{{toc}} !サバ王国 サバおうこく (Sabae)  [[アラビア半島]]南西部の内陸に存在した古代王国。概ね、現在の[[イエメン共和国]]領の西部内陸を勢力圏にした。  紀元前9世紀ころから活動がみられ、紀元前3世紀半ば頃まで続いた。ユダヤ教聖典(『旧約』)に伝えられる、[[シバの女王]]の国のモデルと目されている。 !やや詳しい情報  サバ王国の社会の実態については、未解明の点が多い。当事者たちの文字記録は、石碑の碑文類が遺るばかりで、もっぱら他国の記録の方が多いからだ。  ただし、2005年現在、イエメンでは、イタリアの協力を受け[[マーリブの遺跡]]地帯の発掘が続けられている。将来、古代サバ王国の歴史が大きく書き直される可能性は高い。  紀元前8世紀頃から、[[アッシリア帝国]]の史料に、南アラビアの“女王”や“王”の記録がみられるようになる。  しかし、この頃の南アラビアでは、おそらく宗教的指導者の下で、いくつもの部族が緩い連合を結んでいたのだろう、と目されている。アッシリアで王、及び女王と呼ばれた者たち(あるいはアッシリアに対してそのように自称した者たち)は、実態としては、祭祀を司る神官であり、独自の宮廷に支えられた統治体制は整っていなかっただろう、と言われている。  B.C.676年頃、アッシリア帝国の[[エサルハッドン]]がアラビア半島に遠征軍を送り、B.C.554年には、[[新バビロニア]]の[[ナボニドス]]がやはり遠征軍を派遣している。  サバ王国をはじめ、アラビア半島南部の部族集団が、国家らしい体制を整えるようになったのは、これら外部からの遠征の刺激を被った後と目されている。 !詳しい情報  サバ王国は、おそらくアラビア半島南部で最も早く、形成された国と目される。  遅れて海岸地帯にアウサン王国が成立し、沿岸交易で栄えたようだが、これは紀元前5世紀末にサバ王国に征服された。マケドニア系のセレウコス朝シリアや、プトレマイオス朝エジプトが成立した紀元前3世紀頃から、紅海沿岸の交易ルートが活発化。いくつかの王国が盛衰した、と伝えられている。  これらの“王国”も、いくつかの部族が連合を離合集散させながら、争いあった国家だと思われる。サバ王国が、宗教的部族同盟の型から、いつ頃どのように部族連合国家の型に進んだのかも、定かには整理されていない。  しかし、サバ王国に限らず、部族間の連合の離合集散が、相当に激しい戦争状態を伴ったらしいことは、断片的な記録からも察されている。こうした戦争が、国家形成のきっかけになった、と見る意見も多い。  紀元前3世紀頃、沿岸部には、ヒムヤルとハドラマウトが交易で栄えていたが、サバは争っている両国を3世紀前半に征服。しかし、数十年後、再興したヒムヤルがサバを滅ぼした。 !GM向け参考情報 !!リアルな歴史イメージ  サバ王国は、もちろん[[シバの女王]]国伝承と関係づけて、シナリオ・ソースに使えます。[[マーリブの遺跡]]の項も参照してください。  サバ王国を、シナリオ・ソースに使うときの注意ポイントは、時代によって国家体制が大きく違っている、と目されることです。  どの文化圏でも、時代が違えば社会体制も変化しますが、サバ王国の場合、シバの女王伝説などの関係で、「王国」のイメージが先行しすぎている感があります。  初期のサバ王国(おそらく、王国の前身と呼ぶべきでしょう)である、紀元前9世紀頃から紀元前8世紀頃にかけては、普通イメージするような国家が営まれていたとは考えられていません。  誤解を恐れずに、あえて大まかな説明をすると、中国の古代史書に記された邪馬台国がどんな社会体制だったか? に、一面似た問題が議論になっています。  つまり、本来はバラバラである複数の部族が、宗教的指導者のもとにまとまっていた。けれど、まとまって1つの国家を築くところまではいかずに、宗教指導者は、全体の意志決定の調整役に留まっていた、といった可能性が考えられています。  アラビア半島南部は、紀元前7世紀頃からメソポタミア勢の侵攻を受け、紀元前3世紀頃からは、まず、いわゆるヘレニズム文化の浸透を受け、次いで、紅海沿岸交易に関るようになりました。  この間、王国らしい王国が築かれるようになったわけですが、それでも“国王”は、部族連合に属す族長たちの間の1人者、という体制が長く続いたようです。  丁度、西ローマ帝国に大侵入をおこなった頃から、中世初期にかけてのゲルマン部族国家に似た一面を持つ社会だったと言えるでしょう。  と、ここまでは、現状での比較的リアリスティックな歴史イメージの説明です。(すでに記したように、このイメージも、今後書き換えられる可能性もあります) !!アイディア・フック  「[[ブルーローズ]]」のシナリオでは、もちろん、紀元前9世紀頃のサバが、実は[[超古代文明]]との関係で、高度な社会を営んでいた、と設定することも可能です。  ポイントは、[[マーリブの遺跡]]からは、おそらく将来も、現在知られる神殿の類以外の[[遺構]]は出土しないだろう、と予想される点です。  と、言うのは、[[アッシリア帝国]]のレリーフなどをみると、紀元前7世紀当時でもアラビア半島の部族国家は、集落で天幕を築いた半定住生活を送っていたと思われるからです。  おそらく、マーリブの遺跡で、古代ダムが築かれ農耕が営まれていた時期も住居は天幕だったと思われます。  そこで、シナリオの設定ですが、例えば、神殿がポケット・ユニヴァースへのワープ出入り口だったとします。  特殊な運命を持つキャラだけが、難易度の高い判定に成功するとワープ口を開閉できるとします。特殊なオーパーツが必要、としてもいいです。  ワープ口の向こうは、楽園のような小世界で、時間の流れが[[シームレス・ワールド]]よりゆっくり目だ、としてもいいです。こうすれば、紀元前10世紀にソロモン王と会見したビアンキが、紀元前9世紀のアラビアで活躍したことの説明がつきます(笑)。  PCたちが、向こうの世界で半日ほど冒険してこちら側に帰ってきくると、数週間〜数ヵ月がすぎていることになります。  実は、この小さな楽園世界は超古代文明人が、移住用に作ったそれ自体がタイム・カプセルのような世界だった、との設定を[[キャンペーン・プレイ]]用の長期的な謎にしてもいいでしょう。本来は、向こうの世界で数日過ごすだけで、こちらの世界では数万年がたってしまうのですが、何かの事情で性能が落ちていて(笑)、100年程度のタイム・ラグですんでしまっている、とかです。  あるいは、ワープ口の出口はマーリブだけでなく、エチオピアにも設けられている、とする手もあります。こうすれば、ソロモン王とビアンキの子が、古代エチオピア王統の祖となった、との伝説にも背景があったことにできます。 !リンク *[[小辞典]]{{br}}⇔ [[小辞典ワールド編]] !!関連項目 *[[マーリブの遺跡]] !活用や検討 !!活用 !!検討 *検討の項は記名記入を推奨(無記名記入は書き換えられても仕方なし、ってことで) ----