{{toc}} !ペルシアン・アゼルバイジャン (Persian Azarbaijan) 簡易版 !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  「ペルシアン・アゼルバイジャン」、又は「イラニアン・アゼルバイジャン」は、[[イラン高原]]縁辺山地の北西の一画を指す地域名。  概ね[[現イラン領|イラン=イスラム共和国]]の、[[東アゼルバイジャン州]]と[[西アゼルバイジャン州]]とが隣接している辺りと思っても遠くはない。実際、「両州を併せた地域」の意味で用いる人もいる。  しかし、本来は現在の地理範囲と言うよりも、むしろ「かつて[[アゼリー人]]が主流だった地域」を漠然と指す歴史的な地域名、と考えた方が理解し易い。  当然のように、現在のイラン政府は、公用を好まない(まだ、「ペルシアン・アゼルバイジャン」の方が「イラニアン・アゼルバイジャン」よりもまし程度)。歴史学、民族学でも、用語としては、ほとんど用いられない。地理学や政治学でもあまり用いられないし、用いられた場合、何か特別な主張が込められている可能性もある。  よく似た地域概念で、さらに強く政治的主張が込められがちなものに「南アゼルバイジャン」がある。こちらは、イラン国内のアゼリー人分離独立派や、アゼルバイジャン共和国の民族主義者がよく用いる。イラン政府は、その妥当性について、もちろん認めていない。アゼルバイジャン共和国の政府関係者も、少なくとも表立っては「南アゼルバイジャン」という言葉は使わない。 '''【参照地図】''' *[[Iran|http://go.hrw.com/atlas/norm_htm/iran.htm]]([[HOLT RINEHART WINSTON WORLD ATLAS]]) *[[Provinces of Iran|http://www.artarena.force9.co.uk/map_p.htm]]([[Iransaga|http://www.artarena.force9.co.uk/iran.htm]]) !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  イラン国内のアゼリー人は、ペルシアン・アゼルバイジャンの地域にかなりの集住が見られる。  彼らは、イラン国民のおよそ35%ほどと目されるチュルク系のエスニック・グループで、国民の45%ほどとされるペルシア系イラン人についで、第2位の規模の[[エスニック・グループ]]になっている。  [[一説に|一説に〜]]現在でも親族、及び、部族的つながりを重んじているペルシア系イラン人と比べれば、農耕化して久しいアゼリー人は、部族関係よりも地縁関係を重んじる傾向がある、と言われる。 ----  チュルク系遊牧民の間から、16世紀過ぎ頃から分化したアゼリー人は、16世紀末頃より、イラン高原北西部から[[南カフカス地方]]に展開。16世紀末頃、[[サファヴィー朝ペルシア|サファヴィー朝]]が、[[オスマン=トルコ帝国]]から、南カフカス地方を奪取したためだ。  その後、アゼリー人は、現在の[[アゼルバイジャン領|アゼルバイジャン共和国]]を中心に、農耕を導入、農耕を主に牧畜を組み合わせた文化に移行し、ペルシアン・アゼルバイジャンや、現在の[[アゼルバイジャン領|アゼルバジャン共和国]]で定住化していった。  さらに後、[[カフカス地方]]の争奪戦に[[帝政ロシア]]が参入。19世紀前半に、[[アラス川]]以北が、[[カジャール朝ペルシア|カジャール朝]]からロシア帝国に割譲された。概ね現アゼルバイジャン領にあたるこの地域では、アゼリー人の民族的な結束がロシア統治下で高まり、1918年、[[10月革命]]の前後に「アゼルバイジャン民主共和国」が樹立されたが、赤軍の侵攻で政権は倒壊。1920年に、地域のソヴィエト政権が成立した。 ----  「ペルシアン・アゼルバイジャン」、「イラニアン・アゼルバイジャン」にしろ、「南アゼルバイジャン」にしろ、19世紀、ロシア帝国支配下の現アゼルバイジャン側で、アゼリー人の民族主義が高まる内で言われはじめた地域概念だ。  特に「ペルシアン・アゼルバイジャン」は、しばしば「アゼリー人故地」といったニュアンスを込めて用いられることがある。  「ペルシアン・アゼルバイジャン」、などが言われるまでは、伝統的に地域は「[[アルメニア山地]]」の一部とみなされ、地域でもそのように呼ばれていた。(「アルメニア山地」は現在では、用いられる機会が減ってきていて、半ば歴史的地域名になりつつあるが、歴史研究では用いられることが珍しくない。地理学でも用いられることはある)  なお、歴史的なアルメニア山地は、何もアゼリー人たちだけが占有していたわけではない。ペルシアン・アゼルバイジャンに限っても、[[クルディスタン]]の領域とは重なり合い、交じり合っていた、と見た方がむしろ過去の実態に近い。これも、歴史研究で「ペルシアン・アゼルバイジャン」などの言葉の使用が避けられる理由であり、民族研究でも、用語としては用いられない理由になっている。 !さらに詳しい情報 *「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  「増補待ち」 !GM向け参考情報 *GM向けの捕捉情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど  「増補待ち」 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[ランド・マーク]]{{br}}⇔ [[アジア州のランド・マーク]] !!関連項目 *[[イラン=イスラム共和国]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Azerbaijan (Iran)|http://en.wikipedia.org/wiki/Azerbaijan_%28Iran%29]] *[[Images Of Eastern Azerbaijan|http://www.iranonline.com/iran/Azarbaijan-east/images/index.html]]{{br}}[[Images Of West Azerbaijan|http://www.iranonline.com/iran/Azarbaijan-west/images/index.html]]{{br}}([[Iran Online|http://www.iranonline.com/]]) !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイディア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}