{{toc}} !ラメセス4世 ラメセスよんせい (簡易版) !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 :'''英語、他''':Ramesses IV !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  ラメセス4世は、[[古代エジプト]]の[[新王国時代|古代エジプトの新王国時代]]、[[第20王朝|古代エジプト第20王朝]]の[[ファラオ]]だった人物。  即位したのは、紀元前12世紀半ば。先代の[[ラメセス3世]]の跡を継いだ。 !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  ラメセス4世は、第20王朝の第3代ファラオにあたる。その在位期間は、6年と、長くない。  即位年については、B.C. 1155年とされることが多い。しかし、B.C.1151年とする説もある。  ラメセス4世は、先代[[ラメセス3世]]の息子だった。父3世の統治期間が長かったため、おそらく40代で即位したと思われる。兄が先立った後、ラメセス3世の治世22年目に皇太子に定められたことが、知られている。  母親については、定かではないが、イシス妃かティティ妃だろうと、推測する研究者は少なくない。  ラメセス4世の墓所は、[[王家の谷]]の東谷外縁部に位置。古くから存在が知られていた墓所で、壁画や石棺などはほぼ往時の状態で遺されているが、入り口付近の壁には、後世に記されたコプト語の落書きが多数見られる。  4世のミイラは、1898年に、王家の谷のアメンヘテプ2世の墓所から発掘された。  「3世のような長い治世」を祈念して碑文にも刻んだ4世だが、その治世は6年と短かった。しかし、即位時の年齢が、当時としては高齢だったので、死没は自然死だろうと思われている。 ----  即位し、3世の埋葬儀式を執りおこなった後、4世は、[[シナイ半島]]のトルコ石鉱山と、[[ワディ・ハンママート]]の石切適地とに、かなりの人数の兵団を派遣している。3世の統治を継承した[[ファラオ]]として、意欲的だったことがうかがわれる。  ワディ・ハンママートの石切り場跡に遺る碑文からは、派遣された兵団が労働者を監督し、石材を採掘したようだ。  4世は、父3世が増築したカルナック神殿をさらに拡張する計画、ハトシェプスト葬祭殿の近傍に、別の葬祭殿を新たに建造する計画を抱いていた。  4世は、他に[[ヌビア地方|歴史的ヌビア地域]]の、第2急湍〔きゅうたん〕近くにあるブヘンの砦に遠征を命じてもいる。 !さらに詳しい情報 *「難易度が、ある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  「増補待ち」 // ラメセス4世の統治期と思える古代記録によれば、当時のエジプトは、 !GM向け参考情報 *GM向けの補足情報、[[マスタリング・チップス|チップス集]]、[[アイデア・フック]]など  「増補待ち」 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[歴史上の実在人物]] !!関連項目 *[[古代エジプト第20王朝]] *[[ラメセス3世]] *[[ラメセス5世]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Ramesses_IV]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイデア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}