{{toc}} !歴史上の実在人物  リアル・ワールドの歴史上、実在とみなされてる人物についての項目です。 *[[ナザレのイエス]]、[[ブッダ]]、[[ゾロアスター]]、あるいは[[ピタゴラス]]のように、普通は歴史上実在した、とみなされても、伝説的イメージが強い人物は、ここと、[[神話、伝説のキャラクター]]との両方に置くのがいいでしょう。{{br}}ただし、解説文でその旨説明されていることを推奨します。 *俵の藤太([[藤原秀郷]])のように、著名な伝説を持つ実在人物も同様の扱いがいいと思います。 *完全に、伝説上の人物 (大和武尊など)は、[[神話、伝説のキャラクター]]のみでいいと思います。 !注記  [[小辞典]]では、このページ内の以下の記述は、すべて「PCが予め知ってていい情報」とみなすことにします。 !!ア行 !!!ア〜 :'''[[アシャリド・アピル・エクル]]''': 紀元前11世紀の前半に、数年間だけ[[アッシリア国家|アッシリア]]を統治したアッシリアの統治者。彼が立位した頃は、一時拡大していたアッシリア支配地に、アラム系諸部族の波状的な侵入が続いた時期にあたる。アシャリド・アピル・エクルの短い治世については、何もわかっていないに等しい。 :'''[[アダド・ニラリ2世]]''' アダド・ニラリにせい: 紀元前10世紀末から紀元前9世紀はじめにかけて、[[アッシリア|アッシリア国家]]の支配者だった人物。古都[[アッシュル]]周辺にまで縮退していたアッシリア領土を回復する戦争を推し進めた。 :'''[[アダド・ニラリ3世]]''' アダド・ニラリ さんせい: 紀元前9世紀末から紀元前8世紀はじめにかけての[[アッシリア|アッシリア国家]]の支配者。 :: アッシリアの勢力が、一時停滞していた時期から、再度拡張に向かった時期の統治者だが、治世の間に、後々の混乱を招く要因が幾つも生じた。 :'''[[アッシュル・ウバリト2世]]''' アッシュル・ウバリト にせい: [[アッシリア帝国]]及び、[[アッシリア|アッシリア国家]]最後の支配者とされている人物。 :: 紀元前7世紀に、アッシリア帝国の都だった[[ニネヴェ]]が、[[新バビロニア]]と[[メディア王国]]との連合軍に攻め落とされた後、[[歴史的シリア]]北部の古代都市([[現トルコ領|トルコ共和国]]の[[ハラン]]近傍)に依って、残存兵力を取りまとめた。その後、数年間防戦した後、戦死。アッシリア残存軍も壊滅した。 :'''[[アッシュル・エティル・イラニ]]''': [[新アッシリア時代]]、帝国期アッシリア末期の支配者。紀元前7世紀の前半に数年間在位したようだが、在位中の記録は殆ど残されていない。 :'''[[アッシュル・ダン2世]]''' アッシュル・ダン にせい: 紀元前10世紀の後半に、数十年間、[[アッシリア|アッシリア国家]]の支配者を勤めた人物。 :'''[[アッシュル・ダン3世]]''' アッシュル・ダン さんせい: [[新アッシリア時代]]の[[アッシリア|アッシリア国家]]支配者の1人。紀元前8世紀の中ほどに在位した。 :: [[アッシリア帝国]]初期の人物だが、その事跡、人物像などは、[[定かには解明されていない|定かでない]]。 :'''[[アッシュル・ナツィルパル1世]]''' アッシュル・ナツィルパル いっせい: 紀元前11世紀の半ばから後半に二十数年間、[[アッシリア|アッシリア国家]]の統治者だった人物。 :'''[[アッシュル・ナツィルパル2世]]''' アッシュル・ナツィルパルにせい: 紀元前9世紀の半ば頃に活躍した[[アッシリア王]]。盛んに遠征をおこない、[[アッシリア領]]を拡大。直轄地を増やすと共に、各方面への侵攻戦で、多数の国を朝貢国として服属させた。 :'''[[アッシュル・ニラリ4世]]''' アッシュル・ニラリ よんせい: 紀元前11世紀の末頃に、短期間、[[アッシリア|アッシリア国家]]の支配者を勤めた人物。 :'''[[アッシュル・ニラリ5世]]''' アッシュル・ニラリ ごせい: [[新アッシリア時代]]の[[アッシリア|アッシリア国家]]支配者の1人。紀元前8世紀の半ばに、10年強ほど在位。 :: [[アッシリア帝国]]の初期の人物だが、その事跡、人物像などは、[[定かには解明されていない|定かでない]]。 :'''[[アッシュル・バニパル]]''': 紀元前7世紀の後半に活躍した、帝国期[[新アッシリア|新アッシリア時代]]の[[帝王|アッシリア王]]。エジプトにまで支配を及ぼしたが、彼の死後、アッシリアは18年間という短期間で滅亡した。 :: アッシュルバニパルの命で収拾され、[[ニネヴェ遺跡]]から出土した[[アッシュルバニパル文庫]]でも知られる。 :'''[[アッシュル・ベル・カラ]]''': 紀元前11世紀の前半から半ばにかけ、20年弱ほど[[アッシリア国家|アッシリア]]を統治したアッシリアの統治者。 :: 治世は、父で先々代の支配者だった[[ティグラト・ピラセル1世]]が征服した地域に、引き続きアラム系諸部族の侵入が続いていた。アッシュル・ベル・カラは、征服地も含めたアッシリア国家の統治秩序回復に多大な努力を払った人物、と理解されることが多い。 :'''[[アッシュル・ラビ2世]]''' アッシュル・ラビ にせい: 紀元前11世紀の末から紀元前10世紀の前半にかけ、40年以上の長期間、[[アッシリア|アッシリア国家]]の支配者を勤めた人物。 :'''[[アッシュル・レシャ・イシ2世]]''' アッシュル・レシャ・イシ にせい: 紀元前10世紀の前半に、5、6年間、[[アッシリア|アッシリア国家]]の支配者の地位にあった人物。 :'''アハ''':⇒ '''[[ホル・アハ]]''' :'''[[アブガル5世]]''' アブガルごせい: 「アブガルス5世」とも。紀元1世紀頃、古代エデッサに実在した[[オスロエネ王国]]の王。 :: しかし、欧米のキリスト教徒の間では、むしろ「[[エデッサのマンディリオン]]と呼ばれる、イエスの肖像が示した奇跡的な力で病を癒された」との、聖書外伝承で有名。 :'''[[アメンエムニス]]''': 紀元前11世紀半ばに、[[下エジプト]]の[[タニス王朝|古代エジプト第21王朝]]で、短期間君臨した人物。 :'''[[アメンエムハト1世]]''' アメンエムハトいっせい: [[古代エジプト]]の[[中王国時代|古代エジプトの中王国時代]]、[[第12王朝|古代エジプト第12王朝]]の[[ファラオ]]だった人物。 :: [[第11王朝|古代エジプト第11王朝]]の事業を引き継ぐように、第12王朝の基礎を築いたファラオで、王朝初代にあたる。 :'''[[アメンエムハト2世]]''' アメンエムハトにせい: [[古代エジプト]]の[[中王国時代|古代エジプトの中王国時代]]に、[[第12王朝|古代エジプト第12王朝]]の[[ファラオ]]だった人物。 :'''[[アメンエムハト3世]]''' アメンエムハトさんせい: [[古代エジプト]]の[[中王国時代|古代エジプトの中王国時代]]、[[第12王朝|古代エジプト第12王朝]]の[[ファラオ]]だった人物。即位したのは、紀元前19世紀の半ば頃。46年間と言われる長期間、ファラオの地位にあったことで知られている。 :'''[[アメンエムハト4世]]''' アメンエムハトよんせい: [[古代エジプト]]の[[中王国時代|古代エジプトの中王国時代]]、[[第12王朝|古代エジプト第12王朝]]の[[ファラオ]]だった人物。第12王朝末期のファラオだが、細かな事跡は[[あまり解明されていない|定かでない]]。 :'''[[アリク・デン・イリ]]''': [[中アッシリア時代]]の[[アッシリア|アッシリア国家]]支配者の1人。紀元前14世紀末頃に在位したと思われる。あるいは、治世が紀元前13世紀初頭に及んだ、とする[[説もある|諸説ある]]。 :: 先代からはじまっていた[[バビロニア]]との戦争を、継続した。 :'''[[アレクサンダー・フォン・フンボルト]]''': 18世紀末から19世紀前半にかけて活動した、プロイセン出身の博物学者、探検家。晩年は、プロシア学術協会の初代会長に就任。プロシア貴族の出で、兄は、プロシア首相も勤めた外交官、言語学者、哲学者の[[ヴィルヘルム・フォン・フンボルト]]。 :: [[南アメリカ]]を探索し、[[フンボルト海流]]を命名。帝政ロシア時代の[[チュルケスタン]]を探索し、「[[中央アジア]]([[内陸アジア]])」の用語を提唱。 :: 現在では、特に植物地理学の基礎を整理した功績が高く評価されている。有機体の分布が、地域によって異なる自然条件に影響される、と唱えた。これは、当時としては斬新な考え方で、今日の生態系研究の出発点になったもの、と言える。 :: 2006年現在、[[ドイツ連邦共和国]]では、政府の財政支援で創設された「[[アレクサンダー・フォン・フンボルト財団]]」が、「国際的な研究協力の振興」を目的に、非営利組織として運営されている。 :'''[[アレクサンドロス]]''': [[古代マケドニア]]の[[アレクサンドロス3世]]が有名だが、「アレクサンドロス」は古くからあるギリシア系の人名。[[ギリシア神話]]にも用例がある。女性形は「アレクサンドラ」。 :'''[[アンテフ1世]]''' アンテフいっせい: [[第11王朝|古代エジプト第11王朝]]の[[ファラオ]]と伝えられていた人物。 :: 実態は、[[古代エジプト]]の[[第1中間期|古代エジプトの第1中間期]]に、テーベを支配した豪族の長で、後世[[第11王朝|古代エジプト第11王朝]]と呼ばれる事になった地方政権の支配者だった。ノモスの知事だった、とも言われる。 :'''[[アンテフ2世]]''' アンテフにせい: [[古代エジプト]]の[[第11王朝|古代エジプト第11王朝]]で[[ファラオ]]だった、と伝えられていた人物。 :: 実態は、[[古代エジプト]]の[[第1中間期|古代エジプトの第1中間期]]に、テーベを支配した豪族の長で、後世[[第11王朝|古代エジプト第11王朝]]と呼ばれる事になった地方政権の支配者だった。やはりテーベを支配した兄弟[[アンテフ1世]]同様、[[ファラオ]]を称した。 :'''[[アンテフ3世]]''' アンテフさんせい: [[古代エジプト]]の[[第11王朝|古代エジプト第11王朝]]で[[ファラオ]]だった、と伝えられていた人物。 :: 実態は、[[古代エジプト]]の[[第1中間期|古代エジプトの第1中間期]]に、テーベを拠点に[[上エジプト地方|上エジプト]]の広域を支配した。後世[[第11王朝|古代エジプト第11王朝]]と呼ばれる事になった地方政権が、上下エジプトを再統一する前夜の人物だった。やはりテーベを支配した[[アンテフ2世]]同様、[[ファラオ]]を称した。 !!!イ〜 !!!ウ〜 :'''[[ヴィクトール・ローレット]]''': ヴィクトール・ローレット(Victor Clement Georges Philippe Loret)は、19世紀末から20世紀前半にかけて活動したフランス人考古学者、エジプト学者。 :'''[[ウィンザー家]]''' ウィンザーけ: [[U.K.(連合王国)]]の現王室が属す家門。 :'''[[ウグァフ]]''': [[古代エジプト]]の[[第2中間期|古代エジプトの第2中間期]]に、[[第13王朝|古代エジプト第13王朝]]の[[ファラオ]]だった、と伝えられている人物。王朝初代のファラオだった、とされることが多い。 !!!エ〜 :'''エヴァンズ=プリチャード''':⇒ '''[[E.E.エヴァンズ=プリチャード]]''' :'''[[エサルハッドン]]''': 紀元前7世紀の前半に在位した[[アッシリア帝国]]の[[帝王|古代アッシリアの王位]]。バビロニア王も兼務し、[[バビロン|バビロンの遺跡]]などに対して寛大な政策を採った。 :: シリア・パレスティナ地域を従え、エジプトに侵攻。下エジプトを征服し、[[古代エジプト第25王朝|古代エジプトの第25王朝]]の[[ファラオ]]だった[[タハルカ]]を[[ヌビア|歴史的ヌビア地域]]にまで追いやった。 :'''[[エリバ・アダド2世]]''' エリバ・アダドにせい: 紀元前11世紀の半ばに、数年間の短期間、[[アッシリア|アッシリア国家]]の統治者だった人物。 :: クーデタによって地位を簒奪された、と考えられている。統治期間が短かく、その事跡や人物像については、ほとんど知られていない。 :'''[[エンリル・ニラリ]]''': [[中アッシリア時代]]の[[アッシリア|アッシリア国家]]支配者の1人。紀元前14世紀末頃に在位したと思われる。当時[[バビロニア]]を支配していた[[カッシート王朝]]と、戦った。 !!!オ〜 !!カ行 !!!カ〜 :'''[[ガストン・マスペロ]]''': 19世紀末から20世紀の初頭にかけて活動したフランス人考古学者、エジプト学者。古代エジプトの言語を研究した言語学者としても有名だった。 :'''[[カヌート(大王)]]''' カヌート(だいおう): カヌートは、11世紀にイングランド王となった[[デーン人]]の[[ヴァイキング]]首長。 :: 当時の[[イングランド王国]]([[ウェセックス朝]])のアセルレッド2世の死後、イングランド王位に就き、後に「北海帝国」とも呼ばれる広域を支配。「大王」と呼ばれた。 !!!キ〜 :'''[[ギルガメシュ]]''': [[古代メソポタミア]]の神話、伝説で語られた英雄。2/3が神で、1/3が人間だった、と伝えられている。モデルとされた人物が、[[ウルク]]の王として実在していた可能性も論じられているが、直接の証拠は少なく、現状では慎重に判断保留とする研究者も少なくない。 !!!ク〜 !!!ケ〜 !!!コ〜 :'''[[コルマク・マク・クレナーン]]''': 中世[[アイルランド|アイルランド島]]の[[マンスター地方]]でカシェルの修道院長だった人物。晩年は、[[マンスター王|リー・コーギド]]も兼ね、[[レンスター地方]]で戦死した。 !!サ行 !!!サ〜 :'''[[サルゴン2世]]''' サルゴンにせい: 古代[[アッシリア帝国]]の支配者。紀元前8世紀の第4四半期頃に統治した。 !!!シ〜 :'''[[ジェドコンスエファンク]]''': 紀元前11世紀の半ばに、極、短期間、[[テーベ]]のアメン神殿でリーダーだった人物。 :'''[[シャバカ]]''': [[古代エジプト]]の[[新王国時代|古代エジプトの新王国時代]]末期の[[ファラオ]]。[[ヌビア|歴史的ヌビア地域]]出身だが、エジプト各地の地方勢力に宗主権を認められた。 :'''[[シャバタカ]]''': [[古代エジプト]][[新王国時代|古代エジプトの新王国時代]]末期の[[ファラオ]]。[[アッシリア帝国]]に対する政略で、[[シリア・パレスティナ地域]]の諸都市による対アッシリア抵抗戦を何かと支援した。 :'''[[シャマシュ・シェム・ウキン]]''': 帝国期[[新アッシリア|新アッシリア時代]]の[[王族|アッシリア王]]で、紀元前7世紀後半に[[バビロニア]]王となった人物。 :: バビロニア王就任は、父[[エサルハッドン]]生前の指名だったが、弟であるアッシリア王[[アッシュル・バニパル]]に反乱を起こし、破れた。 :'''[[シャムシ・アダド4世]]''' シャムシ・アダドよん世: 紀元前11世紀の半ばに、5年間ほど、[[アッシリア|アッシリア国家]]の統治者だった人物。 :: クーデタによって地位を簒奪した、と考えられている。事跡や人物像については、ほとんど、何もわかっていない。 :'''[[シャムシ・アダド5世]]''' シャムシ・アダド5せい: 紀元前9世紀末のアッシリア王。 :: [[シャルマネセル3世]]の息子で、父の跡を継いだが、シャムシ・アダドと息子で次代王[[アダド・ニラリ2世]]の代以降、アッシリアの勢力は一時的に停滞していった。この停滞の経緯、背景理由などについては、[[諸説|諸説ある]]あって[[定かには解明されていない|定かでない]]。 :'''[[ジャムシェトジー・ナッセルワンジ・タタ]]''':19世紀のインドで活躍した、[[パールシー]]の実業家。[[タタ・スチール]]や、貿易会社[[タタ・サンズ]]を起業し、現在の[[タタ・グループ]]の基礎を築いた。しばしば「(インドの)現代産業の父」と呼ばれる。 :'''[[シャルマネセル2世]]''' シャルマネセル にせい: 紀元前11世紀の後半に、[[アッシリア|アッシリア国家]]の統治者だった人物。記録によれば、統治機関は十数年に渡っていたが、その事跡や人物像などについては、[[ほとんど何もわかっていない|定かでない]]。 :'''[[シャルマネセル3世]]''' シャルマネセル さんせい: 紀元前9世紀の後半に活躍したアッシリアの支配者。父、[[アッシュル・ナツィルパル2世]]の領土拡張政策を継承。 :: アッシュル・ナツィルパル2世の代にアッシリアに従属した勢力には、反抗に転じたものが多かったが、シャルマネセル3世は、これらを再度、服属させていった。 :'''[[シャルマネセル4世]]''' シャルマネセル よんせい: [[新アッシリア時代]]の[[アッシリア|アッシリア国家]]支配者の1人。紀元前8世紀前半期に10年ほど在位。 :'''[[シャルマネセル5世]]''' シャルマネセル ごせい: [[アッシリア帝国]]の支配者だった[[ティグラト・ピラセル3世]]の息子。父の跡を継ぎ、紀元前8世紀前半に、帝国を支配した。 :'''[[シン・シャル・イシュクン]]''': [[アッシリア]]最末期、[[アッシリア帝国]]滅亡期の人物。おそらくは、[[アッシュル・バニパル]]の息子と思われる、紀元前7世紀頃の人物。 :: 同時代の記録はほとんど伝っていない人物だが、あるいは、紀元前3世紀に[[ベロッソス]]が「サラカス(Saracus)」として記した人物である可能性は高い。 :'''[[シン・シュム・リシル]]''': [[アッシリア帝国]]の末期、[[アッシュル・バニパル]]死後の混乱期に、[[バビロニア地方|バビロニア]]の支配者を僭称したと思われる人物。上級の宮廷宦官だった、と言われている。 :: 「短期間、[[アッシリアの支配者|古代アッシリアの王位]]だった」と言われることもあるが、これは疑わしい。もし、アッシリアの支配者を称すことがあったとしても、こちらは確実に僭称だっただろう。 :: 細かな事跡は[[ほとんどわかっていない|定かでない]]が、アッシュル・バニパルの息子[[アッシュル・エティル・イラニ]]の、政治的後ろ盾(宮廷での相談役?)だったのが、エティル・イラニを殺害してバビロニアの支配権を簒奪した、と言われることが多い。 !!!ス〜 :'''[[スコルピオン・キング]]''': [[エジプト|エジプト=アラブ共和国]]南部の[[ヒエラコンポリスの遺跡]]から、19世紀末に出土した[[スコルピオン・メイスヘッド]]の所有者として想定された人物。メイスヘッドに刻まれていた蠍を形どった神聖文字から「スコルピオン・キング」または、「キング・スコルピオン」と呼ばれた。 :: 実在したとすれば、[[古代エジプト]]の[[先王朝時代|古代エジプトの先王朝時代]]の人物になると思われる。しかし、その実在や身分については、メイスヘッドの発見時から現在に至るまで、[[諸説あり|諸説ある]][[定かではない|定かでない]]。 :'''スターリン''':⇒ '''[[ヨシフ・スターリン]]''' :'''[[スメンデス]]''': [[古代エジプト]]の[[第3中間期|古代エジプトの第3中間期]]に、[[第21王朝|古代エジプト第21王朝]]を開いた人物。在位したのは、紀元前11世紀中ほどの30年弱ほど、とされている。 !!!セ〜 :'''[[聖コルンバ]]''' せいコルンバ: [[カソリック教会|ローマン・カソリック]]、[[正教会]]、[[聖公会]]、[[ルーテル教会]]の聖人。6世紀前半にアイルランドで生まれ、6世紀末に没した。 :: [[聖パトリック]]、[[聖ブリギット]]と共に、[[アイルランド|アイルランド島]]の守護聖人とされている。[[スコットランド]]にキリスト教を伝えたことでも知られ、スコットランドの守護聖人でもある。[[アイルランドの12使徒]]の1人にも数えられる。写本写字生、製本家、詩人などの守護聖人。「ローナのコルンバ」とも「コルム・キレ」とも呼ばれる。 :'''[[聖ブリギット]]''' せいブリギット: 「キルデアの聖ブリギット」は、[[カソリック教会|ローマン・カソリック]]、[[正教会]]、[[聖公会]]の聖人。[[聖パトリック]]、[[聖コルンバ]]と共に、[[アイルランド|アイルランド島]]の守護聖人とされている。5世紀半ばにアイルランドで生まれ、6世紀前半に没した、と伝えられている。 :: 「聖ブリギット」がアイルランド風の読み方で、フランス語や英語、他では「聖ブリジット」とも。「ゲールのマリア」の名でも知られる。 :'''[[セクトゥス・ユリウス・アフリカヌス]]''': 3世紀頃に古代ローマ帝国領で活動した著述家。ギリシア語で著作を著した。おそらく、帝国領の東部を広範に旅行した経験があったと思われる。 :: 主著は、『[[旧約聖書]]』に記された天地創造から、彼が生きていた時代までの歴史を著した『[[年代記|ユリウス・アフリカヌスの『年代記』]]』とされる。 :'''[[セトナクト]]''': [[古代エジプト]]の[[新王国時代|古代エジプトの新王国時代]]に、[[第20王朝|古代エジプト第20王朝]]の初代[[ファラオ]]となった人物。 :: 即位したのは、紀元前12世紀はじめ頃。その統治期間は数年間で短かった。 :'''[[セベクネフェル]]''': [[古代エジプト]]の[[中王国時代|古代エジプトの中王国時代]]、[[第12王朝|古代エジプト第12王朝]]の[[ファラオ]]だった女性。現在、確認されている内では、確実にファラオの地位に就いた女性の最古の例になっている。 :'''[[センウセレト1世]]''' センウセレトいっせい: [[古代エジプト]]の[[中王国時代|古代エジプトの中王国時代]]、[[第12王朝|古代エジプト第12王朝]]の[[ファラオ]]だった人物。 :: 共治王だった時期も含めると、紀元前20世紀の半ばを挟んで40年以上の長期間、統治者だった。 :'''[[センウセレト2世]]''' センウセレトにせい: [[古代エジプト]]の[[中王国時代|古代エジプトの中王国時代]]に、[[第12王朝|古代エジプト第12王朝]]の[[ファラオ]]だった人物。 :'''[[センウセレト3世]]''' センウセレトさんせい: [[古代エジプト]]の[[中王国時代|古代エジプトの中王国時代]]に、[[第12王朝|古代エジプト第12王朝]]の[[ファラオ]]だった人物。 :'''[[センナケリブ]]''': 紀元前8世紀末から紀元前7世紀はじめにかけて在位した[[アッシリア帝国]]の[[帝王|古代アッシリアの王位]]。父[[サルゴン2世]]の跡を継ぎ、対バビロン政策、対[[シリア・パレスティナ]]政策なども継承した。 !!!ソ〜 !!タ行 !!!タ〜 :'''[[タウセルト]]''': [[古代エジプト]]の[[新王国時代|古代エジプトの新王国時代]]に、[[第19王朝|古代エジプト第19王朝]]最後の[[ファラオ]]として、短期間統治した女性。現在では、よく「タウセルト女王」と呼ばれる。 :: 統治したのは、紀元前12世紀の前半頃で数年間。 :'''[[タヌトアメン]]''': [[古代エジプト]]の[[新王国時代|古代エジプトの新王国時代]]末期の[[ファラオ]]だったが、[[アッシリア帝国]]との戦いで、エジプトの宗主権を喪失。出身地だった[[ヌビア|歴史的ヌビア地域]]に撤退した。 :'''[[タハルカ]]''': [[古代エジプト]][[新王国時代|古代エジプトの新王国時代]]末期の[[ファラオ]]。[[アッシリア帝国]]との戦いで下エジプトへの支配権を失った。 !!!チ〜 !!!ツ〜 !!!テ〜 :'''[[ティグラト・ピラセル1世]]''' ティグラト・ピラセル いっせい: [[中アッシリア時代]]の[[アッシリア|アッシリア国家]]支配者の1人。紀元前12世紀末から、紀元前11世紀のはじめにかけて在位。過去1世紀ほど国力が低落し、縮退していた[[アッシリア|アッシリア国家]]の勢力圏を再び拡大したことで知られる。 :'''[[ティグラト・ピラセル2世]]''' ティグラト・ピラセル にせい: 紀元前10世紀の後半に、数十年間の長期間、[[アッシリア|アッシリア国家]]の支配者の地位にあった人物。 !!!ト〜 :'''[[トゥクルティ・ニヌルタ2世]]''' トゥクルティ・ニヌルタにせい: 紀元前9世紀の初頭に、10年弱ほど[[アッシリア|アッシリア国家]]支配者の地位にあった人物。 !!ナ行 !!!ナ〜 :'''[[ナボポラッサル]]''': 紀元前7世紀の末頃に活動した[[カルデア人]]で、[[新バビロニア]]の最初の王。 :'''[[ナルメル]]''': [[古代エジプト]]、[[初期王朝時代|古代エジプトの初期王朝時代]]の支配者。あるいは、上下エジプトの伝説的統一王[[メネス]]と同一人物かもしれない、との推測もある人物。 !!!ニ〜 :'''[[ニキータ・フルシチョフ]]''': 20世紀の半ば、ソヴィエト連邦最高指導者の地位にあった人物。 !!!ヌ〜 !!!ネ〜 :'''[[ネコ1世]]''' ネコいっせい: [[古代エジプト]]の[[新王国時代|古代エジプトの新王国時代]]最末期、あるいは、[[末期王朝時代|古代エジプトの末期王朝時代]]黎明期に、[[下エジプト]]の[[ナイル・デルタ]]地域で有力だった人物。 :: 紀元前7世紀の後半に、エジプトで起きた対アッシリア第1次反乱が鎮圧された後、[[アッシリア]]により、ナイル・デルタ西部に位置した[[サイス]]の王に任じられた。 !!!ノ〜 !!ハ行 !!!ハ〜 :'''[[パネジェム1世]]''' パネジェムいっせい: 紀元前11世紀の中葉に、40年弱ほど、[[テーベ]]のアメン神官団のリーダーだった人物。 :'''[[パネヘシ]]''': [[古代エジプト]]の[[新王国時代|古代エジプトの新王国時代]]の紀元前11世紀に、エジプト王朝から[[ヌビア|歴史的ヌビア地域]]の総督に任じられていた人物。軍勢を伴い、内紛が断続していた[[テーベ]]を占拠。配下の将兵のため、神官団が領有していた土地を没収した。 :: 後に、エジプト中央軍の将からアメン大神官に転じた[[ヘリホル]]、その配下の[[ピアンキ]]によって、テーベから駆逐されたらしい。 :'''[[ハンス・スローン卿]]''' ハンス・スローンきょう: 17世紀後半から18世紀にかけ[[U.K.(連合王国)]]上層社会で活動した、医師、博物学者、植物研究家。[[ロイヤル・ソサイエティ]]メンバー、後、同ソサイエティ総代。 :: アイルランド出身で、陸軍軍医総監、王室付き筆頭医官となった。継承権を伴った准男爵に叙された最初の医師でもあった。 :: 卿の死後、遺言によって、ハンス・スローンの収集品は、数年間の準備期間の後、一般公開されることになった。ジョージ2世の王室文庫蔵書などが加えられたコレクション公開が、18世紀半ばにスタートした[[ブリティッシュ・ミュージアム]]の出発点となった。 !!!ヒ〜 :'''[[ピアンキ]]''': 紀元前11世紀の前半、数年間[[テーベ]]のアメン神殿で第一位の神官位についた人物。 :'''[[ピイ]]'''(ピエ): [[古代エジプト]]の[[新王国時代|古代エジプトの新王国時代]]末期の[[ファラオ]]。「ピエ」とも。 :: 紀元前8世紀前半、新王国時代末期の混乱を収拾し、エジプト各地の地方支配者に宗主権を認めさせた。 !!!フ〜 !!!ヘ〜 :'''[[ヘリホル]]''': [[古代エジプト]]の[[新王国時代]]、[[第20王朝|古代エジプト第20王朝]]の[[ラメセス11世]]の代に、[[テーベ]]の[[アメン神官団]]の大神官、及びテーベ総督(テーベにおける副王)となった人物。 :: 現在の歴史整理では、「[[アメン大司祭国家]]」などと呼ばれる上エジプト政権の開祖、と位置づけられている。アメン神官団大神官だったアメンヘテプを駆逐した[[パネヘシ]]が、テーベでファラオ代理の地位に就いて12年目〜18年目の間の時期には、ヘリホルは大神官になっていたと思われる。 :'''[[ベロッソス]]''': 紀元前3世紀頃[[セレウコス朝]]に仕えた、[[バビロニア|バビロニア地方]]出身の占星術師。 :: 後世、セレウコス朝の支配者に献じた歴史書の著者として知られるようになった。現在は、『[[バビロニア誌]]』(バビロニアカ,『メソポタミア誌』とも)が主著とされている。他に、占星術関係の著作もあった。 :'''[[ヘロドトス]]''': 紀元前5世紀頃活動した[[イオニア人]]出身の旅行家、文筆家。ペルシア帝国領の各地を旅して『ヒストリオイ』全9巻を著した。現在、普通『歴史』と呼ばれるこの本の原題は、当時の言葉で『探求』を意味した。 !!!ホ〜 :'''[[ホル・アハ]]''': [[古代エジプト]]、[[初期王朝|古代エジプトの初期王朝時代]]の[[ファラオ]]。 !!マ行 !!!マ〜 :'''[[マサハルタ]]''': 紀元前11世紀の半ば頃、10年に満たない期間、[[テーベ]]のアメン神殿でリーダーだった人物。「マサヘルタ」とも。 :'''[[マネトー]]''': 紀元前3世紀頃の古代エジプト人。初期の[[プトレマイオス朝]]に仕え、古代エジプトの歴史伝承に伝えられた王朝譜を整理して『[[エジプト誌]]』を編纂した。 :'''[[間宮 林蔵|間宮林蔵]]''' まみや りんぞう: 18世紀末〜19世紀はじめの日本人探検家。徳川政権([[江戸幕府]])の命で、[[日本列島]]北端から[[サハリン]](樺太)にかけて、踏査、測量をおこなった。 !!!ミ〜 !!!ム〜 !!!メ〜 :'''[[メネス]]''': 半ば伝説的な[[古代エジプト]]の統一王。長い間、古代の歴史伝承に基づいて、[[古代エジプト]]最初の[[ファラオ]]と考えられていた。 :'''[[メロダク・バラダン2世]]''' メロダク・バラダンにせい: 紀元前8世紀に古代[[バビロニア]]で[[バビロン]]市の王位に就き、[[アッシリア帝国]]に反乱を起した[[カルデア人]]。出身は、「[[海の国]]」に居住していたセム系カルデア人部族、[[ビート・ヤキン]]族の首長だった。 :'''[[メンケペルラー]]''': 紀元前11世紀の後半から紀元前10世紀の初頭にかけて、50年以上の長期間、[[テーベ]]のアメン神殿で第一神官だった人物。 :'''[[メンチュヘテプ1世]]''' メンチュヘテプいっせい: [[古代エジプト]]の[[第11王朝|古代エジプト第11王朝]]の統治者として伝えられている人物。 :: [[マネトー]]の『[[エジプト誌]]』では、歴代[[ファラオ]]の1人に挙げられている。現代の研究によれば、第11王朝はその初期は、テーベを支配した地方勢力で、メンチュヘテプ1世もテーベの地方支配者だった。メンチュヘテプ1世の具体的な事跡や人物像は、記録が乏しく、ほとんど知られていない。 :'''[[メンチュヘテプ2世]]''' メンチュヘテプにせい: [[古代エジプト]]の[[第11王朝|古代エジプト第11王朝]]で[[ファラオ]]だった人物。[[第1中間期|古代エジプトの第1中間期]]の、およそ150年(あるいはそれ以上)の地方分裂の後、上下エジプトを再統一した。通例、紀元前21世紀の半ば過ぎのこととされる。 :: 現在は、メンチュヘテプ2世の再統一以降が[[古代エジプトの中王国時代]]と時代区分される慣例になっている。 :'''[[メンチュヘテプ3世]]''' メンチュヘテプさんせい: [[古代エジプト]]の[[第11王朝|古代エジプト第11王朝]]で[[ファラオ]]だった人物。 :'''[[メンチュヘテプ4世]]''' メンチュヘテプよんせい: [[古代エジプト]]の[[第11王朝|古代エジプト第11王朝]]で、[[ファラオ]]だった人物。普通は、[[中王国時代|古代エジプトの中王国時代]]のファラオの1人とされることが多い。紀元前20世紀の末にファラオだった、と目されている。 !!!モ〜 !!ヤ行 !!!ヤ〜 !!!ユ〜 !!!ヨ〜 :'''[[ヨシフ・スターリン]]''': 主に20世紀前半に、革命期のロシアと[[ソヴィエト連邦]]で活動した[[グルジア]]出身の政治家。 :: [[レーニン]]晩年のソ連邦中枢で、権力を集中。ソ連共産党に書記局を設置すると自ら初代書記長に就任。レーニンの死後、その後継者、ソ連邦第2代最高指導者と目され、死後に「独裁的」と批判されたスターリン主義の政治指導を推し進めた。 :: 1950年代前半に死没。スターリンの死後、[[フルシチョフ]]を書記長としたソ連共産党は、[[スターリン批判]]をおこない政治路線を転換したが、現在でも[[北カフカス地方]]の1部などに、スターリンを「(独ソ戦当時の)救国の英雄」として英雄視する人々はいる。 ::(北カフカス地方には、スターリン時代に集団強制移住の処分を受けた[[チェチェン人]]、[[イングーシ人]]などもいて、彼らの間ではスターリンの評判は極めて悪く「極悪人」などと評されている) !!ラ行 !!!ラ〜 :'''[[ラメセス4世]]''' ラメセスよんせい: [[古代エジプト]]の[[新王国時代|古代エジプトの新王国時代]]、[[第20王朝|古代エジプト第20王朝]]の[[ファラオ]]だった人物。 :: 即位したのは、紀元前12世紀半ば。先代の[[ラメセス3世]]の跡を継いだ。 :'''[[ラメセス5世]]''' ラメセスごせい: [[古代エジプト]]の[[新王国時代|古代エジプトの新王国時代]]、[[第20王朝|古代エジプト第20王朝]]の[[ファラオ]]だった人物。 :: 即位したのは、紀元前12世紀半ば。その事跡については、あまり多くはわかっていない。 :'''[[ラメセス6世]]''' ラメセスろくせい: [[古代エジプト]]の[[新王国時代|古代エジプトの新王国時代]]、[[第20王朝|古代エジプト第20王朝]]の[[ファラオ]]だった人物。 :: 即位したのは、紀元前12世紀後半。 :'''[[ラメセス7世]]''' ラメセスななせい: [[古代エジプト]]の[[新王国時代|古代エジプトの新王国時代]]、[[第20王朝|古代エジプト第20王朝]]の[[ファラオ]]だった人物。 :: 即位したのは、紀元前12世紀後半で、在位期間は7年間と長くはなかったとされる。その事跡についてはほとんどわかっていない。 :'''[[ラメセス8世]]''' ラメセスはっせい: [[古代エジプト]]の[[新王国時代|古代エジプトの新王国時代]]、[[第20王朝|古代エジプト第20王朝]]の[[ファラオ]]だった人物。在位したのは、紀元前12世紀後半だが、在位期間については[[諸説ある]]。 :'''[[ラメセス9世]]''' ラメセスきゅうせい: [[古代エジプト]]の[[新王国時代|古代エジプトの新王国時代]]、[[第20王朝|古代エジプト第20王朝]]の[[ファラオ]]だった人物。紀元前12世紀後半に20年弱の長期間在位した。 :'''[[ラメセス10世]]''' ラメセスじゅっせい: [[古代エジプト]]の[[新王国時代|古代エジプト新王国時代]]、[[第20王朝|古代エジプト第20王朝]]の[[ファラオ]]だった人物。在位したのは、紀元前12世紀末頃と思われる。 :'''[[ラメセス11世]]''' ラメセスじゅういっせい: [[古代エジプト]]の[[新王国時代|古代エジプト新王国時代]]、[[第20王朝|古代エジプト第20王朝]]の[[ファラオ]]だった人物。在位したのは、紀元前12世紀末から、紀元前11世紀前半にかけてで、第20王朝、最後のファラオになる。 !!!リ〜 !!!ル〜 !!!レ〜 !!!ロ〜 //ワ行 !!A〜Z :'''[[E.E.エヴァンズ=プリチャード]]''': 20世紀の前半に活動した[[U.K.(連合王国)]]出身の、民族学者(ブリテン風の言い方では社会人類学者)。 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]