{{toc}} !ラメセス5世 ラメセスごせい (簡易版) !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 :'''英語、他''':Ramesses V !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  ラメセス5世は、[[古代エジプト]]の[[新王国時代|古代エジプトの新王国時代]]、[[第20王朝|古代エジプト第20王朝]]の[[ファラオ]]だった人物。  即位したのは、紀元前12世紀半ば。その事跡については、あまり多くはわかっていない。 !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  ラメセス5世は、第20王朝の第4代ファラオにあたる。その在位期間は、4年と目されている。  即位年については、B.C. 1149年とされることが多い。しかし、B.C.1145年とする説もある。  ラメセス5世は、先代にあたる[[ラメセス4世]]の息子だった。  ラメセス5世の墓地は、[[王家の谷]]に位置し、発掘されている。墓所から発掘された土器片に記されていた文書によれば、「ラメセス5世は、ラメセス6世の治世2年目に埋葬された」とある。  古代エジプト王朝のスタンダードでは、通例、[[ファラオ]]は、継承ファラオの即位から70日以内に埋葬された。この慣例から考えると、「ラメセス6世の治世2年めに埋葬された」背景には、何か異常な事態があったのかもしれない。  あるいは、単に、6世が5世の治世中に共同統治者に任じられた、と考えることもできる。実は6世は5世の叔父にあたる人物だったので、共同統治者になったとは考えづらい。5世の治世中に内乱が起きた、と考える研究者もいる。  さらに5世は6世に幽閉され、獄死したと想像している者もいる。 ----  ラメセス5世のミイラは、[[アメンヘテプ2世]]の墓所から発掘された。  顔面には、生前天然痘を患っていたことを示す、あばたの跡が残っていた。頭部に大きな傷跡らしきものが見られ、これが死因ではないかと推測する研究者もいる。しかし、死後にミイラが盗掘された時にできた損傷跡かもしれない。  遺体には、普通のミイラと比較してずっと大きな内臓取り出し時の切開跡が、体の左側に残っていた。 !さらに詳しい情報 *「難易度が、ある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  ラメセス5世の統治期と思える古代記録によれば、当時のエジプトは、[[テーベ]]のアメン神官団が、その影響力を強めていった時期だったらしい。  また、デイル・エル・メディナから発掘された、古代の日録によれば、ラメセス5世の治世中、「“敵”の侵攻により」王墓作りが中断した時期があった、とされる。この“敵”については、リビア系遊牧集団と見る意見と、内乱についての記録とみる意見とがある。 !GM向け参考情報 *GM向けの補足情報、[[マスタリング・チップス|チップス集]]、[[アイデア・フック]]など  「増補待ち」 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[歴史上の実在人物]] !!関連項目 *[[古代エジプト第20王朝]] *[[ラメセス4世]] *[[ラメセス6世]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Ramesses_V]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイデア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}