{{toc}} !ラファフ (簡易版) !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 :'''アラビア語名''':調査中 :'''英語名''':Rafah !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  ラファフは、[[エジプト=アラブ共和国]]と[[ガザ・ストリップ]]([[パレスティナ暫定自治領]])との境界をまたいで、双方に分断されている町。  [[出入国ゲート|ラファフ国境ゲート]]が設けられているが、2007年現在は閉鎖されている。 !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  ラファフの町は、[[地中海]]沿岸から5〜6kmほど。ガザ・ストリップ側では西縁の南北中ほどに位置。エジプト側では、[[北シナイ県]]の北東隅の一角にあたる位置。  ガザ・ストリップでは、町を含んだ南西端の地区が「ラファフ地区」と区分されている。ラファフの町は、ラファフ地区の行政中心地。 '''【参照地図】''' *[[Gaza Strip map|http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cd/Gz-map2.png]]{{br}}[[Gaza Strip map|http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/d/d3/GazaStripGovernatesNonLabeled.png]]{{br}}(上は[[ガザ・ストリップ]]の略地図、下はガザ・ストリップの行政区分図,[[Wikimedia Commons]]) ----  ラファフの町の人口は、おおよそで13万人ほどと見積もられているが、この見積もりには、町の近傍に設けられている難民キャンプの居住人口、84,000人ほども含まれている。  町の北方にはテル・アッ-スルタン・キャンプ(通称カナダ・キャンプ)が、南方にはラファフ・キャンプが近接。町の南には、イスラエル軍による空爆を受け、2001年に放棄されたヤーセル・アラファート国際空港が位置していた。 '''【参照イメージ】''' *[[空爆で廃墟になったヤーセル・アラファート国際空港施設|http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/41/Gaza_airport_03.jpg]]{{br}}(空爆で廃墟になったヤーセル・アラファート国際空港施設,[[Wikimedia Commons]]) ----  地域では、古代から都市的な集落が営まれていた。古代からの集落は、12世紀頃には衰退していたらしい。エジプトでマムルーク朝が成立した後の記録では、郵便と同種のシステムの中継地として記され、16世紀頃のオスマン=トルコの記録では、小さな村落として記されている。  [[第1次世界大戦]]中の1917年に戦場になった後、U.K.軍の基地が設けられ、周囲の人口が増えはじめた。これが、現在のラファフの町の直接のルーツになっている。 !さらに詳しい情報 *「難易度が、ある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  [[古代エジプトの第19王朝]]の[[ファラオ]]、[[セティ1世]]の碑文に、ラファフの位置にあった古代の町についてが記されている。これが、現在知られる最も古い文字記録だろうと思われる。紀元前10世紀には、[[第22王朝|古代エジプト第22王朝]]の[[シェションク1世]]が、北方への遠征の途上、やはり古代の町に一時進駐した、との記録が遺されている。  B.C.720年頃、[[アッシリア帝国]]の[[サルゴン2世]]の軍勢が、ラファフのあたりでエジプトの軍勢と交戦し勝利した。B.C.217年には、[[プトレマイオス朝]]と[[セレウコス朝]]が一帯で交戦し、プトレマイオス4世の軍勢が、アンティオコス3世の軍勢を下した。  ビザンツ時代には、東方教会の教区教会が設けられ、アラブ系集団との交易拠点として栄えたようだ。 !GM向け参考情報 *GM向けの補足情報、[[マスタリング・チップス|チップス集]]、[[アイデア・フック]]など !!参照地図 *[[National Geographic Society - Maps]]{{br}}インタラクティブ・マップ。“Rafah”で検索していくといい。 !!GMの運用 *「ラファフ国境ゲート」の項も参照のこと。⇒ [[ラファフ国境ゲート]] *「エジプト側のラファフの町」については、人口などは不明(調査中)。各種の地図を参照しても、人口が多いとは思えない。 !!別称類  英語名は「ラファフ(Rafah)」。  現代ヘブライ語による地名は「ラフィアー(Rafiah))」。  古代エジプトの言語では「ロビフワ(Robihwa)」。  アッシリア語で「ラフィフ(Rafihu)」。  ヘレネス、古代ローマ人の呼んだ地名は「ラフィァ(Raphia)」。 //The Aramaic text Targum Onkelos interpreted the Biblical location of Hazerim as referring to Rafah, but there is no other evidence for this. !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]] !!関連項目 *[[イスラエル国]] *[[エジプト=アラブ共和国]] *[[ガザ・ストリップ]] *[[パレスティナ暫定自治領]] *[[ラファフ国境ゲート]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Rafah]]{{br}}[[Wikipedia英語版:Rafah_Border_Crossing]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイデア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}