イスラム教が多数派になるが、国によってはキリスト教徒や伝統的民族宗教を信仰する人々が、低くない割合で混在している例もある。  イスラム教徒の間の、[[スンナ派]]、[[シーア派]]の割合は、国によって様々だ。キリスト教徒の間では、カソリック信徒が多数派とは言える。ただし、エジプトは例外で、キリスト教徒ではコプト信者が多数派になっている。 ----  中世の中盤から北アフリカの地域は、西部のモロッコ王国の領域を除いて、中世にはオスマン=トルコ帝国の統治下に入った。その統治程度は、地域により、時代によりまちまちだったが、傾向として域内の西方ほど緩い支配で、地域の自律性が強い傾向はあった。  また、ベルベル系の沙漠遊牧民たちは、概してオスマン帝国の支配に服さず、支配力が強ければ従属的に振る舞い、支配が弱まれば叛旗を翻すといった行動が少なくなかった。  19世紀以降、西欧諸国による植民地化が進み、地域は、イタリア、スペイン、[[フランス共和国]]、及び[[U.K.(連合王国)]]によって分割統治されていった。植民地経営の形態は、西欧側の国ごとに傾向があり、フランスのように領有を宣言した土地が広かった国もあれば、U.K.のように、保護国など表面上はソフトな統治を採った国もあった。もちろん、北アフリカ側の対応も、地域ごとに種々あった。  第2次世界大戦中の1940年〜1943年にかけ、北アフリカでは幾つかの戦役が戦われた。西欧諸国は大戦によって経済的に疲弊し、北アフリカの諸国は、1950年代から1960年代にかけて相次ぎ独立。1970年代には、北アフリカ地域に含まれえるあらゆる国が独立を果たした。 !さらに詳しい情報 *「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  「増補待ち」 !GM向け参考情報 *GM向けの捕捉情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど  「増補待ち」 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[ランド・マーク]] !!関連項目 *[[アフリカ]] *[[アフリカ州の現存国家]] *[[アフリカ州のランド・マーク]] *[[中央アフリカ]] *[[西アフリカ]] *[[東アフリカ]] *[[南アフリカ]] !!資料リンク *[[North Africa|http://en.wikipedia.org/wiki/Northern_Africa]]([[WIKIPEDIA The Free Encyclopedeia(英文版)|http://en.wikipedia.org/wiki/Main_Page]]) !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイディア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}