{{toc}} !ザールブルク(ローマ砦の遺跡) (簡易版)  !簡易版です。気づいたとこの増補、改訂、優先に大歓迎。 :'''英語語表記''':Saalburg(Site of Roman fort) !PCが予め知ってていい情報 *「判定処理なしに、PCが知ってることにしていい」情報とします。  「ザールブルク」は、古代ローマ帝国が[[ゲルマニアの防壁|ゲルマニアのローマ国境線(遺跡)]]の一部として建造した古代城砦の[[遺跡]]。[[ドイツ連邦共和国]]の[[ヘッセン州]]で州域西部に位置。  [[ライン川]]流域の東に外接した[[タウヌス山地]]西部の尾根近くにある。[[フランクフルト・アム・マイン]]の概ね北方にあたり、地図上の直線距離で30kmほどに位置。  遺跡は、2005年に拡張認定された[[ユネスコ]]の[[世界遺産|ユネスコ世界遺産]][[「ローマ帝国の国境線」]]の1部として扱われている。1987年に登録されていた[[U.K.(連合王国)]]の「[[ハドリアヌスの長城]]」が拡張登録された際に含まれた。  現存する構造物は、19世紀末から20世紀初頭に新造されたものだが、現在は、博物館として利用されている。 :'''【参照地図】''': *[[Germany|http://go.hrw.com/atlas/norm_htm/germany.htm]]([[HOLT RINEHART WINSTON WORLD ATLAS]]) *[[ヘッセン州の地形図|http://www.freeworldmaps.net/europe/germany/hesse.html]]([[Physical Map of Germany|http://www.freeworldmaps.net/europe/germany/index.html]],[[FREE WORLD MAPS]]) *ゲルマニアのローマ国境線遺跡概略図([[Wikimedia Commons]]){{br}}[[Image:Karte limes|http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/40/Karte_limes.jpg]]{{br}}(“saalburg”は画面に向かって左上部に地名が記されている) !やや詳しい情報 *「簡単な判定に成功すればわかる情報」とします。  ザールブルクの砦跡には、[[ゲルマニアの防壁|ゲルマニアのローマ国境線(遺跡)]]の各所に建てられた防備用砦の1つがあった。高地ゲルマニアの防壁が、[[タウヌス山地]]の尾根沿いに設けられた部分に設けられた砦の1つで、はじめ紀元90年頃に建造された。  面積は約0.7haの敷地に、長方形の砦が、石材と木材を併用して建造された。城砦内部には、物見櫓や浴場の跡なども遺る。ローマ帝国の支援部隊(アウクシリア)160名ほどが駐屯したと思われる。  その後、ハドリアヌス帝の代135年頃に拡張され、長さ221m、幅147m、3.2haの敷地に、4つの城門、石壁、二重の堀を持つ作りになった。砦も、石造モルタルの作りに改築され、防備部隊も総勢500名ほどに増員された。さらに210年頃にかけて、より堅固な改築が加えられた。  現在、現地で見られる博物館の建物は、概ねこの第3期の改築を推定復元した作りになっている。ただし、建物の裏面は、第2期の砦の作りを推定復元したものになっている。260年に多くのゲルマン系部族が対ローマ蜂起に踏み切った後、ローマの防備部隊は砦を放棄した。  その後、いわゆる「民族大移動」の時代に、ザールブルクの砦だけでなく、ローマ帝国が建造したゲルマニアの城壁(長城)や、付属施設についての知識は忘れられていった。中世〜近世にかけては、「悪魔の城壁」の伝説が近傍地域で語られた。  ザールブルクの砦跡は、1853年と1862年に、[[ナッサウ|ナッサウ,ドイツの〜]]の古物収集家協会によって調査された。  19世紀半ば頃、ローマ時代の古代文献に伝えられたゲルマニアの城壁の、正確な発掘調査しよう、との機運が、プロシア帝国で高まった。「帝国ローマ国境委員会」が設立され、古代の長城跡を組織的な調査に着手。各所で砦や物見櫓の跡を発掘していった。委員会の活動によって、プロシアではローマ考古学が大々的に発展することになった。  1897年、プロシア皇帝だった[[ウィルヘルム2世]]は、「ローマ国境委員会」のルイス・ヤーコブの進言を入れ、ザールブルクの遺跡の発掘に基づき、かつての砦を復元建造する勅命を出した。  これが現在、遺跡スポットで博物館として利用されている建物になる。同博物館は、現在も、ドイツでのローマ国境研究の最重要機関の1つになっている。 //It also houses the Saalburg Museum, one of the two most important institutions dedicated to the study of the German Limes (the other being the Limesmuseum of Aalen[4]). //From 1967 to 1993, the museum was directed by the well-known archaeologist Dietwulf Baatz, whose many publications fostered a broad interest in privincial Roman archaeology well beyond specialist circles. !さらに詳しい情報 *「難易度がある程度高い判定に成功すればわかる情報」とします。  「増補待ち」。 !GM向け参考情報 *GM向けの補足情報、マスタリング・チップス、アイディア・フックなど  「増補待ち」。 !!別称類 !!![[主要国の言語|ハウス処理:「主要国の言語」の処理]] *英語表記=Saalburg(Site of Roman fort) *フランス語表記=(調査中) *スペイン語表記=(調査中) *ロシア語表記=(調査中) *アラビア語名の音=(調査中) *中国語表記=(調査中) !!!その他 *[[ドイツ語]]名=Kastell Saalburg !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]]{{br}}⇔ [[遺跡]] !!関連項目 *[[ゲルマニアのローマ国境線(遺跡)]] *[[タウヌス山地]] !!資料リンク *[[Wikipedia英語版:Saalburg]] !活用や検討 !!活用 *このページの記事を踏まえた、[[アイデア・フック]]、使ってみた[[シナリオ]]、セッション・レポ、などなど {{comment}} !!重要な改訂の情報 *内容に追加、変更があった場合のみ、でいいでしょう。{{br}}(誤字脱字の訂正や、文章を整える程度では記録不要) {{comment}} !!検討 *このページの記事内容についての質問、重要な疑問、改訂の要望など *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は、随時書換え対象になりえます) {{comment}}