{{toc}} !エカトリア地方 エカトリアちほう 暫定版 !記事内容追加調査中の、暫定版です。 !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。 :'''アラビア語による現地名の音'''':Al-Istiwa'iyah(アル=イスティワ’ッイヤァフ) :'''英語名''':Equatoria(エクァトリア)  「エカトリア地方(エクァトリア)」は、現[[スーダン領|スーダン共和国]]の南縁で幾つかの州に渡る地域。領域は、東西が長く、スーダン国境南縁に沿った、三日月状、あるいは、角笛の線描にも似た輪郭の領域。  1980年代から激化したスーダン内戦に際して、SPLA(スーダン人民解放軍)などの拠点となった。2006年現在、事実上スーダン中央政府から反独立した、南部自治地域の主要部になっている。  南縁は、西から東に、[[中央アフリカ共和国領|中央アフリカ共和国]]、[[コンゴ民主共和国領|コンゴ民主共和国]]、[[ウガンダ共和国領|ウガンダ共和国]]、[[ケニア共和国領|ケニア共和国]]、と国境を接している。  東縁では、比較的短距離、[[エチオピア連邦民主共和国]]と国境を接している。  エカトリア地方は、スーダン内戦を通じてかなりの戦渦を被ったが、2005年、スーダン中央政府と講和。SPLA最高司令官が第1副大統領に就任した連立体制で暫定政府が発足した。  暫定政府は2011年まで、6年間の共同統治をおこなった後、南部で住民投票を実施し、連邦国家体制に移行するか、南部が独立するかを決定することも合意された。  ところが、副大統領就任直後のSPLA最高司令官が、[[ウガンダ共和国]]訪問からの帰途途中事故死。2005年7月のことだった。悪天候によるヘリコプター墜落事故、と公表されたが、南部の中心都市、ジュバで騒乱が起きた。南北講和条件だった、2011年の住民投票が実施されるかどうかは、危ぶまれている。  他に、隣国ウガンダ国内でテロ行為をおこなってきた[[神の抵抗軍]]の拠点が設けられている。また、1988年頃、壊滅した反スーダン政府武装組織WNBF(ナイル西岸戦線)の拠点も設けられていた。 '''【参照イメージ】''' *[[エカトリア地方地図|http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d0/Map_Sudan_Equatoria.png]]{{br}}(エカトリア地方の略図,[[Wikimedia Commons]]) !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  かつてのエカトリア(エクァトリア)は、1870年に行政区として確立された。その後、対エジプト反乱([[マフディーの乱]])を経て、スーダンが[[アングロ=エジプト]]に再征服されるた後、かつてのエカトリア行政区は、段階的に解体されていった。  現在は、行政実体はない。歴史的地域名に近い地域名とみて構わないだろう。なお、かつてのエカトリアには、現[[ウガンダ領|ウガンダ共和国]]北部の行政区が幾つか含まれていた。  現スーダン領内では、エカトリア地方は、北西で[[ダルフール地方]]と、北で[[コルドファン地方]]と、北東で[[上ナイル地方|上ナイル地方,スーダン共和国の〜]]と隣接している。なお、2006年現在、スーダン南部勢力の事実上の自治領域は、エカトリア地方から、上ナイル地方の南部まで渡っている、と目される。  現在、スーダンのエカトリア地方に含まれているのは、次の7州。 *中央エカトリア州 *西エカトリア州 *東エカトリア州 *北ガザル川州 *西ガザル川州 *アル・バハイラト州 *ワラブ州  なお、かつての行政区エカトリアだった地域には、現ウガンダ領北部の、ドゥファイル県と、ワデライ県とが含まれていた。  地域の中心的都市は、中央エカトリア州の[[ジュバ]]。  民族構成は、ディンカ族が主導的で、他にヌエル族、ペジャ族など多様。アラブ系は少数派の内の有力集団をなしている。宗教事情は、ディンカ族に多いキリスト教徒が主導的で、ヌエル族などは、それぞれの伝統民俗宗教を信仰している人が多数派。アラブ系には、イスラム信徒が多い。 ----  東西に長い領域の中央部は、広義の[[白ナイル]]上流にあたる[[山地ナイル]]の流域。西部にも白ナイルに合流する[[ガザル川]]の水系が流れ、領域中北部は、大湿原地帯[[サッド]]に占められている。  気候は、高温多湿の熱帯気候。雨季は、6月〜11月と、スーダン北部よりはるかに長い。低湿地お間に熱帯樹林が茂っていて、マラリヤなどの風土病も多い。  主要な都市は、スーダン南縁を縁取る山地の山裾部に偏る。その他の都市も、サッドの内に点在している低丘陵地に立地。 !さらに詳しい情報 *「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  現スーダン領内のエカトリア地方(エクァトリア地方)は、しばしば次の3地域に大別される。 *ガザル川地方{{br}}エカトリア地方の北西部で、[[ダルフール地方]]南部と、[[コルドファン地方]]の南部に隣接している。{{br}}2006年現在、北ガザル川州、西ガザル川州、アル・バハイラト州、ワラブ州からなっている。州を越えた行政実体はない。 *西エカトリア{{br}}西エカトリア州。エカトリア地方東西中ほどの南部で、中央アフリカ共和国、コンゴ民主共和国と国境を接している。 *東エカトリア{{br}}エカトリア地方の東部で、コンゴ民主共和国、ウガンダ共和国、ケニア共和国、エチオピア連邦民主共和国と国境を接している。北縁では、上ナイル地方と隣接。{{br}}2006年現在、中央エカトリア州、東エカトリア州からなっている。州を越えた行政実体はない。  アングロ=エジプト統治時代の1948年に、ガザル川流域地域が、行政区として整理された。ほぼ前後して、現行の4州の前身である地区も分割された。  東エカトリアが分割されたのは、スーダン独立後の1976年頃のこと。 !GM向け参考情報 *GM向けの捕捉情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど  「増補待ち」 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[ランド・マーク]] !!関連項目 *[[スーダン共和国]] *[[スーダン共和国の諸地域]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Equatoria]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイディア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}